シリーズ ぶらり北陸

第二日:東尋坊・永平寺

福井県第二日目行程

月曜日
ホテル北陸古賀の井→JR加賀温泉駅東尋坊永平寺JR福井駅→JR京都駅

二日目の朝

 ホテル北陸古賀の井にて迎える石川県二日目の朝。温泉は朝から入ることができるので、温泉好きの面々は朝風呂としゃれ込むのも至極一般的な話であるのですが、私はほら朝が眠いのが駄目なのだ。ぎりぎりまで寝るというわけでもないのですが、なんか起きてからぼーっとしている。そんなわけで朝風呂は断念。せっかく温泉場にきて夜に一度しか入らないというのもどうしたことかと思ってしまいますね。

 ぼーっとしているといっても別に調子が悪いわけではなくて、旅先でも食事はちゃんといただきます。ホテル古賀の井の朝食はバイキング形式で、取り皿をもってめいめい好きな食べ物を選んで食べるというスタイルです。で、私こういうときには、普段めったに食べることのできないハムやソーセージなんてのを少しと、そしてこちらはいつもどおりというか山のような野菜を積み上げて、しかもおかしいのが和洋問わずに盛るから、もう本当にごちゃごちゃ。でも、その多様な相がよいのですよ(ものはいいようだな)。

 ほんで、食後にはコーヒー飲んで、駄目押しに紅茶も。部屋に戻って、ちょっとギター弾いて、ひとしきり落ち着いたら出発でしょう。

出発そしてまた出発

 この日の予定は曖昧にしか決まっていなくて、でもまあとりあえずはチェックアウト、ホテルの用意してくれたマイクロバスでJR加賀温泉駅に向かいます。当初計画ではここからJR福井方面に向かうつもりで、果たしてそれは列車になるのかあるいはバスであるのか。と、ここで突然の予定変更が入りました。レンタカーを発見。そうだ、レンタカー借りればいいじゃないかと、突発的の変更。駅そばにあったレンタカーの事務所へと向かったのでした。

 先客がいたのでちょっと待って、事務所まわりをうろうろ歩いていたら看板で頭を強打。おおいてえ、なんだこぶができているじゃないか。とまあここまでは私もそんなに積極的ではなかったのですが、突然あらわれた要素ががぜん積極性を増させました。なにかといいますと、プリウスですよ。レンタカーがトヨタ系列だったんですね。それで乗員数の絡みから出てきた車がプリウスで、プリウスといえばいわずと知れたハイブリッドカー。低速および高速走行時にはガソリンエンジンを使い、中速でのクルーズにはモーターで走るという仕組み。燃費において有利で、さらに低騒音性も嬉しい。私、一度乗ってみたかったんですよ。ところが免許証持ってきてない! なんでだー!

 まあ、仮に免許証を持ってきていたとしても、運転はしなかったんじゃないかなあ。というわけで私はプリウスの後部座席に収まって、さあいよいよ出発です。

プリウスでドライブ

 ここで初プリウスの感想を少し。

 プリウスはガソリンエンジンとモーターを併用して走るハイブリッドカーの先駆けとなった車で、世界的にベストセラーであると聞きます。しかしその機構ゆえか値段が結構高いので私の身近にはオーナーが見当たらず、かろうじて、友人が運転免許を取ったときの教習車がプリウスだったというくらい。こんな感じに結構レアで、だから一度乗ってみたかったんですね。それがまさかこんな旅先でプリウスに乗れる機会が得られようとは思いもしていなかったので、かなり喜んでしまったものでした。

 プリウスに乗って最初はいったいどういう感じなのかつかみあぐねていたのですが、中速での走行時や減速時、そしてなにより停車中の静粛性には目を見張るものがありました。エンジンがストップしているんですね。だから、振動も少ないし、音もしない。プリウスがエンジンを使うのは加速時(発車時)や高速走行中ということなので、車も少なく、道の空いていたあの日にはほとんどエンジンが動いていなかったのでしょう。静かだから車内で話をする際も大声出す必要がなく、実際それは快適性の高さに繋がっていました。

 運転者に聞いたところによると、加速性能はやや劣るとのこと。確かにスポーツ走行をするような車ではないし、このへんはしかたがないでしょう。またバッテリーなんかも積んでいるわけだから車重はあるだろうし、このあたりも運転の軽快さ、楽しさをそぐのだろうなという感じがします。

 さて、プリウスの真価が発揮されたのはレンタカーの返却前、ガソリンスタンドでのことでした。レンタカーを返却するときにはもちろんガソリンを満タンにして返すわけですが、このとき、ガソリンスタンドのおじさんがおどろいたのですよ。というのもあっという間に満タンになったからで、料金は百数十円とかじゃなかったかな(自分がはらったわけじゃないので忘れた)。走行距離はそこそこあって、JR加賀温泉駅から東尋坊と永平寺を経由してJR福井駅まで。それがこんなに少ししか燃料を使わない。なんという燃費のよさかと少々感動を覚えました。

 ある程度車を使う人、それも中長距離を走るような人なら、プリウスは充分選択肢に入るのではないかと思います。車体価格の高さは、燃費の低さでカバーできるように思います。実際、私が車を使う人間だったら、プリウスをはじめとするハイブリッドカーを選ぶかも知れないと思いました。ええ、これはいい車だと思いました。

東尋坊をめぐるあれこれ

東尋坊 ここに白状しますが、私は東尋坊が福井県にあったとはまったく知らずにいまして、てっきり静岡県だとか東北福島だとか千葉房総半島だとか、そのへんなのだと勝手に諒解していて、だから今回の旅行で東尋坊が行き先の候補にあがったときにはしたたか驚きました。わお、こんなに近場だったんだ! とまあ、私はやたら地理が苦手という話であります。

 そもそも私は東尋坊というのがどういうところなのかをわかっていないのですが、サスペンス劇場とかで追いつめられた犯人が自分の犯行についてべらべら独白する場面というのですか。それくらいの知識でしかないのです。断崖絶壁。なんかものすごい岩場。フリークライミングの練習にも使われて、で、ペグやらが打ち込まれて問題になっていたっけ。天然記念物だからなおさらって話でしたが、この天然記念物というのもあんまり知られていないようで、もちろん私もそのニュースを読むまでは知りませんでした。

到着してすぐ土産物店

 東尋坊にかぎった話じゃありませんが、どこも土産物店は客引きに一生懸命で、そりゃ生活がかかってるから当たり前なのですが、とりあえず無料で駐車場を提供しますよ、そのかわりなにか買っていってくださいという話なのでしょう。車を降りたら、東尋坊には店舗を抜けるのが近道だという案内を受けまして、でもどう見ても直接駐車場を出ていっても問題はなさそうで、ですがせっかくだから店内も一巡りしましょうかね。でも、残念ながら買うものなかった……。そうして、店舗を抜けて東尋坊へと向かいます。

 東尋坊はものすごく歩かされるような印象を持っていたのですが、そうではなくて、結構道からも船着き場等いろんな施設からも近くて、空が晴れ渡ってきれいだったこともあるのかも知れませんが、ずいぶん親しみやすい場所という感じです。とりあえずは手近なところからのぞき込んでみて、いったいどのあたりにペグやボルトなんかがあるのかななんて探してみましたが、一向に見つけることはできず、撤去されたのでしょうか。あるいは場所を間違えている可能性もありますね。

東尋坊、岩山を下りる

 私はすっかり勘違いしていたのですが、東尋坊というのは岬がごとくに岩山が海にせり出しているだけと思っていたのです。ですが、実際はそうではなくて、安山岩でできた巨大な岩盤が広がっていて、ああこんなに広い場所なのかと驚きました。

 岩盤のあちこちには階段が作られていて、海面近くまでおりていくことも可能です。ちょうど午前、もうじき昼になろうかというような時間帯であったのですが、岩盤のあちこちには潮だまりもできていて、私の経験ではああいう場所には小魚や蟹、海老といった海洋生物が見られる、イソギンチャクなんかもいるだろうかと思って、楽しみに階段を下りていったのですが、見ることができたのは藻、というのか海苔でしょうね。生物らしいものといえば亀の手くらいしか見つけることができませんでした。

 階段はコンクリートでできているのはよいとして、結構侵食されているものだから気をつけておりないと危ない感じ。転げ落ちると、階段はコンクリだし、このあたりは岩ばっかりだしで結構な怪我をしそうで怖いです。で、帰りは素直に階段を上らず、岩山をえっちらおっちら登れそうなところからよじ登っていって、いやあ私はギターを肩にかけていたから、ぶつけそうで怖かった。途中で階段に合流してそこから先はそれほどの苦労もなくのぼっていくことができました。

東尋坊
東尋坊の岩盤が眼下に広がる
東尋坊
岩盤、入り江、水平線
東尋坊
観覧船が走る
東尋坊
東尋坊岩盤別ショット

東尋坊とその周辺

 東尋坊、岩盤をのぼって少し歩くと、東尋坊の岩盤とその成り立ちを説明する案内板などがあって、独特の形状、景観は、マグマが冷えて固まる際に生じるという柱状節理によって生み出されたのだうんぬんと書いてあって、私は高校では地学を選択していたのですが、ちょっとこういうことは知らず、勉強になりました。不思議な感じのする岩であるとは思っていましたが、そこにこういう地学的な裏付けを見ることができ、またこの柱状節理の規模ゆえに天然記念物に指定されていると。ちょっとロマンですね。科学というのはロマンであります。

 しかしだ、ここにはロマンだけではないものもあるようで、それは自殺者なんですが、やっぱり多いのでしょうか。慰霊碑もあり、自殺者を思いとどまらせようという看板、フレーズなんかも見えて、なにしろその日はきれいに晴れ渡っていたものですから、そういう暗い雰囲気などみじんも感じられなかったのです。でも、岩盤のふちにたったとき、さすがに心は穏やかではなくて、恐れを感じたのは確かです。

 でも、私は飛び込もうだなんて気にはなれない。でも、もし思い詰めてここにくれば、そういうこともあるのかも知れない。でも、そのためにわざわざこんな遠くまでくるというのも大変だと、思うところはあっちへいったりこっちへいったりでした。

土産物屋をひやかすでもなく

 東尋坊のごつごつとした岩場を離れると、通りの両脇に土産物店が並んでいて、店先ではこのあたりでとれるのでしょう、貝柱などを焼いて売っています。けれど今日は月曜、平日と思えば人影はたくさんあったと思いますが、それでもやっぱり寂しげで、子供が親に焼いたホタテを買って欲しそうに見上げているのを尻目に、私はただ通りから店先を眺めるばかりでした。

 海辺だからなのか、あるいは土産物屋が売れ残りだかなんだかを与えているからか、猫を見かけることもちらほら。仔猫が数匹いるかと思えば、その親と思しい猫もいて、あの時はカメラを忘れたことを悔やみました。猫は人に慣れるでもなく嫌うでもなく、そばに立って見ている私など興味もないというように、好き勝手きままにやっていて、猫はそういうふてぶてしさがいいと思います。

 帰りは例の駐車場を借りた土産物屋に戻って、けれど店によることもなくそのまま辞しました。愛想のない観光客で申し訳ない。

田島魚問屋に行く

 東尋坊を離れて、車を少し走らせて、目的地というのが水産のお店なんだそうですが、その名も田島魚問屋。このへんではズワイガニのことを越前ガニといいますが、越前ガニの老舗なのだそうです。といっても私はただ車に連れられるままで、前知識もなにもなかったから、普通のお店だとずっと思っていました。問屋だったんですね。今日調べるまで知りませんでした。

 玄関から右手を見れば大鍋があって、そこで蟹をぐつぐつと茹でてらしてですね、それがまたすごい量。でもってその蟹がまた結構なお値段でして、この店にやってきてなにを買ったのかというと、残念ながら蟹ではありません。買ったのはへしこ。さばとはたはたのへしこでした。

 店内には、蟹の由来などが書かれていまして、越前ガニというのは深海ガニなのだそうですが、このとるだけでも簡単でない蟹に関する記述がかなり古くの歌集に見られるらしく、日本人と蟹との関わりの古さというのがうかがえます。あ、蟹といえば、蟹の甲羅に黒いぶつぶつがくっついていることがありますが、これカニヒルという寄生虫なんだそうですが、これがたくさんついている蟹はいい蟹なのだそうです。脱皮するともちろんカニヒルはなくなるわけで、再び成長する過程でカニヒルがついてくる。つまり、これがない蟹というのは脱皮直後、身がつまっていないということなのでそうです。ですが、私は昔、スーパーの水産で働いていたのですが、蟹の甲羅についたこいつが気持ち悪くで、全部こそぎ落としていました。

 さて、このカニヒルですが、田島魚問屋の看板になっている蟹にもちゃんとついていて、さすが蟹の老舗! なんだか嬉しくなった瞬間でした。

永平寺へ向かう途上に

 永平寺への道は山深く、とかいっていますが、実は私はこのとき、すっかり寝入ってしまっていたので、どんな道をたどったのかというのをまったく持って知らないでいます。途中、左右にGが移動するのを何度か感じていたから、蛇行している、つまりは山道なのだなというくらいの感覚はあったかも知れません。

 この時期、石川福井はまだ雪が残していたのですが、山中にある永平寺まわりはそれはもう雪が積もりに積もって、実際すごい雪量でした。平気で背丈くらいある。道や人家、店舗周辺となればさすがに雪は下ろされていますが、しかしこれはすごい重労働でしょう。私には、体力のない私には住めないかも知れません。

 さて、永平寺町に到着したのは昼をずいぶんと過ぎたころでありましたが、実はこれまで昼食もとらず伸ばし伸ばしにしてきたのはなぜかというと、ここは蕎麦が名物と聞きます。そうなんですね。蕎麦が食べたかったのですよ。車を徐行すると、土産物屋から人が出てきて案内してくれて、駐車場を確保することができました。なので、ここはこの土産物店兼食堂にて蕎麦を食べよう、そんな話にまとまったのでありました。

永平寺近く蕎麦の味

 駐車場から食堂へ。入り口をくぐった右手に鈴があって、ええと、発音としては「れい」。密教の道具みたいな雰囲気で、色はといえばブロンズ。深い緑でした。振ってみれば、澄んだ美しい音が長く響いて、ひとつ買おうかなあと思ったのだけれども断念。いくつもある鈴を片っ端から振ってみればそのどれもが違う音高、響きを持っていて、選ぶに選べなかったというのがその理由。今からすれば、買っといてもよかったかなあと思います。

 蕎麦を注文。定食やらいろいろある蕎麦ですが、私は基本的にこういうときは掛け蕎麦と決まっているので、そのように。蕎麦が出てくるまで店内をうろうろして、和傘があったのを見てちょっと欲しいと思ったけれども、高いし、もったいなくてさせないしで断念。結局決断しないのが私の特徴みたいですね。

 蕎麦を食べてみて、蕎麦の香りがきっと強いと思っていたから、多少肩透かしだったかも知れません。思ったよりも普通の感じで、おいしいですが、うわあ、おいしい、きらきらきらっていう感じがなくて、こりゃちょっと期待しすぎたかな? だしはというと甘め。甘くない好みのだしで食べたらば、もっと印象は違ったかも知れません。掛け蕎麦いっぱいではちょっと少ないとは思ったけれども、お代わりをするでもなく、お腹がこなれるまで少し休憩したらば、いよいよ永平寺に向けて出発です。

永平寺に立ち寄る

 坂を上ったその先に永平寺が。参道を歩くのよいのだけれど、その両脇には雪が壁のように詰み上がっていて、私の住んでいる京都においてはこんな雪の積もりかたをすることはなくて、相当な圧巻と感じられました。参道にたどり着くまでの道々でも、街の人が雪をどけている姿を見ましたが、ここ永平寺においても同様に雪を道の脇にどける苦労があったのでしょう。

 山道を歩いてその左手に池があって、その真ん中には像や碑が立っていたのですが、なにしろすごい雪菜も野ですから、そうしたものが全部埋まっているわけですよ。さすがに水を越えて雪をどけるというわけにもいかなかったのでしょう。すごい雪の積もりかたをしていて、水のところだけが溶けて流されるようにして雪が消えている。そのアンバランスは見ていて面白かったのですが、しかしそもそこにどういう像やいわれがあったのかというのがまったくわからないというのは観光客としては微妙なものです。

 とはいうものの、これだけの雪を見ることが少ない地域に住む私には、雪に埋もれるような山の寺の風景はやはり特別なものであったと思います。

永平寺小ミュージアム

 雪の参道を抜けて、永平寺の参詣者入口へと向かえば、そこは思いのほか近代的な作りになっていて、私はちょっと失望してしまったかも知れません。いや、別に作りが新しいのが悪いとはいわないんですが、由緒ある宗教施設が変にきれいにこざっぱりしてると、やっぱりちょっと拍子抜けしてしまうところはあって、なんだ稼いでやがんなあ、それにこんなに観光地然としやがって、みたいな気持ちになってしまうということはよくあることかと思います。

 入り口を過ぎてすぐに、展示室への入り口を見つけてくぐればそこには、寺に収蔵されている古典籍やら絵画、掛け軸が展示されていて、ぐるり回ればそれほどの広さもない空間だったのですが、そもそも私は美術館に入ると出てこないといわれるほどのマイペース観賞家ですから、結構な時間をかけてしまいました。けど、この時点で私は勘違いしていたのですが、この小ミュージアムをもって拝観は終わりであると思っていたのです。しかし、それは大間違い。

 永平寺の本当は、この入り口を越えたところにこそあったのです。

広間にて注意事項

 小ミュージアムにてえらくせかされたので、一体なぜかと思っていたら、それは拝観時の説明時間が迫っていたからだったのでした。ビニール袋に入れた靴を持って、最初に通ったのは大きな広間。広間の前面には大きなイラスト地図があって、そこに永平寺一円が描かれています。

 そこへお坊さんがいらして、永平寺とそこでの修業、そして注意事項について説明がありました。永平寺における修業とは、特定の行為やなにかが修業なのではなく、ありとあらゆることが修業なのであるということ。座禅だけでなく掃除や炊事も修業であり、だからこの説明も修業なのでしょう。生活のすべてが則禅であります。

 注意事項というのは、三黙道場と呼ばれる言葉を発してはいけない場があるので、そこでは拝観者もしゃべらないようにお願いしたいというもの。また僧侶が使うトイレ(東司)もあるが、それは拝観者用ではないので使わないで欲しいうんぬん、こんな感じであったと思います。

 一通りの説明を終えて、永平寺七堂伽藍へと向かいます。

傘松閣

 七堂伽藍にゆくまえに、傘松閣に寄りました。傘松閣というのは大広間で、Wikipediaで見ると222畳あるのだそう。ここのすごいのはその天井で、見上げればたくさんの絵が描かれていて、あまりに広く、あまりにたくさんあるものだから、一望だにできません。これを見上げながら歩いていると、だんだん天地がわからなくなってきて、くらくらしてくるくらいなのですが、花の絵、とにかくいろんな画題がいろいろにあって、そのひとつひとつが違っていてすごい。西洋の伽藍に見る天井画とは違って、日本画らしい花鳥風月、主張しすぎるような押しつけがましさはなくて、華やかにして美しいと思いました。

 広間の前には禅師の肖像が掛けられていて、私はその人のことを知っていました。NHKの教育だったかで、百歳の禅師の話が放送されていたのを見たのでした。もう、ずいぶんお歳だというのにいささかの濁りもなく、話す内容は含蓄に溢れ、それゆえか印象に残っていたのでした。

永平寺七堂伽藍

 永平寺七堂伽藍は東司、浴室、山門、僧堂、庫院、仏殿、法堂で構成されていて、私たち参詣者が通ることのできるのは、山門、仏殿、法堂のみっつ、残りはおもてを見ることができるだけです。さて、この七堂伽藍ですが、各建物を繋ぐ廊下というのが結構急な階段になっていまして、つまりこれら伽藍は斜面に位置しているのですね。そしてこの日は大いに雪が積もっていた。そう。斜面建物問わず降り積もった雪を下ろすために、お坊さんが総出で作業に従事されていて、それがもうすごい人数。身の丈ほどもある雪を作業着に着替えた僧職が崩しては落とし、崩しては落とし。斜面には波板がひかれていて、雪はそこを滑って落ちていくことになっているんですが、とにかく量がすごいからそれさえもままならない。見れば山門付近には重機も動員されていて、また雪を溶かすために太いホースで水が供給されていたりもして、こうまで雪深いと状態を維持するのも大変だと思わざるを得ない光景でした。

 この除雪作業のために、山門や中雀門を通り抜けることはできなくなっていて、だからちょっと遠回りしながら各建物を眺めていきます。お堂のなかには仏様もあれば位牌も並んでいるものだから、いやがうえにも神妙な雰囲気は高まって、仏殿、法堂にて出会う仏像仏像にも自然と手を合わせようという気持ちになります。最後には山門の四天王像を拝んで、山門が通り抜けできないから大回りして、同じく残りの四天王像に挨拶して、こうして七堂伽藍を後にしました。

 帰り際、玄関に向かう建物にて禅宗の教えをわかりやすくかいつまんだパネルを見ながら、確かにその通りと思えるものも多く、禅に傾倒するしないを問わずまずその教えのいわんところを知るということはためになるのではないかという思いを強めました。知ることはまずはじめであり、そしてそれを実践できれば生き方はきっと変わるだろうと、そんな思いも兆した一日でした。

永平寺2006年12月12日の加筆

 昨日、福井テレビ制作の永平寺を特集する番組を目にする機会に恵まれました。永平寺での修業の内容、僧たちの営みが紹介され、食事の用意の大変さ、修業自体も厳しいもので、一年ほども前に訪れた永平寺の様子を思い出して、なんだか懐かしさを感じたりしておりました。

 さて、その番組中に衝撃の新事実が紹介されておりまして、それはここでもちょっと触れないわけにはいかない内容。なにかといいますと、雪であります。

 私が永平寺を訪れたとき、大変雪深い山中の寺院、僧侶も重機も総出で降り積もった大雪を下ろしていらっしゃる。はあ、大変だなあ、きっとこれは毎年の風物詩なのであろうと思っていたのですが、それが早とちりであったのです。テレビ曰く、この豪雪は実に二十五年ぶりのことであるそうで、例年はこんなことはないというのですね。ええーっ、そうだったのか。私はてっきり、この雪深さはここの通常なんだと思っていました。

 思いがけず、珍しい年に訪れていたということを知ったのでした。それにしても、カメラを持っていかなかったことが悔やまれます。

JR福井駅に到着

 永平寺を出て、JR福井駅近くのレンタカー事務所に車を返して、この辺の事情はもう書いたのでこれ以上書くことはありません。途中道中では寝てしまっていたしなおさら。こうして一泊二日の北陸の旅は終わりを迎えようとしています。

 さてその前に、正直私はお腹が空いていました。なので、駅蕎麦でも結構おいしいというから、蕎麦を食べることにしました。小銭握りしめて、確か掛け蕎麦はなかったんだ、きつねを食べたはず。でも私には普通だったかと思う。まずいとかあじないとかは思わないですよ。だから淡々といただいて、もう一杯いこうと思えばいけたかも知れないけれど、量を求めてもしかたがない。蕎麦一杯でごちそうさまをしたのでした。

 蕎麦を食べて、後は京都へ帰るだけ。帰りの電車でも寝てしまったものだから、旅の記録はこれにておしまいです。


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公開日:2006.01.17
最終更新日:2006.12.12
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