民族音楽学講義イヴェントレポート最終回
水曜一時限一月十日提出

1995年12月31日日曜日
「第37回輝く!日本レコード大賞」
及び、
「NHK紅白歌合戦」

くたばれテレビ、死んじゃえ歌謡曲

盛り上がらなかったレコード大賞

 今年のレコード大賞は、いったいなんだったのだろうか。毎年紅白歌合戦へのつなぎとして見続けてきたのであるが、これほど盛り上がらなかったレコード大賞というのも、過去になかっただろう。普段はファッションショーにでも使っているのであろうか、非常に小さく、言うならば貧相な会場で、内輪の人間が交歓でもしているかのごとくに、だれのために発信しているかもわからず、聞いたことも無いような歌や歌手をただ紹介して、西田敏行など出演者だけが和み会うだけのような、下らない催しに成り下がっていた。

 何故、そのようなことを言うかといえば、それは、昔のレコード大賞はもっとおもしろかった、という思いが私のどこかにあるからに他ならない。昔は本当に大晦日と言えば家族で集まって、レコード大賞を見て、紅白を見て、年を越すというのがパターンであった。まだ子どもであった私などは、一年に一度の夜更かしを許された日、という特別の感情と、日本で最も権威のある二大歌謡ショーという、これまた特別の感情と興奮で、一年を終えるという一つの一大イベントを飾ることができたのだ。しかし、いつの頃からか紅白歌合戦はつまらないという評が立ちはじめ、さらに視聴率の低下を食い止めるためにとち狂った企画を連発したNHKの、それこそ努力の賜物によって、紅白歌合戦のみならず、日本の歌謡曲は力を失ったがごとくに言われるようにまでなった。

多様化する大衆と、消え去るテレビの力

紅白が、レコード大賞がつまらなくなったというのは、即ちだれもが楽しめるだけの歌謡曲が消え去ったということであると推測される。しかしこれは、日本の音楽産業が斜陽産業になったということではない。それを証拠に、現在もヒット曲は多く生み出されている。かつてテレビが娯楽の王様だった時代があった。テレビがまだ高価であり、現在のように各部屋、各個人に一台のテレビ、という生活がまだ考えもされなかった頃、テレビはまさに娯楽の王様であり、家族は居間、もしくは食堂に置かれたテレビの前で、共通の番組を見、共通の話題でもって団欒をした。しかし現在を見ればどうであろうか。急速に安価な家電となったテレビは、それこそ家庭の物から個人の物へと変わり、一気にその絶対数を増加させたテレビは、価格のみならず、価値さえも急激に下落させた。それでもまだ初期の段階であれば、テレビはメディアの王様であり、メディアの寵児としての位置づけを保つことができた。しかしその後もハイパーインフレーションの波に翻弄され続けたテレビは、さまざまな対抗メディア――CDやビデオ、家庭用ゲーム機器、ビデオ、そしてコンピューターなどの前に王座を明け渡すこととなり、今や多様なメディアの中の、ただの一種類でしかなくなってしまった。

 ちょうどそのようにしてテレビが個人が気軽に所有することのできる、言うなれば小物になってしまった頃からだろうか、メディアが個人、もしくはある特定の対象にのみ語りかけるものへと変化し始めたのは。その点レコードの直系の子孫であると言えるCDなどはまだよかった。彼らは昔から個別の特定化された趣味のためにも存在していたからだ。しかし、テレビという開かれたメディアにとって、その変化はまさに致命的であった。かつてはすべての人間、すべての層に向けて語りかけていたテレビは、個別に分かたれた特定の層に語りかけることとなり、しかしそういう文化を持たずに育ったテレビは、どのようにして語りかければいいかわからず、こともあろうに、最もそのメディアを利用する極一部の層にのみ語りかけることをしてしまった。そのため、歌謡曲と呼ばれたような音楽ジャンルは引き裂かれ、この世に存在することはできなくなり、今ではその残骸がラジオのナツメロや、テレビの喉自慢などにのみ見られるものとなってしまった。“シャ乱Q”と言って、どれだけの人間がぴんと来るだろうか、“H Jungle witf t”のHがだれでtがだれか、一体どれだけの人間が知っているというのだろうか。昔はそうではなかった。『ちびまる子ちゃん』という漫画があるが、そこでは小学三年生のまる子も、母親も、祖父友三も、ピンクレディーを聴き、山口百恵を聴いている。つまりそこには、家族という、あらゆる世代を内包せしめる存在にあまねく知られた歌が、歌い手が、そして語りかけることのできたテレビがあった。言うならば、歌謡曲が存在できるということは、テレビがそこにあったということなのだ。現在、国民的ヒットと言えるような歌謡曲がない、と言われ、そのことが紅白歌合戦などの歌番組が成立しないような理由とされる。しかし忘れてはならない。国民的ヒットを飛ばすような歌謡曲がないのではなくて、歌謡曲そのものが死に絶えたのだ。


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公開日:2000.07.30
最終更新日:2001.09.02
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