シリーズ 旅行けばイタリア

ヴェネツィア

ヴェネツィアでの行程

一日目(月曜日)
サンタ・ルチア駅→サン・マルコ広場サン・マルコ教会ドゥカーレ宮殿リアルト橋
二日目(火曜日)
リアルト橋界隈→サンタ・ルチア駅

見渡せば水ばかり、ヴェネツィア

運河が広がる イタリア旅行、第二の都市はヴェネツィアです。水の都と呼ばれる通り、大小の運河が地区地区を繋ぐ、風光明媚な観光都市です。なにしろ、鉄道駅を出たそこがすでに大運河。そこから船が出ていて、運河沿いの建築物や生活風景を眺めながら、目的地にまで行くことができます。船の旅は快適ですっかり開放的な気分になれる、とはいうもののしっかり船酔いもできて後の行程に少し障害が……

 ヴェネツィアの地盤は、年々沈下していっているのだそうです。いずれ水に沈んでしまう(?)かも知れないので、いくなら早いうちに。僕も、ヴェネツィアが沈むとなったら、その前にもう一度、絶対にいきます。どんなことがあっても、必ず。

サン・マルコ広場

鳩まみれの家族 船で降り立ったのは、サン・マルコ駅。サン・マルコ広場のすぐそばです。降りて最初に目に付くのが、鳩。これがまたたくさんいて、鳩のいるところには、当然のことですが、鳥の餌売りもたくさんいて、そうなるとまた当たり前の光景として、鳩まみれの人が山といます。鳩まみれ。素晴らしいですね、憧れます。けれど、僕はちょっと躊躇してしまって、他の家族が鳩まみれになっているのを見て楽しんだのでした。

 サンマルコ広場は、一方をサン・マルコ教会、残る三方を建物にぐるりと囲まれた角形の広場。あちこちにオープンテラスのバールがあって、店の提供する楽団の音楽がそこかしこから聞こえるにぎやかな場所です。広場の真ん中には出店もあって、やっぱり白くて動かない人も。昼食は、その広場にあるバールで、サンドウィッチでした。

 その日、イタリアは快晴。ぬけるような青空の下に、金色に輝く聖堂を見ながらの食事。目の前には、ジャズを演奏する四人組。ちょっとした非現実感が嬉しいが、それだけのお金はしっかり取られた。ヴェネツィア、さすが観光都市だけあって、金銭に関してもしっかりしてます。

サン・マルコ教会

サン・マルコ教会、ファサード ヴェネツィアを代表する教会が、このサン・マルコ教会。一見アジア風な外見を持つこの聖堂は、内外を金色のモザイクで飾られて燦然と輝いています。教会内部にも太陽光が入り、意外なほど鮮やかにモザイク画を映えさせていました。様式的に見てミラノのドゥオモより数世紀さかのぼるサン・マルコの大聖堂は、壁画の畳みかけるような平面的表現の圧迫感において、また金箔を多用することで生まれる絢爛さにおいて、他の教会にはない独特の雰囲気を持っていました。ただ、教会自体は非常に古いものなので、少々ぼろっ?という感じもしないでもありません、それがまた非常に良い味を出しているのですが。

 地下の宝物殿にもぐりました。そこは、サン・マルコ教会をモチーフにした小箱やガラス器、また聖人たちの遺物が収められた特異な空間でした。こういった聖遺物の類いは、人によっては受け付けないという人もいらっしゃるでしょう(だって、頭蓋骨とかあるし)。ですが、僕はこういうのはかなり好きなほうなので、以後も宝物殿には入ろうと決めたのでした。

サン・マルコ教会とカメリエーレたち 地下の後は、二階のテラスへといきました。テラスへゆく途中には像や法衣が展示され、さらにその奥の奥には、中世のマニュスクリプト――本物の四線譜!が展示されていたのです。まさかこんなところに写本があるとは思っていなかったので、虚を衝かれ度肝を抜かれ、すっかり興奮してしまいました。印刷では見たことのあるものの、本物の写本は想像以上に大きく、迫力に満ちたものでした。僕はその足で教会のブックショップに急ぎ、楽譜の載っている本や絵葉書はないかと聞いたらば、残念ながらないということでした。

 しかし、中途半端なイタリア語しか話せないにも関わらず、なにかを人に伝えたい、また知りたいという情熱があれば言は通じるものであるなと実感させた出来事でした。

 そのブックショップの兄さんが面白い人で、にこにこしながら、僕が少しイタリア語を話せるように自分も少し日本語がわかるんだ、と。さすが観光地というかさすが商売人というか、でもこうして少しでもコミュニケーションがとれれば旅はずっと楽しくなります。旅はやはり面白いなと。

ドゥカーレ宮殿

 ドゥカーレ宮殿は、ヴェネツィア共和国の政治の中枢してあった建物で、現在では美術館にもなっています。美術館とはいえ、掛けられた絵があるというわけではないのです。その建物自体がすでに美術品の様相をなしていて、階段や廊下、各室を彩る壁画、彫刻、天井画が実に見事。巨大な二つの地球儀や、壁一面に地図が描かれた部屋などを見れば、ヴェネツィア共和国がどれほど強大な権力を有していたかが分かるというものです。

溜息の橋 ドゥカーレ宮殿は、政治や司法の機能を担っていたために、大会議室や裁判所といった多くの部屋があり、また別館には牢獄までが存在します。宮殿本館と別館牢獄を繋ぐのが、有名な溜息の橋。橋といっても、壁も屋根もある廊下橋で、下を流れる運河は小さな薔薇様の格子からしか見えません。窓がないため廊下は当然ながら薄暗く、その暗く冷たい廊下を窓外からの陽気なカンツォーネを聞きながら渡るとなれば、囚人ならずとも暗鬱な気分になること請合いでしょう。やっぱり、悪いことはいけません。

 実は、ドゥカーレ宮殿には悔いがあります。イタリアではブックショップ(ミュージアムショップ)が美術館の入ってすぐにあるのが一般で、ドゥカーレ宮殿でも同様でした。ドゥカーレ宮殿に入ったのは夕暮れに近い時間で、鑑賞している途中で時間切れになってはたまらないと、ブックショップの物色を早々に切り上げたのが大失敗でした。

 集めている本があったのです。それは、I bambini alla scopertaというシリーズで、子ども向けの観光ガイドといったようなものです。ミラノでそれを見つけ、イラストのかわいさとわかりやすさがすっかり気に入ってしまったので、訪れる全都市のものを集めようと思った矢先、まさか帰り際のブックショップが閉まってしまっているだなんて! ここ以外にもあるだろうと、その日も翌日も、また後日程の都市の書店でも探したのですが、ここで買いのがしたVeneziaはどこにも見当たりませんでした。

 欲しいものは見たときにゲット。旅に、日常に関わらず、あらためての教訓です。

鐘楼に上る

 サン・マルコ教会のファサードすぐ前、広場に入ろうというところにその鐘楼は立っています。高さは九十六メートル。時を告げる鐘は今も現役で、エレベーターを使って、鐘楼に上ることも可能。となれば、上らないわけにはいきません。

 定期的に昇ったり降りたりを繰り返しているエレベーターには、一日中エレベーターを動かし続けてうんざりしているのか、くたびれた男が乗っていました。ドアの開け閉めや昇降のボタンを押す彼は無表情で無口だったのだけれども、挨拶をすればにこりと笑って挨拶を返してくれます。こういうところは、とにかく挨拶ではじめ挨拶で終わるヨーロッパらしい。挨拶だけで、ぐんと人が身近に感じられるようになります。

 エレベーターはゆっくりゆっくりと昇っていきます。その時に、ちょうど六時にでもなったのでしょうか。鐘楼の鐘が鳴りはじめました。とんでもない大音響が狭いエレベーター内に響き渡って、頭ががらんがらんします。エレベーターが鐘楼展望台につけば、頭の上を巨大な鐘が大きく揺れて、まさに時を告げている最中でした。

 その音や、恐ろしいほどの音圧。これほど近くで大鐘を見るのははじめてのことで、それだけで嬉しいものです。鐘には触らないようにとの注意書きがあったけれども、誰があんなものに触ろうなんて思うんだ? とにかく馬鹿でかい鐘で、それが動いているときに触ろうなんてすれば、跳ね飛ばされること必至。下手すりゃ死にかねません。

鐘楼から見るサン・マルコ教会、街並み、運河 新しい街に来れば、とりあえず高いところに上ることにしています。高所から見渡せば、その街独自の顔を見ることが出来る、そんな気がするからです。南を見ればすぐそばまで大運河が迫り、北は、随所に教会や尖塔を点在させる市街を、そして蛇行する大運河を望むことが出来ます。眼下には夕暮れの広場。広場は人もまばら、あちこちに灯を点しはじめていました。そろそろ日が暮れます。暗くなる前にと、鐘楼を後にしました。

リアルト橋への道程

リアルト橋へ向かう路地 今夜のホテルはリアルト橋そば。サン・マルコ広場から狭い路地(?)を通って、リアルト橋まで向かいます。道の左右にはヴェネツィアン・グラスやマスケラ、服飾、装身具、文具を商う店が、ずらりと並んでいます。そのどれもが一人とか二人の店員しかいない小さな店で、でもそのどれもが個性的でかわいらしい、魅力的な構えをしています。冷やかしだけでも楽しいし、買うとなったらもっと楽しい。とはいえ、財布の口は締めてかからないと、後で請求がえらいことになります。なので、買い物はほどほどに……

 欲しいものはいくらでもあります。なかでも興味を引いたのが、文具店でした。その文具店は、革装の書籍を模したメモやアルバム、ペンやステンシル、シール(貼るやつではないぞ、封蝋を押すやつだ)、便箋や封筒の類いを商っていて、こじんまりとしたいい雰囲気の店でした。なかでもヴェネツィアン・グラスのペンセットは、見た目もかわいらしく、正直買おうかと思った。けど、最近はとんと手紙を書く機会もなくなってしまったので、せっかくの道具を使わず死蔵することになりそう。よって、泣く泣く断念。結局この店で買ったのは、サン・マルコ教会で見た四線譜をモチーフにした鉛筆としおりでした。でも、日頃読んでいる本のサイズに対してしおりはかなり大きくて、ちょっと使えないかな。

 イタリアの店は、どのような店であっても、挨拶から始まります。日の出ているうちはブオン・ジョルノ (Buon jiorno) 、日が沈んだらブオナ・セラ (Buona sera) 。さよならはアリヴェデルチ (Arrivederci) です。イタリアに限らずヨーロッパでは挨拶は基本なので、店に入ったら挨拶するよう心がけましょう。店でもレストラン、バールでも、さらにはチケットカウンターでも、とにかく挨拶です。僕はパスポート・コントロールでも挨拶していた(フランクフルトだったので、ドイツ語だったけど)。

 挨拶の効用は大きいですよ。明らかに、お店の人は優しくなります。いわなかったら無愛想ということは絶対にないだろうけれど、挨拶だけで一歩の距離が縮むのなら、しなきゃ損という気にはなりませんか? 実際今回の旅では、挨拶の効用を実感しました。日本では自然に挨拶を交わすという文化が失われようとしているので、寂しかったり物足りなかったり。いかんよ、やっぱり挨拶はせんと。

 ところで、イタリア語で挨拶をしたことで、イタリア語がわかる人なんだと思われたりすると大変です。ものすごい勢いのイタリア語が降り注ぐことになります。うひー、わかんねー。この話は、また後日。

リアルト橋そして夕食

 リアルト橋は、ヴェネツィアを南北に流れる大運河に掛けられたアーチ状の橋です。橋に着いたのは夜だったので、橋の上に並ぶ店舗はもう閉まっていたのですが、レストランやバールといった飲食店は、夜を昼に照らさんとするが如きの活気をもって営業していました。

 橋を降りて運河べりを歩いていると、何人もの客引きが声を掛けてきます。レストランにゴンドラ。しかも、そのほぼすべてが日本語で声を掛けてくるのだから、商魂たくましいというかなんというか。頭が下がります。

 ヴェネツィアではイカ墨のパスタが食べたいと同行者がいうので、レストランの門前に掲げられたメニューをのぞき込んでイカ墨のパスタを探します。そうしたら案の定客引きがやってきました。六十絡みのその客引きは言葉巧みに席に着くようにと勧めるのですが、とりあえず望むパスタがあるかどうかだけは確かめなければならない。

 イカ墨のパスタがあるかと聞いてみました。ア・スパゲッティ・コン・ネロ・ディ・セピア? (Ha spagetti con nero di seppia?) 。そしたら、イカスミー? だって。あるんだそうで、しかも日本人はみなイカ墨のパスタを食べたがることはリサーチ済みのようでした。

 この店でよいだろうと席に着けば、注文を取りに来たのも先ほどのおやじさん。とりあえずイカ墨のパスタを注文するのだけれど、判で押したような日本人と思われるのがとてつもなく嫌だったので、彼女がイカ墨のスパゲッティを欲しいといっていますと、人のせいにして注文します(実際そうだし)。メインの皿を頼む段になると、おやじさんがまたまた言葉巧みに魚料理を勧めてきます。フィッシュ・フレッシュ、そしてロブスター。そんなに多くは食べられないといえば、スパゲッティ・スコシスコシ、インサラータ・スコシスコシ、ロブスター・スコシスコシ、オッケー? つまりは、三品頼んでそれを分けろというのです。三品ならそれほど高くはならないだろうとオッケーすると、しばらくしてものすごい大皿に、パスタとロブスターと魚の丸焼きを乗せて見せに来ました。これが皿に取り分けられてやって来ます。

 それほど量は多くなかったのだけれども、やっぱり食べきれませんでした。量が問題なのではなくて、料理の性質が問題でした。普段、油っこいものやなんかを食べ付けてないので、胃に重くのしかかります。料理自体は、さすがに食の国イタリアだけあっておいしいのですが、やはり魚に関しては日本の方がずっとうまい。イタリアの魚は大味です。繰り返します。魚は日本のが旨い! 食事を終えたころに、お決まりのドルチェ(デザート)の注文を取りに来ます。けど、もうなにも入りません。なんで、イタリア人はあんなによく食べられるのだろう? というわけで、エスプレッソ。イタリアは、コーヒーもやたらとおいしい国なのです(しかも、やたら濃い)。

 しかし、勘定でまたまいった。やたらと高いのです。チャージが高い、一品一品が高い(特にロブスター)。正直、あのやり手おやじにやられたなと思いました。ヴェネツィアは観光都市なので、全体的に値段が高めなのはしかたないとは思います。けれど、ここまでとは。いわれるままに食事を注文するとえらいことになります。皆さんがヴェネツィアにいかれるときには、ぜひご注意を。なお、日本人はティラミス好きというのもリサーチ済みでした。

リアルト橋界隈

リアルト橋界隈、露店 リアルト橋を中心とする一画は、街路の左右にずらりと店舗を従え、それでも足りないとばかりに路上にも出店が並ぶ、一大買い物界隈です。貴金属あります、革製品あります、ガラス細工あります、マスケラあります。お土産を求めるなら、ここでなんでも揃うかも知れない。

 リアルト橋界隈での買い物は、値段交渉という楽しみもあります。ひとつふたつと欲しいものを選んでいって、値段を聞いてみるまではどこの店でも一緒。そこで、少しまかりますか? というひとことから値引きの交渉は始まります。といっても、あまり粘り強く交渉を繰り広げてもしかたないので、大抵はそのひとことで終わるのですけど。大抵の露店では、けっこうあっさりと値を引いてくれていい感じ。マスケラを買ったときなんかは、思った以上に値引きをしてもらって、かなり嬉しかった。

 イタリア語で「いくらですか?」は、クアント・コスタ? (Quanto costa?) 。「少しまけてください」は、ウン・ポ・ディ・スコント,ペル・ファヴォーレ (Un po' di sconto, per favore.) です。なんでもかんでもまけてもらうわけにもいきませんが、このひとことで少しでもまかるなら、またお店の人とのコミュニケーションもはかれるのなら、いってみたほうが絶対いい。イタリアを満喫してるな、と思えること請合いですよ。

 ただし、ちゃんとした店舗で値引き交渉は一度も成功しませんでした。うちは小さくて大変なんですといわれてしまいました。値引きは露店だけのものなのかも知れません。

 買い物で大事なのは、挨拶とお礼。昼Buon jiorno、夜Buona sera。ありがとうはグラーツィエ (Grazie) です。ありがとうにつきものの、どういたしましても覚えましょう。プレーゴ (Prego) です。ついでに、質問しようとして呼びかけるときなんかは、スクージ (Scusi) なんかも使えるでしょう(英語のExcuse meです)。これらは、リストランテやバールでも使えますね。

船に乗って駅に向かう

リアルト橋から見る大運河 ヴェネツィアの主要交通手段は船です。大運河を水上バスが定期的に走り、観光客だけではなく通勤手段としてもしっかり利用されています。船といえば、貨物も船が運んでいました。飲み物や食べ物のパッケージを満載にして走る船を、何艘も見ることが出来ます。陸揚げした後はトラックなんでしょうが、それまではおそらく運河を船で運ぶのが最も効率的なのでしょう。

 リアルト橋付近のバス停から船に乗って、駅に向かいます。駅からサン・マルコ広場まではけっこう時間がかかったので、用心して早めに出たら、あっという間についてしまいました。というわけで、駅周りの散策です。

 駅周りは、観光地というよりも普通の街といった顔を見せています。たしかに露店もたくさん出てただの商業地ではないのですが、それでも市街中心部に比べるとずっと生活臭が強くなってきます。明らかに地元の人を対象にしたような商店があって、それが大規模小売店じゃないのです。個人商店の味わいは、洋の東西を問わずいいものです。

 本屋に行ってみました。目当ては、ドゥカーレ宮殿で買いそこねたヴェネツィア本なのですが、それがどこにも置いてません。あのシリーズは、美術館とかでしか商ってないのでしょうか。その本屋は、CDやちょっとした楽器、文具なども商っている洒落た店でした。安くてギターが売っていたので、危なく買うところ。でも、ここでギターを買ってしまっても持ち運びにも大変だろうと、ぎりぎりで思いとどまりました。正解だと思います。

 発車時刻が近づいてきたので、駅に向かいはじめます。途中、食料品店の店先に1.000リラで水が売られているのを発見。安いと思って二本買いました。一本はガス無し、一本はガスありです。この後、いろいろな街のいろいろな店で水を買いましたが、この店の1.000リラが最安値。水一本を1.000リラで売っている店があったら、買い、です。水はけっこう飲むことになるだろうので、多めに買っとくことをお勧めします。

おまけ:内緒の話

夜のサン・マルコ広場 サン・マルコ教会からリアルト橋に向かう途中の文具店。その店にひかれたのは、たしかに革装丁の文具が山と詰め込まれた棚の素晴らしさだったのですが、実は店員さんが非常に好みのタイプだったというのは内緒です。

 そのお嬢さんは最初座っているのだと思ってたのだけど、店に入って挨拶をしたら実は立っていた。イタリア人って、けっこう小柄です。その人は、うろちょろしている観光客の一挙手一投足にはらはらしながら、あたふたと接客。その健気で儚げな雰囲気が非常によかった。うん、実によかった。

 ヴェネツィアの夜は、やり手おやじのペースにすっかりのせられた悔しさもあったのだけれど、このお嬢さんのことが原因で少々寝つきが悪かった。同行者がイタリア語を分からないのをいいことに、イタリア語でいろいろとコミュニケーションをはかりたいなと思ったりなんかしているうちに朝。イタリア二日目からこの調子で、残りの日程もつのだろうか?

 翌朝、同行者が昨日の文具店に行きたいという。やっぱり、ガラスペンのセットが欲しいのだそうで、これこそまさに渡りに船。コミュニケーションのチャンスではありませんか。意気揚々とサン・マルコ広場方面へ。近づくごとに考えることが増えていきます。昨日の店、昨日の店と探して、ついに見つけた――らなんと閉まってました。朝十時開店が、その日に限って午後一時半に開けるという案内が……

 ショックはショックだったけど、仕方があるまいか。世の中なんて、こんなもんです。


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公開日:2001.10.29
最終更新日:2001.11.18
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