「夏からの手紙」,『田渕由美子作品集2 こさあじゅ』所収
田渕由美子
(集英社文庫)集英社,1996年。
藤田柾巳くんは、人を見る目というものを持った人だと思う。ことあるごとに本心とは違うことばかり言って、ついついつんけんしてしまう川口藤菜さんのよいところを、誰よりもはやく、誰よりも確かに見抜いていたということではないか。人間の、表に現れるうらはらに惑わず、違わず、奥底の真正に気付けるというのは、それだけ間違いのないまっすぐな目を持っていたということなのだろうか。
人間というのは、自分自身のことにしても、本心とはようとして知れないものだ。いわんや他人をや、なにを知れるというのか。いかんせん分かったつもりを装い、自分も他人もだましだましで生きるのが普通。どうも心がつながらないもどかしさと空しさに、自分を理解してくれる人を望みたいと、あるいは逆に心から理解し共感できる他人を望みたいと思う。これこそ悲しいかな適わぬ望み、見果てぬ夢。だからこそ、その夢を追いたいと思うのもまた人なのだが、しかし人間の心の裡を見抜くなんてことは、ただの人間に過ぎないわれわれに可能なのだろうか。
それは、ただひとつの方法によって可能となる。よく見ること、そして見たものをありのままに受け入れ、その意味を理解したいと強く願うこと。この観察と洞察によってのみ、他人を理解することも出来るだろう。これは、すべての理解するということに通ずる試みであり、成功するかしないかは、どれほどに見ることに妥協せず、理解することに労を厭わないかにかかっている。
そうなのだ。柾巳くんは、人の心底を見抜く目を持っていたのではない。ただただ藤菜さんを見詰め、彼女の本当を理解したいと願った。そしてそれを実行したゆえに得ることの適った視点だったのだ。
回り道してしまった二人だったが、目を背けさえしなければ、もっと早くにたどりつくことも出来た位置だったろう。まっすぐな目に加え、まっすぐな心を持つ。それで見えてくるものを信じることがなによりだ。
評点:3
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