熱38度4分を記録。
日中、一度37度4分まで下がったが、おおむね37度8分を維持。
熱はひとしきり下がったが、37度に満たない程度の微熱が出たり下がったりで、落ち着かない一日。これまではあまり目立たなかったのどの痛みが、明確に意識されるようになった。
のどの痛みは残るが風邪は治ったと判断し出勤したらば、通勤電車で疲れ果てダウン。終業まで粘ったものの、調子は出ず、休めばよかった。口内炎ひどく、胃炎ひどく、腸にも症状が出る。おそらく熱も出ていただろう。
のどの痛みやまず。ともない微熱も続いている模様。それ以上に深刻なのが胃炎と口内炎で、粥から脱することができない。日常には復帰しているがかなりつらい状況。正直、ここまで長引くとは予想しなかった。
熱はもう引いたが、肩凝りが治まらず、すなわち風邪はまだ治りきってはいないのだろう。それよりも口内炎が問題で、食べることもしゃべることもままならない、どころかじっとしているだけでも痛いという状況に神経が参ってきた。大きなもの(過去最大といってもいい)を含め口内炎数個があちこちにでき、飲むのさえつらい。食事は粥ばかり、固形食はことごとく退けている始末だ。最低最悪といってもいい。これの治る見通しがつかないことがなによりつらいと感じる。
あまりのコンディションの悪さに欠勤する。口内炎のためしゃべるのもつらく、電話対応さえままならない。その他のストレスが負担感を増大させていた。この対ストレス性の低下は、ここ一週間ほどの栄養不良状態のためか。そうかも知れない。ほとんど粥しか食べていない。
休みをとって寝られるだけ寝る。午後三時まで寝て、その後はだらだらと過ごす。食事は摂らず。なにも食べたくなかった。一日一食態勢。卵を落とした粥に湯豆腐、これではあまりに偏っていると思い、沸かしたビールを飲んだ。うまいものではないが、ドイツでは風邪の時、こうして栄養をとるらしい。液体のパンであるとか。こうしたものはスパイスを加えるのだろうが、よくわからないので塩コショウにとどめた。
口内炎は多少はましになっていると思いたいが、しかし状況は変わらず。ただただつらい。こうした状況を日々余儀なくされている人もあろうが、そうした人たちの気持ちを察するにしのびないものがあるな。
2008年4月19日に固形食、鶏を焼いて薄く切ったものをようやく口にすることができた。朝食はフレンチトースト、夕食も粥というものであったが、鶏を食べてみて、口内炎の集中する部位をパスし左側臼歯に食べ物を運ぶことができればなんとかなるということがわかったのだ。あるいは、ようやくこうしたものを食べようという気持ちになれたということかも知れない。
2008年4月20日、口内炎は依然残るが、ずいぶんましになったと思える。目立つのは下唇裏爪の先大と舌の裏一センチ越えであるが、右奥歯付近にあったものは治ったのか、気にならない。他にも細かいものはあったように思うが、それらは消えたのかどうなのか。いずれにしてもありがたいことだ。
奥に食べ物を運べれば食べられることがわかったことで、ずいぶん食生活は改善した。主食こそは粥だが、魚の白身を食べることができた。野菜も少々。炎症を治すには良質の蛋白質の摂取が必要だと聞いたことがある。なので、鶏や魚はきっといいだろう。
味の濃い調味料は口内炎に障るので、ほとんど味付けなしで食べている。あと数日もすれば、口内炎も完治するだろう。いまだにしゃべるのも食べるのも、飲むのもつらいが、やりようによっては問題なくこなせることが、少なくとも食事に関してはわかった。栄養の補給する目処がついたということはなにより大きいと感じている。そして、こうなれば治りもはやいだろう。
私が風邪を引くのはなぜか休みの日が多く、それは自分でも少々不思議に思うほどだったのだが、今回の風邪に関しては前症状からがすでにつらく、重い肩凝りに苦しめられ、また微熱もあったのではないか、日中は多少ぐったりと疲れたようになっていて、食事が済んでから普段ならギターでも弾こうかとなるところが、だらだらと席に着いたまま、なにをするでもなく時間を過ごす日が続いていた。
こうした状況を見て、これは風邪だなと思っていた。けれど仕事を休みたくはないから、なんとか乗り切りたい、乗り切ろうと思っていた。だから、多少の症状はあえて見過ごしにしていたのだろう。ところが、それが休みとなると素直に症状を受け入れるとでもいえばいいのか、しんどさに屈服するようにして発症するのかも知れない。そんなことを考えて付けたタイトルが休みになると風邪を引く、というわけではないのだろうだった。休みになると風邪を引くのではなく、風邪はいつでも引くのだが、休み以外ではそれを知覚しないようにしている、あるいは休みだからこそ安心して引くとでもいうのか。たまたま休みの日に風邪が集中しているのではないのだといいたかった。
しかし、今回の風邪には参った。三日で治るつもりだったのが長引いた。まだ粥から脱していない。おそらくは細菌なのだろうが、胃腸系を荒らすというのは予想していなかった。実は19日土曜には友人の結婚式二次会があり、珍しく楽しみにしていたのだが、一週間もあれば治るだろう、だから抗生物質は使わないでおこう。なにしろ強い薬は胃を荒らすから、ということは口内炎が出る。美味しい食事、美味しいワインを味わえないでは困る、と思っていたのに、まさか風邪の方がより一層に胃を荒らそうとは。薬を飲んだら三日で風邪は治ったかも知れない。残りの一週間で口内炎も治ったかも知れない。ところが思わぬ失策がために、一週間経っても粥から脱しない。しかも飛び石で欠勤二日というていたらく。今回は本当、まったくもって駄目だった。本当に最低な日々を過ごした。
この最低の体験、その前に体調不良がじわじわと広がっていたということはもう述べた。しかしその渦中にいる間は、なんかしんどい、調子が出ない程度にしか思わないもので、それがやはり不調だったと気付くのは、完全に体調を崩してから。それがいつものことだ。
本格的に体調を崩したのは4月の12日。しかしその少し前にこんな経験をしていた。いつもなら問題なく越えられる座椅子の背につまずいて転んでいた。背を越える時には、ぞんざいにではなく、それなりに注意をしているつもりだというのに、しかもこの時はコーヒーカップを手にしていたからなおさらだというのに、それでも転んだ。後から思えば、あの時すでに体調の悪さは自分で思っている以上にまで進んでいたのだろう。
転んだ際に座椅子の背で下唇を打った。切れたりはしていない
といっていたが、実際には少し傷をつけてしまっていて、それがあの爪の先大の口内炎に育ったのだ。今はもう痛くはないが、しかし完治はしていない。見れば少し傷のように残っているという状態だ。あと数日もすれば完全に消えるだろう。
あの口内炎の写真を残していた。しかしこれは治りはじめてからの写真。一番ひどかった時は、写真の口内炎まわりにうっすらと赤く広がる環状の部分、あそこまで炎症は広がっていた。そして、その大きさに匹敵するものが舌の裏にもあったわけだ。
しかし、こうして写真にすると汚いものだな。できればお蔵にしておきたかった。