本日は札幌を抜け出して小樽へ行くという計画。旅先では早起きというのが僕のいつものパターンだから、今日は七時起き。七時起きが早いか遅いかというのはこの際おいておいて、とにかく起きてみて驚いた。街が真っ白! 昨夜降った雪が一晩で積って、窓の外はえらいことになっていました。
ホテル前に見るサッポロファクトリーはすっかり雪に覆われて、雪掻きをする人やブルドーザーなんかも出動していて、今まで見たこともないような光景になっていました。しかし驚いたのは景色ではなくて、札幌の人はこの雪をもう普通のことと受け止めて、通勤の人も車も、なんのことなしに淡々と進んでいる。関西でこの積雪なら交通機関は麻痺します。それが札幌では数センチの積雪もものともせず車が往来する。危ない。いや、ここの人にはこれが日常なのでしょう。
街に出てみると雪は想像以上でありまして、数センチなんてもんじゃない。十センチは軽く超えている雪です。自動車教習中に習った停止線の標識。見事役立っていました。見えないのは停止線だけじゃなくて、横断歩道も見えなければ、恐ろしいことに車道歩道の境が分からなくなってしまっています。そんなわけで要所要所に境目を示す赤白のポールも立っていて、でもドリフトしながら曲がっていくタクシーを見た時、暴走車相手にはポールもなんの役に立つものか。道が広いからなんとかなっているけど、ここで車を走らせるのだけはごめんだと心の底から思いました。教習所とかどうしてるんだろう…… 積雪路面教習?
車は前車のつけたわだちを進み、人は前者の漕いだ跡を歩きます。でも自転車の車輪跡が残っているのはどうしたことか。乗ったのか? この雪の中を!? 北海道の人と雪との関係は僕なぞには分からないのでありました。
でも、北海道、気温がかなり低いものだから、これだけの雪の中歩いても雪がべとつかなくてほとんど濡れないのだからたいしたものでした。建物に入って暖まってはじめて雪が融けるという感じ。しかも建物の中はかなり暖かいのでありますから、もし住まわねばならんとなれば札幌は住めると実感したのでありました。
さて本日の予定は小樽行きなのですが、その前に北海道庁旧本庁舎に行っておきたいと思います。
北海道旧本庁舎は赤れんが造りの立派な洋館。有名な建物なのでご存じの方は多いでしょう。左右及び正面後ろが奇麗な対象になっていて、そのせいでしょうか安定感のある穏やかな表情をしています。その洋館が雪のなかにつつましくあるところを見られるというのは、ちょっと幸運だったかも知れません。まだ朝早いこともあって建物前の雪もそれほど踏み荒らされておらず、吹雪く中ゆったりと、けれど雪を踏み踏み楽しく見ることができました。
朝早いと言いますが時間は九時前、それほど早いわけではありません。旧本庁舎の裏手にある現在の庁舎に急ぐこれからお仕事の面々、そして旧本庁舎詣での観光客がたくさん見えて、結構にぎやかだった。それが落ち着いて感じられるというのは、僕が時間に追われていないこととやはり雪がしんしんと積っていたためと言えるのではないでしょうか。
旧本庁舎の屋根に設けられた窓窓には、北海道の印でしょう、赤い五芒星が掲げられていて、そう言えば五稜郭も星形だったか。北海道は星形に縁があるのでしょうか。いつか機会があれば五稜郭にも行ってみたいものであります。
旧庁舎敷地内の池には鴨がいました。すっかり氷に覆われた池、わずかに空いた水面に鴨が泳いでいて、寒くないんでしょうか。ともあれ雪、凍った池に泳ぐ鴨と、なかなか情緒深いのでありました。
JR札幌駅に着いて、とりあえず朝食を食べなければ一日が始まらない、なにかいいお店がないかと駅構内をぶらぶら。お、そう言えば今日は十三日。まんがタイムラブリーの発売日ではありませんか。駅構内には雑誌ばかりずらりと並べて販売しているスタンドがあって、ちょうどいいここでラブリーを買っていこうと思ったら、なんとラブリーが並んでいなかった! なんでか? 店のおばちゃんに聞いてみよう。
店のおばちゃんが言うことにゃ、北海道ではだいたい十五十六日あたりに並ぶんだそうですって。なんと、札幌ほどの大都会であってもそうなのか。正直ショックでした。全国一斉とまでは言わなくても、札幌は都会だと思ってたからあるとばかり思っていたのに……
その後あきらめの悪い僕は、駅駅のキオスク、街角のコンビニを見ればラブリーを探すのでありました。だからないんだってば。
ともあれ朝食です。どこかよさそうな店がないかなと駅構内をふらふらしていたら、発見しました、味の時計台! 札幌駅構内にもあったとは思いませんでした。昨日のラーメン屋求めて何時間もさまよった死のロード、一体どうしてくれよう。たって、昨日見つけてたとしてもきっと入らなかっただろうけどさ。
結局入ったのはどこかのホテルが出店しているパン屋さんでした。普通にパンを買ってもいいし、店内で食べてもいいわけです。モーニングセットを頼んで、店内で朝食です。パンふたつを選んで、小さなオムレツとサラダ、スープがついてきます。これにチーズ入りの丸パンを追加して、これが今日の朝食になりました。
女高生や出勤途中のサラリーマン、OLと思しき人たちもたくさん入っていて、結構繁盛しているようでした。このパン屋さんでのモーニングというのは僕の日頃にはないものだったので、ちょっと非日常気分。悪くない感じでした。
JR札幌駅から電車に乗って約四十分。やって来ました小樽。小樽といえば石原裕次郎です。駅のそこかしこに石原裕次郎のメモリアルがあって、等身大のパネルまであったのにはさすがに驚きました。僕はその世代ではないのですが、かつて日本中が彼を愛した時代というのはあったのかも知らんと、ついぞ見ぬかつての昭和を垣間見た気分です。
小樽駅はプラットフォームの柱柱に硝子製のランタンを取り付けて、旅情を演出することに余念なく、むかい鐘という小さなベルもまた旅情のひとつでしょう。その日は昨夜の雪が積っていることもあり旅情趣の類いはいやがうえにも高まります。どうして国鉄の車両先頭部分が雪にまみれているとあんなにかっこいいんだろう。僕には鉄道マニアの気はないけれど、あのうっすら白く雪に覆われたフロントはかっこいいと思うのですよ。きっとそのように思う人は多いんじゃないかと、自分を一般化しておきたいと思います。
駅構内には小樽市内の見どころを写真パネルにして展示してあるスペースもあって、けれどまだ見ぬ小樽の地だから、ここで旧所名跡をいくら見てもちょっとピンとこない。これから見に行くのはここかなんて風にもしぼれなくて、帰りに見てああそうだったのかここが名所だったのかと気付くのが関の山でしょうか。ともあれ僕には写真より、その一室の昔ながらの雰囲気とだるまストーブの味わいが面白かった。
駅改札を出れば、改札ロビーでラジオの街頭ロケをしていたのを横目に見ながら、駅前に再び鐘を見つけ、多少鳴らしてみたりなぞ。まずは駅近くの市場にでも行きましょか。
三角市場は小樽駅から徒歩五分もかからないんじゃないだろうか、とにかくすぐ近くにある市場。海産物が名物、さすがは港と運河の街小樽です。
市場に向かう途中に短い階段があって、それが雪に覆われているもんだからとにかく滑って危なくて、それでなくてもみんなしっかり手すりを持つもんだから手すりは磨かれてぴかぴかだった。ちょっと面白いと思ったのでした。
さて、市場というものは多分どこでもそうなんだろうけれど、ここ三角市場でも売り込み合戦がすごい。市場入り口の店から、蟹鮭イクラ、どんどん勧めてきます。試食どう? 身が詰まってて値段はたったのこれだけ。それから雄と雌の見分け方だとか、とにかく一生懸命に売り込んできて、実は僕そういう交渉は得意じゃないのね。だもんだから、ごめんなさい、買えないから試食もしないと片端からことわってまわるというのに、いいからいいからとどんどん勧めてくる。神経が細ります。
市場に入っても状況は同じく変わりません。細い路地の左右にびっしりと並んだ店から、お兄さん、イクラちょっと食べていって、蟹送るよ、今ならこんだけの値段だから、等々。とにかく市場の端まで一気に進んで、写真だけ撮って帰ってきた。いや、入り口近くの店でいかの薫製みたいの買いました。いか墨で黒くなってるやつ。ちょっとおいしかった。あんまり高くなくてかさばらなかった。そんなふうな理由です。
こういうところの交渉上手になったらもっと面白いかも知れない市場。それ以前にとにかく買う気がないのなら近付かなきゃいいのにということでもあります。
小樽市街、海へ向かう大通りに出ると、もうそこは恐ろしいほど真っ白な雪の世界。スタッドレスタイヤに踏み固められた車道はフレーク上の雪片が折り重なって、でもそれでもアスファルト路面は見えない。北海道気分満喫ですよ。
これだけ雪が降っていると足下を心配するのが内地人の悲しさで、北海道の雪はまさにパウダースノーでありまして、こんな市街でも滑ったりする危険はほとんどありません。と言ってもそれは歩道内での話で、歩道と車道の合間、雪が踏み固められていて融けかけているところなんかは凶悪に滑ります。
さてそんな小樽市街を海に向かっていると、車道中央分離帯に奇妙な看板を発見しました。「一時停止の必要ありません」と書かれた看板。一体なんのことかと言いますと、ここには旧手宮線という廃線になった鉄道の路線と踏切が保存されているのですよ。なので踏切前の一時停止の必要がないと言うことを案内しているわけです。
歩道脇を見てみれば、確かに踏切が保存されています。線路もちゃんと残されていて、これが史跡であると知らなければ、ただの踏切と思って見過ごしてしまうところでしょう。どうやらこの鉄道の歴史的価値は小樽市にとって重要なものらしく、時折存在しないはずの鉄道の汽笛がどこからか聞こえてきます。いや、鳴らしてるんですよ、小樽市が。案内板に汽笛が聞こえるかもみたいに書いているのですが、本当に鳴らしているのでその意気込みにこそ驚きました。やり過ぎです。
道を真っ直ぐ行けば港に突き当たります。漁港なのでしょうか。船が、大きいのや小さいのも何艘も繋がれて、遠くには煙をあげる大きな船の姿も見られました。そして小樽は港と運河の町です。港に着くまでにも運河をこえてきています。運河は今は使われていないのでしょうか。おそらく使われていないと思いながら、さあ運河の運河らしく残されているスポットへと足を向けましょう。
小樽の運河沿いには古い問屋や倉庫のずらりと並んで、少しノスタルジックな気分もしてしまう。煉瓦造り、石造りの重厚なエクステリアが降りつもった雪に対照的で、深々とした静けさと情緒を醸していました。以前夏だったかに小樽に来たことある人の言うには、雪のある無しは大違いとのこと。以前はこんなによくなかった、雪があって幸運だ。そうか、僕は幸運なのか。嬉しいなあ。
古い問屋、倉庫は中身は別の店舗に変わっていて、お土産屋や食べ物屋など、外観を保存しつつ中身は観光都市の機能を充実させているという。中にこそは入らなかったのですが、これはよいことでしょう。装いと機能をともに実現しようというのはともすれば安易で安っぽい観光用偽名所になりかねないのだけれど、小樽はうまく古いものを残していたと思います。あるいはこう思うのもあの日積っていた雪のせいでしょうか。
運河に出れば、そこはまさに大観光地の様相を見せていました。橋の側、広くとられたスペースには観光バスで運ばれてきただろうツーリスト達が山と居て、写真撮ってください、写真撮ってくださいの嵐。まあ、つまりここでも僕はカメラマンをやってしまうわけですが、そのツーリストというのが日本人かと思えば中国人もたくさんいて、小樽はやはり人気の土地である。確かに情緒深いし、都会っぽさから離れたしんみりとした落ち着き、暗さがある。僕はこの土地を意外と好きかも知れません。
運河沿いには遊歩道もつくられていて、そこを少しそぞろ歩きました。雪、運河、そして並ぶ古い建物の情感はやはりよい旅情緒であります。ちょっと出来過ぎた感じもあるけれど、それはそれで悪くありませんでした。
札幌にはラーメン横丁があって、小樽には寿司屋通りというのがあるのであります。名前のとおり寿司屋が集まっていて、道の左右に大小の寿司屋がずらり。というほどでもないですが、でも寿司屋がたくさんあって壮観でした。
で、本日の昼食はここ寿司屋通りにある小樽日本橋でなのであります。上り坂になった寿司屋通りを上るんだけど、路面が雪でいっぱいでちょっと怖い。あまり踏まれてないところを選んでえっちらおっちら上る、踏まれていても凍りついてないところとかを選んで上っていって、右手に見えてきた大きな寿司屋が小樽日本橋でした。隣り合わせで傾向の違う店を開いているようです。
さて店に入って安堵、やっぱり北海道の屋内は暖かくしてあってよいです。座敷にあがって地ビールなんぞを頼みまして、なにしろ寿司など食べ付けません。なにから頼めばいいんでしょう。
小樽の寿司はやっぱり北海道前だもんで、新鮮な海産物が売りでしょう。頼んだのはぼたん海老やいくら、雲丹、鮭に帆立といった実に北海道らしいネタの数々。けれど卵や鮪といったスタンダードももちろん忘れず頼みます。はまちも頼んだ、いかも頼んでいます。
食べてみておいしかったのはやっぱりネタの新鮮さか、あるいは仕事もきっちりしているのでしょう。海老、雲丹、いくらがおいしいのは当然としても、鮭やいか、鮪がおいしいというのは非常に素晴らしい。脂がのっているのにしつこくないという、実に理想的な寿司すよ。
でも食べたいものを全部は食べられなかったのでした。生物的な限界にチャレンジしてもよかったのですが、そんなことすると後の行程すべてに影響が出てきます。それに折角おいしいものを食べて苦しむというのも馬鹿馬鹿しいので、泣く泣く八分目に押さえたのでした。
寿司がおいしかったのは当然として、中居さんが楽しい人いっぱいだったのもよかったです。店は立派なのにむしろ庶民的な応対で、人柄があったかかった。なので食べて満足、居心地にも満足。よいお店でありました。
すっかりお腹も満足して店を出ようとしたら驚いた。扉を開けたそこが恐ろしい豪雪吹き荒れる別天地に変わっていて、気分はなんじゃこりゃあでした。さっきまできれいに晴れていたというのにこの天気の変わりようにも驚きましたが、新雪の積るはやさにもまた驚きです。さっきまでしっかり踏み固められていた車道まで、すっかりパウダースノーに覆われて奇麗な白になってますよ。
さすが北海道。ですが本日の小樽は昨夜の札幌ほど寒くはないのです。が、雪はつべたく風は強く、しかも悪いことに足下が滑りやすい。踏み固められた雪と新雪が異なる層をつくっていて、その境目で面白いように滑れるのですよ。いかん。いかんぞ。小樽寿司屋通りは下り坂ときている。実に状況は悪いぞ。
でもこんな悪路面でも、北海道の人は平気で(じゃないかも知れんけど)車を動かすのだから恐れ入ります。何度も言ったことで恐縮ですが、関西近畿圏でこんな雪が降れば交通はまず麻痺します。
小樽寿司屋通りを無事下り終えたら、次に向かうのは北一硝子なんかの集まっている一角で、海沿いに続く道を歩いていきます。歩いていきます。目の前が真っ白のなかを歩くその道程がやけに長い。目深にかぶったフードにどんどん雪が積もって、正直辛い。一息入れたいと思う頃を少々過ぎたころに、右手に硝子店が見えはじめました。やれやれ人心地ついた。
小樽は、なぜかは知らないのですが、ガラス製品で有名な土地です。なぜガラスなのでしょうか。調べてみました。昔は石油ランプや漁に使うガラス製の浮き玉を作っていたのだそうです。それが近年ガラス工芸品も作るようになったという由来があるそうです。思っていたよりも歴史が深くて驚きました。
まずは北一硝子五号館にまいりました。なぜ五号館かといえば、一番最初に見た北一硝子がここだったからというだけ。入り口には大きなストーブがかんかんと燃えていて暖かいのがすごく嬉しい。ストーブまわりには大きなそりがベンチみたくしておいてあって、家族連れ、特に買物にあぶれたお父さん達がぽつねんと座って暖をとっているのが印象的でした。
アロマテラピーというのが流行っていますな。そのせいでしょうが、お香や香り付きの蝋燭を焚くための色々が展示されていて、こういうの好きな人にはたまらない小物の類いが山と売られていて目移りすること間違いなしと言った風情です。他にはオルゴールやガラス製ベルなんかも売られているんですが、やはりメインはアロマなのでしょう。
ところでオルゴールって、オルゴール自体は特にどこのものでも違いがないので買いにくかったりしませんか。少なくとも僕はそうです。バリエーションが少ない(のは仕方がないと思うけれども)のはちょっともったいない。少なくともオルゴールムーブメントだけでも選択できればいいなと思ったりするけど、まあうまくは運びません。
さて見るもの見るものに目移りしてしまう北一硝子。これは三号館にいっても同じ。三号館はむしろ日常の食器類なんかがたくさんあって落ち着いた雰囲気なんですが、シックな中にも華やかさがあるのはガラス食器の特徴と言えるでしょう。醤油差しなんかもこぢんまりしながらも美しくて、欲しいと思っても必要ないから買わないんですけどね、ちょっと惜しい気がしたもんです。
さて五号館、三号館の間には北一ヴェネツィア美術館というのがあって、一回のぐるりは無料で見られるもんだからぐるりだけ見てきました。
ヴェネツィアというところもガラス製品で有名な土地です。だもんで、そのヴェネツィアングラスというのがいろいろ展示してあって、完全な美術品と言えるものから日常の食器の類いまで、色々と陳列されている。けど高いんですよ。ちょっと買えません。それくらい高い。だからみるだけです。
実を言いますと、僕はヴェネツィアングラスのミレフィオーリと呼ばれる模様が苦手です。ミレフィオーリというのは花模様がびっしりと集まったような模様で、ヴェネツィアングラスの典型的なパターンなのですが、僕はこういうまるまるしたものが集まった様というのが見ていて穏やかでない。ちょっとぞわぞわする。だもんで、ヴェネツィアングラスも少々苦手です。もちろんここヴェネツィア美術館にもミレフィオーリはたくさんありましたよ。ええ、苦手でしたとも。
それと実を言うと、ガラス店をうろうろするのも苦手。だって割ってしまいそうで怖いでしょう。割っちゃ大変です(割りませんけど)。
北海道は小樽にまつわる偉人と問われれば、小林多喜二や伊藤整、また石原裕次郎などが思い出されます。しかし忘れてはならない小樽の偉人に、菱沼聖子博士があります。生命工学の分野における数々の発見によって知られる博士ですが、彼女の育った家が小樽に現存していることは意外と知られていません。北一硝子を辞した後、行ってきました。菱沼聖子博士邸。
菱沼聖子博士邸は、他の小樽に残る旧跡が醸し出す開拓時代の雰囲気とは打って変わって、意外と平凡な一戸建てでした。天井の平らな洋風二階建ての菱沼博士邸はやはり北海道の家らしく煙突なんかもあって、このようなモダンな建物で博士の豊かで雄大な発想が育まれたのかと思うと感慨無量でありました。
残念ながら菱沼邸は一般公開されていないため中に入ることは叶わなかったのですが、外からでも車庫脇にしつらえられた愛犬、源三の小屋を見ることができました。源三は深く博士を慕っていたことで知られる忠犬です。源三の小屋はとある事故により破壊されたと伝えられていますが、現在ではすっかり修復されて、往時の菱沼博士と忠犬源三の関係を垣間見るかの思いでした。源三がそれだけ懐いていたという逸話に、私などは博士の深い人間性と魅力を思ってしまうのです。
博士を思い感極まっているところへ雪はなおも降り、すべてを白い雪の向こうに消し去ってしまうかのような感慨にとらわれました。周囲は暗くなり始めて、もう行かなければなりません。後ろ髪引かれる思いで、私は敬愛する菱沼博士邸を後にするのでした。