二千三年十一月

文化の日

 十一月三日は文化の日だ。1946年に交付された平和と文化を重んじる日本国憲法を記念して、1948年に制定された。しかし戦前、十一月三日は明治節と呼ばれる祝日だった。その日は明治天皇の誕生日である。このふたつの祝日は公的にはなんの関連もないのだが、日本人の多くは関係あると思っている。文化の日を明治節、みどりの日を昭和節に戻そうという運動は、その日が明治天皇誕生日と見なされているよい証拠である。

 明治は日本にとっての一大転換点であった。1853年、ペリー提督率いる黒色の軍艦四隻を見た日本人は、自分たちが欧米にあまりに遅れていると認めた。彼らは自らの国をともにヨーロッパの国々に加わるのだと決意し、アジアそして自国を去っていった。

 明治は1868年に開かれた。日本は本格的に欧化を開始し、この時すでに伝統の技芸は時代遅れであった。日本らしい暮らし向きは、だんだんにではあったが追いやられた。過去の日本はよき趣味を持っていたというのに。衣服に、食に、住まいに、文芸、音楽、振る舞いそして生き方に。我々はそれらを忘れようと百五十年の間努力に余念なく、ついにほとんどそれに成功している。今や日本に日本は跡形もなく、だからここは二流の西洋である。これが我々のいう文化である。

(初出:Les douze mois au Japon, mais selon moiオリジナル:フランス語)


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公開日:2003.11.12
最終更新日:2003.11.17
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