民族音楽学講義・イヴェントレポート 第一回
95年4月15日 国立民族学博物館
企画展「ラテンアメリカの音楽と楽器」及び常設展
第204回みんぱくゼミナール「アジア音楽の変容――伝統音楽とポピュラー音楽のはざまで」

「私は民族であることを誇りうることができるのか」

「ボラドーレス」 前日に中村先生よりいただいた招待券を駆使して博物館にたどり着いた私を驚かせたのは、山のように積み上げられたドラム缶であった。床にはベニヤ板が敷き詰められ、それらはラテンアメリカのイメージを喚起しようとするものであった。展示場一階の中央にはボラドーレス(鳥人)という儀式的古典芸能のそそり立つステージがしつらえてあり、そこで私は一斗缶の椅子に腰掛け「ファミリア・ロドリゲス」の演奏を聴くこととなる。「伝統的世界」、「ヨーロッパ的世界」、「アフリカ的世界」と題された三種のブースによって、ケーナやサンポーニャの様な笛の仲間、そしてドラムの類が南米に固有の楽器であり、弦楽器や金管楽器類、多種にわたるパーカッション類は、西欧諸国の進出やアフリカからの奴隷によってもたらされたものであることがわかる。驚くべきことにこの土地では、土着の楽器や新しい楽器が自然な姿で混ざりあっている。新出であるはずの弦楽器は、チャランゴやアルパ(なんとかついでも演奏するらしい!)という形で彼等のあいだに定着しており、彼等の持つ音楽スタイルの中に融和している。日本のようにくっきりと伝統の音楽と新出の音楽が分かたれているわけではないのだ。

 午後二時からのみんぱくゼミナールにおいて「アジアポップ」といわれる音楽が世界に波及しつつあり、前記のように伝統の音楽と進出の音楽が融和する方向にあることを改めて知る。そこでは伝統的要素――音階、言語、楽器、文化的背景、内容が極めて現代的なもの――シンセサイザなどの新技術、西洋的文化、音楽のスタイル(具体的にはロックなど)を受けて、新しい形へと変容していく。それが「アジアポップ」や「アボリジニロック」であるという。この講演で語られたことは、異文化、他民族、他文明との衝突によって自民族のアイデンティティが強まり、そのことが「自らが自らの歌を歌う」状況を作っている、ということであった。そして、「脱亜入欧ではなく脱欧入亜」という観点から「新しいアジア文化の再認識」がされる、と結論づけられたのだが、そのとき不謹慎にも私は、日本という国の民族はその動きには乗れないではないかという感想を抱いた。なぜなら、私は私の国である日本にたいして、愛してやまないという感情を抱けないでいるからだ。後に上田啓子先生にこの講演の話とそのとき抱いた私の感情についてを話すと、上田先生も私と同じく、この国に対する愛情がないということをおっしゃっておられた。そうなのである、私には、この国の民族としてのアイデンティティが希薄であると感じられるのだ。皆無であると言ってもいい。上田先生のおっしゃられた、「私は自分の民族に対して誇りを持っている人達を見ると、うらやましく思う。」と言う言葉に私は共感する。あまりにも急速に西洋の文化を吸収しようとした結果――反作用なのか、この国の人達には自分たちがアジアにおける民族の一つであるということ、日本という国でながい年月を経て育まれた文化をその血の中に受け継いでいるということを忘れてしまっているようなのだ。この国では、「愛国心」は右翼系団体の「言葉」であり、その団体を、思想を、喚起させる力が、私たちにその言葉を使用することを躊躇させる。私たちは、私たちが自分の国を、民族を愛する心を告白する際に、その言葉と何ら関係を持たぬはずのある種の「思想」に付きまとわれる可能性を恐れるのだ。こんなにおかしなことはない。

 講演が終り、私は民族学博物館の常設展を見る。オセアニアから、アメリカ、ヨーロッパ、アフリカを経て、アジアへと入っていく。最初はエキゾチックなものを見るように歩いていた私の心が、日本の文化に近づくにつれて変化していくのを明らかに感じていた、と思う。日本のブースには、東北のものらしい訛を持った年配の男性が、その妻と娘らしき人と一緒に、展示を――民具や住居の模型を見ておられた。その男性はしきりに「懐かしい、懐かしい」とおっしゃられ、私は彼のじゃまにならぬよう注意を払いながら、彼のそばについて、彼と一緒に見て回った。私はその時、彼に共感していたのだと思う。私は彼と感動を共有していたのだと信じる。私はその時、その男性の背後で、自分がこの国の文化の中にいるということを、自分がこの国の歴史の流れの中にいるということを、認識したのだ。一時の迷いのような感情であったが、その時私は確かに自民族の文化に誇りを抱いていたと思う。誇れる文化の中にいる自分に自信を感じていたと思う。

 またもう一度、ここに来たいと思う。今私はこの国を愛してはいない。


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公開日:2000.07.30
最終更新日:2001.09.02
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