今日、太陽が天の赤道を横切った。昼と夜の長さが同じになる日である。日本では、この日を含む七日を彼岸と呼んでいる。季節は彼岸を越えて夏へと向かう。だが、今は春を讚えよう。私たち日本人は、自然と命あるものすべてを祝うために、この日を祝日として過ごすのである。
伝統的に日本人は、彼岸のうちに先祖の墓に参る。だが、私はもう長い間墓参りをしていない。子供時分は、年に二回行っていた。今は両親、そして親族が墓を守っている。
私は不信心ものなのだろうか? いや、そうではあるまい。先日祖母の死に立ちあって、私は自分が死者と語りうると知った。古きよき共同体の壊れた後に生まれた私たちは、また別の方法で死者を悼むのかも知れない。確かに墓に赴かなかった私は、しかし死者と語り合うことができるのである。道の上で、空の下で、花を見上げるとき、ギターを弾きながら、あるいは歌いながら、死者と語り合えるのである。
けれど偶には、私も墓に参りたい。私はふたつの世代を往き来している。
(初出:Les douze mois au Japon, mais selon moi,オリジナル:フランス語)