四月二十九日は、昭和天皇を記念するみどりの日だ。以前は天皇誕生日だったが、天皇がいくつもの植樹祭を行ったことで、天皇の死後この日はその名で呼ばれている。
戦後の人々同様、天皇家への敬意に欠ける私だが、昭和天皇のことは嫌いじゃなかった。優しいおじいさんみたいに思っていた。天皇のために旗を振ったことはまったくなかったが、なぜだか知らないけれど一方的に親しみを覚えていた。天皇が重い病にふせっていたとき、私はひそかに容体を案じていた。
昭和最後の年の元日、神社にお参りして私は、参詣の人込みの中に記帳の台があるのを見付けた。帳面に自分の名前を書き入れて、これは天皇の回復祈願だった。ページにたくさんの名前があるのを見て、私も自分の名前を書き加えた。単純な祈りであった。
その日から数日して、私は悲報を聞いた。天皇が亡くなられた。国中に喪の雰囲気が立ちこめるのを見た。テレビには笑みも朗らかさもなく、私はソ連の書記長の葬列を思い出していた。本で知った昔の日本にいるようで、夢でも見ているようだった。
(初出:Les douze mois au Japon, mais selon moi,オリジナル:フランス語)