シリーズ 旅行けばイタリア

ミラノ

ミラノでの行程

一日目(土曜日)
マルペンサ空港→ミラノ北駅
二日目(日曜日)
ドゥオモ(屋上)サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会(最後の審判)→スフォルツェスコ城および美術館ドゥオモ(聖堂)
三日目(月曜日)
中央駅

ミラノの休日

 イタリア旅行の初日は、イタリア北部に位置するミラノ。かのプラダの本拠地であり、イタリアファッションの中枢。さらには世界一の眼鏡大国イタリアにおける最大拠点(本当)、眼鏡の聖地ともいえる場所なのです。いずれいかねばならないと思っていたミラノが、初の海外上陸地とできたのは、どこか因縁めいたものを感じないか? 感じませんね、次行きましょう、次。

印象ミラノ

ミラノ街並み ミラノはひどく落ち着いた、成熟した街という印象を持ちました。新しくできたミラノ北駅は赤や緑のあふれるポップでかわいい駅なんですが、それでもうわついた感じはまったく無く、あくまでも古い都市空間に溶け込んでいるのです。このあたりは、古いものも新しいものも、すべて自分の文化の延長上に存在するものとして、同じ文脈に配置できるセンスのたまものでしょう。

 都市は、石造りの建物が大道の左右に立ち並ぶ、非常に穏やかな景観。その建物の一階には店もあればレストラン、バールもあるのに、それらがひとつひとつ主張をしながら決して調和を壊さないという。街には路面電車が走り、少々ノスタルジーも感じさせるあたり、とても良い感じ。住むならミラノです。

ドゥオモ屋上

 ミラノには世界最大のゴシック建築、ドゥオモ(大聖堂)が。聖堂内部も見学可能ですが、屋上に出てミラノの街を一望することも可能です。屋上に上がるにはエレベーターも階段もありますが、どちらにしても一番高いところへは少し歩かなければなりません。上ったり下がったりで、ちょっと大変かも。

天使のガーゴイル でもその歩く途中には、たくさんの彫像がこれでもかと配置されていて、目を飽きさせません。彫像も素晴らしいのですが、面白いのがガーゴイル(雨どい)。ガーゴイルは悪魔をかたどって作られているのですが、その彼らが千差万別の顔を見せてくれます。見るからに悪魔といったものもあれば、天使もあり、またアヒルのようなのも。この屋上だけでも、ひとつの美術展覧会場といった趣きです。

 屋上から見るミラノの街は、やはりどことなくシックで派手さは少ないものの、それでも街の活気というのは充分に感じられます。ドゥオモ前の広場にはたくさんの出店がたち、大道芸人(白くて動かない人や演奏している人など)もあちこちで芸を見せてくれています。

 この出店でお勧めなのが、焼き栗でしょう。ちょうど時期もよかったのでしょう。焼いた栗は香りも甘さもふくよかで、とてもおいしかった。しかもそれが安いときています。もっと買って食べればよかった。なお、この栗売りはイタリア中で見かけました。ミラノだけの名物ではありませんので、あしからず。

サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会

最後の晩餐

 レオナルド・ダ・ヴィンチ作、名作と名高い『最後の晩餐』があるのが、サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会。しかし、ここは先の大戦で爆撃を受けて、破壊されてしまったとのことでした。無事だった部分をだけでなく、破片をさえ集め可能なかぎりの修復を行う、ヨーロッパ人の、ものを残そうという意気込みには感服しました。とはいえ、その破壊を招いたのもまた人の思惑があったわけで、人間というのはよい部分も悪い部分も合わせ持って、その微妙なバランスの上に成り立っているものなのだと、実感した次第です。

今日は売り切れ。 さて、この最後の晩餐があるのは教会の食堂だったところ。今はもちろん、食事をする場所ではありません。出入り口は機械仕掛けの二枚の扉で完全管理、総入れ替え制なので、確実に見たいと思ったら要予約です。でないと、涙をのむこと請合いでしょう。というのも、けっこう朝早くにいったにも関わらず、すでに入場券は売りきれていたくらい。人気に対し、キャパシティが小さすぎるといったわけです。

 入場すれば、いくつかの小部屋を経て例の食堂に通されます。そこはそれほど大きくない部屋ですが、照明の落とされた一種厳粛な雰囲気を漂わせる特殊な空間になっています。一方の壁面にはダ・ヴィンチの『最後の晩餐』。もう一方には同時代人の手によるイエスの磔刑図があります。その二つを見比べると、むしろすっきりとして派手さのない静的な『最後の晩餐』が、その見た目の静けさに反し充実した内実を持っていることが分かります。磔刑図がむしろより中世的様式に近いとすれば、晩餐はまさにルネサンス的であるといえばよいのでしょうか。

 『最後の晩餐』に描かれている題材は、イエスが晩餐の席で十二使徒に向かい、この中から裏切り者が出るだろうことを告げた、聖書の一エピソードによるものです。その予言は後に成就され、使徒――イエスの弟子であるユダがイエスを銀三十枚で敵に売ります。後にユダはこの行いを悔い首を吊るのですが、かくも人は昔から善と悪の間に揺らいできたのでした。

ミサ

 晩餐の間を辞した後、教会の聖堂に立ち寄りました。今日は日曜日なのでミサが執り行われていて、いやがうえにも厳粛さは高まります。

 僕はキリスト者ではないのですが、それでも今まで勉強してきたものの背景に、常にキリスト教の影が反映されていたせいで、キリスト教、とくにミサに対しては強い興味を持っていました。信者の列にそって祭壇にいくと、堂内にはたくさんの人が祈っています。それは、祭壇に向かってでもあり、聖堂脇にかかげられた聖画に対してでもありました。信者の列は聖体拝領に続くものだったので、僕は結局途中で辞しました。その際、聖画に描かれたキリストに祈ってきたのですが、果たして一神教の神は異教徒の祈りなぞを聞き届けてはくださるでしょうか……

スフォルツェスコ城あるいは聖セバスティアヌスとの出会い

スフォルツェスコ城 スフォルツェスコ城はミラノ北駅の隣、街中高くそびえる時計塔が目印です。場内には美術館、エジプト美術館(略奪品?)、楽器博物館など、さまざまな展示がなされており、しかもそれらはすべて無料で開放されているという次第。展示会目的でなくとも、場内および城周辺には広場があって、人々の憩いの場所になっていました。これはミラノだけにかぎらず、ヨーロッパの都市には要所要所に広場があって、そこが市民のよりどころとなっています。日本でいえば、寺社境内といったところ、だったのでしょうか。今は見る影もありませんが。

美術館

 スフォルツェスコ城美術館の見物は、ミケランジェロの遺作である『ロンダニーニのピエタ』やダ・ヴィンチが描いたという天井画。その他諸々、美術品は山ほどあります。また調度品や宗教画の類いも多く取りそろえられており、まさに圧倒の感がありました。

 その宗教画コレクション。なかでも目を引いたのは、聖人たちの殉教を描いたものでした。頭にナタがささっている人、落とされた自分の首をお盆に入れて持っている人、そして全身を矢に射られている人。この最後が、聖セバスティアヌス。名を知ったのは後のことでしたが、彼の姿はもうこの一日でばっちり目に焼き付いたのでした。

 武器コレクションの間も発見。山ほどの武器、鎧、盾、そしてピストル。近代兵器は皆無ですが、中世武器好きの僕としてはもううはうは。何周もしました。

 さて、ミケランジェロ『ロンダニーニのピエタ』。もちろん遺作だもんで、未完成です。ですが、未完成でありながら表現は力強く、むしろルネサンス的均整から逸脱した粗削りの魅力にあふれていました。その顔つきはモディリアーニを彷彿とさせます。プリミティブな迫力に満ちた作品。ミケランジェロの名がなかったとしても、充分人を立ち止まらせるに違いないでしょう。

エジプト美術館と楽器博物館

 美術館に併設して、エジプト美術館と楽器博物館もあります。エジプト美術館は、おそらくエジプト遠征かなにかの折りに略奪してきたものが展示されているのでしょう。巨石、彫刻の類いがやはり数多く収められていて、圧倒は圧倒しますが、残念ながら先ほどの美術館の後では、少々見劣りして感じられるのも事実でしょう。

 楽器博物館も同様。数多くのヴァイオリン、ヴィオラの類い。さらには小オルガンやチェンバロ、管楽器、民族楽器まで所蔵されていました。が、残念なことにそのどれも保存状態が悪く、弦は伸び伸び、管楽器に至っては割れも甚だしく、クラリネットのマウスピースが上下逆向きに付けられているというお粗末さ。チェンバロのアクションもがたがたなら(弾いてないけど、見て分かるほどだ!)、弦もばりばりに切れて見ていて悲しくなるほどでした。

 楽器は、音が鳴ってこそ意味のあるもの。博物的、展示的価値があることも否めないのですが、それでも音も鳴らない形骸――死骸だけが展示されているという状況には、正直落胆です。

 とかいいながら、いかにも怪しくさい日本の楽器を見るのは、おそらく昔無知なコレクターがだまされて売りつけられたんだろうなと、そんなことを思ってしまう楽しみも。いや、それはそれでレベルの低さを暴露してるんですが……

 さらに服飾博物館もあったのですが、さすがに疲れ果ててリタイアしました。

ドゥオモ礼拝

 昼食(ジェラートだけでお腹一杯)をとって、再びのドゥオモ。今度は聖堂内です。

壮大なるドゥオモ ドゥオモはミラノの街の中心をなす建物だけあって、さすがに壮大です。ステンドグラスからの明かりに照らされた広い空間に響くオルガンは荘厳で、別世界に紛れ込んだかのような錯覚さえ。壁画や床、天井の装飾も豪奢。これが、キリスト教会の力であったのだなと、改めて実感して恐れ入りました。

 ですが、それらよりもなお僕を引き付けてやまなかったのは、この時間まで行われていたミサでした。オルガンはミサのために鳴らされていたのです。司祭が壇上で聖なる言葉を唱え、信徒がその言葉を受けて唱和するという、それだけのことの厳かなさま。聖歌(KyrieとSalve regina)も聞くことが叶い、まさに感無量でした。

 住むならミラノ。もしミラノに住むことになったら、キリスト教に改宗するかも知れない、それもミサのためそれだけで……なんと罰当たりな……

おまけ

ミラノのトラム ドゥオモから出れば、もう街は夕暮れさしせまる時刻でした。露店で栗を買い、ヴィットリオ・エマヌエーレ二世ガレリアを通り抜けながら、いったんホテルに帰還。ショッピングはなしです(って、日曜日なので、主要な店舗は軒並み休みなのさ)。そして、夕食に繰り出しました。

 夜のミラノ市街の雰囲気にうたれながら夜の教会を眺めていると、そこへどこかからの呼び声が。レストランです。日本語です。教会祈るところ、ここは食べるところという、ユーモラスなジェスチャーに心を許して、ふらふらと寄ってしまいました(あぶない?)。

 店内は、非常にモダンなレストラン。イタリアの家族連れもたくさんで、安心できる雰囲気。これだけ地元の人が来るならば、味に問題はないでしょう。

 イタリアの一皿は、日本人には多すぎると聞いています。とのことで、ピザとリゾットだけを頼み、飲み物はもちろんワインさ。ハウスワインを頼めば、安くてたくさん飲めます。それに、このハウスワインがうまいんだな。ハウスワインを頼むときは、ワインの種類の後に、イン・カーザ (in casa) を付ければそれでオッケー。いや、ハウスワイン・プリーズでも通じるだろうけどさ。イタリア語でワインを頼むなら、白ならvino bianco、赤ならvino rosso。これにペル・ファボーレ (per favore) を付けて頼みましょう。おすすめは、カラフェ(英語ではデカンタ)です。イタリア語ではカラッファ (caraffa) といいまして、これ一杯ならウナ・カラッファ、半分(ハーフボトルぐらい)ならカラッファ・メッゾといいましょう。グラス一杯なら、ウン・ビッキエーレ (un bicchière) 。これさえ分かれば、イタリアのレストランは完璧です!

 もとい、ピザとリゾット。案の定すごい大きさできまして、食べきれませんでした。今回は一人旅ではないのに、それでもリゾットを残す。すまねえリゾット、まずかったんじゃないんだ。油が強すぎたんだよお。

 そんなこんなでミラノは終わり。翌日は、朝一でヴェネツィアに出立です。


聖セバスティアヌスって?
ローマのディオクレティアヌス帝の親衛隊でありながら、禁制のキリスト教を信仰していた人。発覚後処刑。その処刑法は、全身を矢で射るというむごいものでした。ですが、辛くも命をとりとめます。とはいえその後再び刑に処せられ、今度は棍棒で撲殺されたんだそうで……

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公開日:2001.10.27
最終更新日:2001.11.18
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