第4章を読み、この本のが思いのほかややこしい位置に立たされてことに気づいた。この本はもちろん音楽愛好家を対象としており、音楽をある程度専門的に学んでいる人間に対しては、語句の説明などが丁寧すぎるのは已むを得ない。しかし、音楽を普通にたしなむ程度の者に対しては、やや難しすぎやしないだろうか。
それはこの本がただ楽曲を解説し、紹介する目的で書かれておらず、かつ専門的な領域に踏み込まれているためなのだが、文の流れにおいて様式や用語を理解することが困難であることも一因であると思われる。例えば、第4章第二節でトリオソナタと弦楽四重奏が比較されるが、ここで引き合いに出されているトリオソナタと通奏低音のコンセプト、理念を理解するためには、第2章まで50ページ以上もさかのぼらねばならない。この様に本の中で説明されていることを理解するために、この本の中をかなり熟知している必要があり、熟知するためには一つ一つの語句、様式、用語の説明や流れを、理解する必要がある。このため、一般人に近い音楽愛好家が親しむには敷居が高く感じられるだろう。
しかし逆に今までの要素が、この本を、かなり音楽に対し入れ込んでいる音楽愛好家に対しては、読みごたえのあるものにしている。この本は、エキセントリックな内容や突飛な事柄を扱わず、あくまでもオーソドックスな位置を保ちながら、音楽に対するかなりの深い内容を多く包括しようとしているように思える。それは一つの音楽の時代をできるだけ詳しく語るためなのだろうが、そのことが内容の深度を増すこととなり、入門レベルに飽き足らない愛好家を満足させるものと、なりえている。また、このことが筆者の音楽に対する深い愛情をあらわしているように思えるのは、私だけであろうか。このことは、読者と表現者の間を近しくし、共感させる、大きな要素になると思う。