グレン・グールドの音楽思想

20世紀後半における音楽受容の一局面

第一章 演奏を創造行為へと変容させるテクノロジー

 グレン・グールドがコンサート活動を自らドロップアウトした後に、レコーディングスタジオを主要な活動の場として選んだことはよく知られている。コンサートをやめた演奏家のレコードなど売れるはずもないという世間の評に対し、グールドはその後もレコードをリリースし続け、結果その評のなんら実効性のないことを証明することとなった。

 グールドが「マイクロフォンと恋におちた」のは、グールド自身の言によれば1950年12月にカナダ放送協会(CBC)で初めての放送を行ったときのラジオ・スタジオでのことだ1。この放送自体は「生」放送であったのだが、放送の同日にグールドに渡されたアセテート盤レコードを聴く体験の中で、彼はレコーディングにおいて可能となる「創造的不誠実 creatively dishonest」を身につけたのだという。グールドはその時の状況をこう語っている:

もし百サイクルかそこらで低音をカットし、ほぼ五千サイクルまで高音をもっていったら、先刻弾かされた、陰気で、ぶざまで、低音の勝ったスタジオのピアノも再生時には、[……]音の倒錯行為が可能と思える楽器に、手品のように変えられるであろう。2

 ここでグールドがいうテクノロジーの助けを借りた「創造的不誠実」こそが彼のレコーディングスタジオでのキャリアを語る際に欠かすことのできない重要な要素であり、彼のレコーディングに関する思想の中核をなすものである。そしてレコードが演奏家に与える権利についてもグールドは発言している。

 では「創造的不誠実」に関する具体例、そして「権利」についてを追ってみることにしよう。グールドがレコーディングによって何を目指し何を求めていたかが明らかになるだろう。

第一節 「創造的不誠実」により得られる音楽の完全性

 グールド独自の用語に「ノン・テイク・ツーネス Non-Take-Twoness」というものがある。コンサートにおいて演奏をやり直すこと、すなわちテイク2を行うことができないことを表す言葉で、コンサートにおける演奏の一回性とほぼ同義であると考えてよいだろう。しかしこの用語には一回性という用語よりもより否定的な意味合いが込められている。よりよい演奏を目指すためにはいくつものテイクを重ねるということが不可欠であると考えるグールドにとって、コンサートでは不可能なその「テイク・ツーネス」こそが彼の求めて已まなかったことであったからだ。彼はルービンシュタインとの対話のなかで、レコーディングでは可能なテイクを重ねるということの利点を述べ3、さらに進んで彼は、その複数録られたテイクを、編集という手段によって継ぎ合わせるということを積極的に推進している。この継ぎ合わせに関してのグールドの見解はジョン・マックルーアとの対話『コンサート・ドロップアウト』に見られる4。継ぎ合わせには「指のミスなどの不正確なものを取り除くこと。」そして「集めた個々のテープを組み合わせて一つの統一したものにまとめあげること。」の二つの目的があり、なかでも後者はより重要なこととして強調されている5

 その後者の例としてグールドが何度となく取り上げたものが、J. S. バッハの『平均律クラヴィーア曲集第一巻』のイ短調のフーガで行われた編集である。彼はレコーディングの際「このフーガを八回も録り直し」そのテイクのなかから「六番目と八番目のテイク」を選び出したものの、数週間後の試聴でこの二つのテイクの「ともに一本調子である」という欠点が明らかになった。しかしこの二つのテイクは「主題を厳かに、レガートに、どちらかというと荘華麗に処理」されたテイク6と「主題がスタッカートを利かせたかたちに弾かれているので、全体的にはずむような印象を与え」るテイク8というように、まったく対照的な性格であるにも関わらず「ほとんど同一テンポで演奏されて」いたことから、二つのテイクを継ぎ合わせることが提案され、編集の結果両テイクの問題点であった「一本調子」であるという欠点を解消したのである6

 ここでグールドが特に主張したいこととは、決して欠点を被い隠す技術としてではなく、むしろ積極的な創造行為として編集を見るということである。テイクを重ねそのいくつもの解釈、演奏の出来を検討するという「手順は演奏者を作曲者にひじょうに似たものに」するとグールドは述べ7、その手順の仕上げとして編集がなされるのだ。

 編集によって一貫した音楽の構想が損なわれるという否定的意見に対してグールドは逐一反駁しているのだが、その議論での中心は、むしろ編集によって音楽はより慎重に考慮された構造的一貫性を得る、というものである8。それは先にあげたフーガの例であり、またJ. S. バッハの1955年の『ゴールドベルク変奏曲』のレコーディングの例である。

 グールドは『ゴールドベルク変奏曲』をレコーディングする際、主題となるアリアを飛ばしすべての変奏の満足な録音を終えた後に、冒頭のアリアを録音した。しかもこのアリアは、グールドの求めた完全に中立な性格が達成されているテイク21が採用されている9

 グールド在命中に出版された彼の伝記『グレン・グールド――なぜコンサートを開かないか』10の著者ジェフリー・ペイザントは同書の中で、グールドが『ゴールドベルク変奏曲』の「始めと終わりに現われる」アリアの「両方に同じテークを使用することを考えたか、考えなかったかについて検討してみるのは興味深い」との指摘をしている11。グールドはこのときのレコーディングではその手法は用いなかったものの、他のレコーディングにおいて同様の手法を用いていた。古典舞曲におけるリピートやソナタにおける再現部などのように、前に出た部分とまったく同じ繰り返しがあった場合、グールドはその部分を先に演奏した部分と寸分違わぬように演奏したいと思っており、そのためにグールドの「再生」と呼ぶ、コピーテープを用いての同一の演奏による継ぎ接ぎが用いられているのだ12

 グールドのプロデューサーであったカズディンは、他にも編集についての多くの証言を残している。

 グールドは二つのレコーディングで多重録音を行っている。一つはベートーヴェンの『交響曲第五番』のリストによるピアノ編曲版、もう一つはワーグナーの『ニュルンベルクのマイスタージンガー』の第一幕への前奏曲のグールド自身によるピアノ編曲版においてである。ベートーヴェンのリスト編曲のレコーディングにおいてグールドは「リストが書いた通りに弾くことはできる」が多重録音を用いるならば「その部分をはるかにもっと音楽的なものに」出来るという観点に基づき、最終楽章で二、三箇所多重録音を用いた。ワーグナーにおいてはもっと恣意的である。グールドはこの編曲にわざと四手でしか弾けない箇所を組み込んだのだ13

 こうした編集の試みの中で特に特徴的なものはシベリウスの『ソナチネ op. 67』と『キュリッキ op. 41』のレコーディングだろう。グールドは音楽に空間的広がりを持たせるため、距離を違えておかれた複数のマイクを使ってマルチトラックレコーディングを行いミキシング時の操作によって音響を変化させているのだ14

 グールドはこれらの編集作業を映画と重ねて考えていたふしがあり15、それは彼の様々な発言に散見している。マックルーアとの対話においてグールドは「ぼくは、テープを処理するのは、映画監督がそのラッシュを処理するのと同じことだとみなせばよいと思っている」と言い、マックルーアにそれを肯定させた上で彼に「ぼくは、一般の人が、映画だったら、制作する場合の編集に反対しない」のに「LPレコードを制作する場合に、なぜ彼らは編集に反対する」のかわからない旨を答えさせている16

 この編集を映画的手法と見る観点からすれば、レコーディングでの複数テイクの継ぎ接ぎや部分的演奏の録音、曲の時間的流れに沿わない録音、さらにはコピーされた同一の録音を継ぎ合わせて最終的作品であるレコードを作ることはなんら問題のないこと、いやむしろ最終的なでき上がりを最善のものにするために駆使されるべき当然の前提となる。この前提からすれば、最善の効果を上げるために多重録音を敢行することも、音楽的効果を得るための、映画においてカメラワークを駆使するような複数のマイクを用いての録音も、なんら憂慮すべきことではなくなるわけだ。これらはすべて演出者であるグールドの考える理想的な音楽を実現するための有効な、欠かすことの出来ない手段である。

 グールドはレコーディングの与える恩恵として偶然性や偶発的な要素を排除するという性質を明らかに期待している17。また偶然に生まれた良い結果を記録し、それを自身の意識の支配下に置くことの出来る可能性にも期待している18。グールドは明らかにすべての物事を自分の意識下に置きたいと望んでいる。演奏に侵入する偶然によってややもすると損なわれてしまいかねない、彼の意識にある音楽の構造的一貫性を護る手段として、彼の編集はあるのだ。

 この編集という作業を伴うレコーディングにおいては、楽譜は音楽の構造を記したいわば音楽の設計図としての役割の他に、録音での所作、行動を指示する、映画になぞらえて言うならば台本としての役割も加えられたと言ってよいだろう。グールドは楽譜をもとに音楽を分析し演奏計画を立てるとともに、最善の結果を得るための編集計画も立てる19。楽譜には演奏への指示だけではなく、弾き間違いや機器処理の変更、後で編集するために用いられる様々なメモが書き込まれており、その楽譜がレコーディングセッションの「決定的な記録」となるのだ20。台本としての楽譜に基づく編集計画にしたがって最終的に完成したレコードは、偶然性や偶発性が締め出された、グールドの意識によって構成されている彼の理想としての音楽そのものである。

第二節 レコードに与えられた作品としての自律性

 この章の冒頭に掲げたグールドの二つの主張のうちの後者、レコーディングによって演奏家が得る権利について述べよう。先ほどまでの議論においても重要であった、音楽における一回性の否定という問題がここでも重要になる。

 グールドは演奏を記録できるようになったことによって、コンサートという血なまぐさい体験が与えるプレッシャーから演奏家は自由になると説いた。グールドがいうにはコンサートに集まる人間の少なくとも幾人かは、ローマ時代の闘技場に集まる観衆やサーカスの綱渡り芸人がいつ足を踏み外すかと心待ちにしている観客と同様に、ピアニストがいつ失敗するだろうかとてぐすね引いて待っている21。そのため演奏家は失敗を恐れる気持ちから保守的な傾向、即ちコンサートレパートリーという十八番を手放すことが出来なくなるというのだ。「物すごい保守主義がコンサート演奏家を引続き管理している――演奏家はもしベートーヴェンの三番がたまたま自分のお得意だったら、ベートーヴェンの四番を試してみるのがこわくなる」22という訳である。しかしレコーディングによって演奏家はその保守的な傾向を生み出す失敗を恐れずにすむようになる。前節で述べたような何度もテイクを重ねること、さらに編集という技法によって得られる恩恵の結果である。

 コンサートに縛られていた時代には演奏家は常に演奏可能であるコンサート・レパートリーを持ち、その同じ曲をたゆまず練習しクオリティを維持しておく必要があったが、レコーディングでは一度録音するたびにその曲のことは忘れ、次のレコーディングのための新しい曲目にチャレンジして行くことが可能になる。即ちレコーディングのその恩恵によって演奏家は常に新しい曲目を開拓していくことを可能とするのだ。

 グールドによればこの様なレコーディングの恩恵によって次々と新しいレパートリーが開拓されて行き、聴き手の好みも――前古典派、バロック音楽がリバイバルし、ルネサンス、前ルネサンスの音楽さえもレコーディングされるようになったように――おのずと広範囲にわたることとなる。このことはさらに演奏家に新しいレパートリーを開拓するように迫り、またレコードの記録的な性格から要請されるものとして――モーツァルトのピアノソナタの全録音が示すような――ある作曲家のすべての作品を記録しようとする目的のレコーディングが重ねて広範なレパートリーを生み出すこととなる23

 ここでグールドがいわんとすることでもっとも大切なこととは、このレコードの記録するといういう性格、ひいてはその記録がいつでも参照可能であるというそのことである。

 作曲家は従来のあまりに不完全な記譜による作品に加え、レコードによって自身の解釈をも含めた鳴り響く作品を記録し後世に残すことが出来る24。このことは作曲家による作品の解釈を参照することを可能とさせ、もし(ナンセンスな仮定ではあるが)演奏における目的が作曲家の意図を再現するものだとするのなら、一つの定番としての録音を我々は得ることが出来るのである。

 しかし音楽作品を演奏することとはその作品の作曲者の意図するところのみを再現するものではなく、演奏家の作品に対する解釈によりまた再び作られるものである。このことに対するグールドの回答は「私は再創造的行為が創造的行為と本質的に異なるとは絶対に考えません」25というものであった。グールドにとってレコードに残される演奏はあくまでもその作品の音楽自体から導き出されたものでなくてはならないのであり、様々な演奏を聴きそれらの特徴を相互に取り入れることによって作り出されるような演奏は馬鹿げたものであった。他人の演奏方法に照らし合わせて作られた解釈、さらには伝統的解釈や正道とされる演奏、多勢による一致した意見にただ近づこうとするようなものは無意味なのだ26

 これはグールドのエキセントリックといわれた演奏の根本的な理由なのかもしれない。グールドのプロデューサーであったポール・マイヤースはグールドが「解釈についての伝統的な見解とか、演奏の尺度とみなされている同じ曲の既成のレコードには全く関心が」なく「その作品が新曲で、最初の解釈を持っているかのように演奏するのが好き」だという証言をしている27

 グールドのこの、他の演奏に拠らないという姿勢は自身の演奏に対しても徹底している。グールドが複数回録音した数少ない例としてハイドンの『ピアノソナタ第59番変ホ長調 Hob. XVI-19 』、モーツァルトの『ピアノソナタハ長調 K330 (300h)』、リヒャルト・シュトラウスの『「オフェーリア」の3つの歌』、ベートーヴェン・リストの『交響曲第六番「田園」』 J. S. バッハの『イタリア協奏曲』、そして同じくバッハの『ゴールドベルク変奏曲』をあげることが出来る。それらの旧録音、新録音をそれぞれ聴き比べてみると、驚くほどの違い――特にモーツァルトに顕著である――を見せているのが解る。これらはグールドの演奏が年月とともに円熟しそれに伴い解釈が変化していった結果ともとれるが、事実はおそらくそうではない。

 グールドはレコーディングの際に複数の解釈をもって望むのが通例だった。マイヤースによれば「同じ曲について十ないし十五もの解釈を演奏」28し、グールド本人によれば「同等に妥当だと思われた五つか六つの構想をもってスタジオに」来、「その五つか六つの可能な解釈を全部弾き上げ」た後それを数週間かけて評価、選択するのであった29

 それらの多様な解釈を検討し、その時のセッションでもっとも良かったものを採用するというそのスタイルからは、グールドが定番や決定的となる演奏解釈を認めていないことがうかがい知れる。その時たまたま良かった解釈が次のセッションでは評価されず、新しいセッションではまったく異なる解釈が、先のセッションで選ばれた解釈と同様の価値をもって、選ばれるという可能性が常にあるのだ。つまりグールドにとって音楽作品の演奏とは、作品の音楽自体から導かれる多様な解釈からある一つを選び出す試みであり、その選択行為によって作り出されるものがレコードに記録された音楽なのである。そしてこの多様な解釈を許す基盤としてレコードの記録可能性とその記録の参照可能性があるのだ。

 グールドはモーツァルトのピアノソナタのトルコ風の楽章のテンポを設定した理由として、「わたしの知るかぎりではともかくそれまでだれもあのように弾いた人はいなかったから、少なくともレコードにはなかったから」30と述べている。レコードに記録された演奏がいつでも参照することが出来る以上、その演奏と同じような演奏では意味がないとグールドが考えていたことは間違いない。そしてその参照可能であるレコードは――コンサートでの演奏とは違い一回性という要素は完全に払拭されている――あくまでも独立した一つの作品としてあるのだ。グールドはレコーディングに対して期待を込め、そのため「レコーディングはコンサート体験を盤上に複製する試みであってはならない」31のである。グールドにとってのレコードはあくまでもそれ自体で完成されている。その意味で彼のレコーディングは自律的な作品として存在しているのだ。

第三節 一回性を超越させるテクノロジーの作用と音楽の物化

 グールドがレコーディングにおいて求めたこととは、レコードという一回性を超える再生可能なメディアを自身の演奏解釈とともに作品とすることだった。この一回性を超えた聴取の反復可能性に応えるためグールドは完璧な演奏をもくろみ、編集というこのメディアを生かした手段を縦横に駆使したのだった。

 レコーディングと編集の魅力に出会った頃のグールドは、おそらく自身の思い描くままの完璧さをもつ演奏を創り出すことが出来るという、その現実を超える魔術的な手段に文字どおりまいってしまったのだろう。この時からグールドは作品という音楽そのものに目を向けていた。そしてその眼差しは生涯変わることはなかったであろう。しかし彼はそのレコーディングと編集にのめり込んで行くうちに、次第に音楽そのものだけでなくレコーディング行為によって生産される音楽を記録したメディアの即物的傾向へと傾斜していったのだ。

 グールドにとって作品として出来上がってくるレコードは第一に演奏の記録である。しかしさらに押し進めるとそれは保存可能であり参照可能であり、そして蒐集可能であるというものであった。

 グールドにとってそれらは意識的なものであったに違いない。アンドルー・カズディンはその著書の中でグールドの「隠し財宝計画」について語っている。グールドは自分が録音の仕事をやめることを公言すれば自分の未発表録音が蒐集対象品としての価値を帯び高価で取り引きされるだろうことを予測し、その価格が充分に高騰してからひそかに隠しておいた未発表録音をもっとも高値をつけたレコード会社に売りつけようとしていたのである32。この計画は結局おじゃんになったものの、このことによって自身の音楽が商業的に大きな意味を持ち得、レコードというメディアと結びつけられた所有可能で蒐集可能な「もの」であるということを彼がはっきりと意識していた証左となろう。

 グールドにとっては録音とは物質的な意味合いを強く帯びていた。このことはグールドが音楽に対し、それを完成させるために切り貼り、継ぎ接ぎも辞さないという即物的な態度に出たこと、その継ぎ接ぎにより創り出された演奏であっても一貫性が保たれていればなんら問題ないと編集反対派を一蹴したこと、それらの根本理由であったのだろう。

 彼の音楽――作品として自律するレコード、完璧な演奏を求め編集された演奏、そして彼がもっとも重要視した音楽自体、――それらは極めて即物的な性格に支配された、移ろうことのない物質として存在する音楽である。


第一章注釈

1 グレン・グールド「音楽とテクノロジー」野水瑞穂訳,ティム・ペイジ編 『グレン・グールド著作集2――パフォーマンスとメディア』(東京:みすず書房,1990年)所収【,172-173頁】。

2 同前,173頁。

 ちなみにジェフリー・ペイザントによる『グレン・グールド――なぜコンサートを開かないか』においては「パリジャンへの手紙 An Epistle to the Parisians: Music and Technology, Part I」と題された雑誌記事(『著作集』に収録されている「音楽とテクノロジー」の原型にあたる)から引用されているため、表現が少し異なっている。:

……私は当日朝、デレンとした、手に負えない低音指向のスタジオ・ピアノで、一仕事終えたわけだが、低音を百サイクルあたりでカットし、高音を約五千サイクルまで増幅してみたところ、そのピアノが魔法にかかったようにすっかり様変わりしたことを発見した。(Glenn Gould, "An Epistle to the Parisians: Music and Technology, Part I," Piano Quarterly 23, no. 88 (Winter 1974-5), p. 17. ジェフリー・ペイザント『グレン・グールド――なぜコンサートを開かないか』木村英二訳(東京:音楽之友社,1981年)より再引用【,235頁】。)

 なお「著作集」に載せられたグールドによる原文は以下のとおり:

I discovered that if I gave it a bass cut at a hundred cycles or thereabouts and a treble boost at approximately five thousand, the murky, unwieldy, bass-oriented studio piano with which I had had to deal earlier in the day could be magically transformed on playback into an instrument seemingly capable of the same sonic perversions to which I had already introduced Maestro Scarlatti. (Glenn Gould, "Music and Technology," in The Glenn Gould reader, edited by Tim Page, (London: Faber & Faber, 1984) [, p. 354].)

3 グレン・グールド「ルービンシュタイン」野水瑞穂訳, 『グレン・グールド著作集2』所収【,71-73頁】。

4 『コンサート・ドロップアウト』はCBSソニーからリリースされたJ. S. バッハの『ゴルトベルク変奏曲』のダブルアルバムに添付された対話レコードである。残念ながら現在では入手不可能となっている。ここで参照されているのは『WAVE』第16号に収録されている試訳「コンサート・ドロップアウト――演奏芸術における感覚の拡張と発展について」である。

5 グレン・グールド,ジョン・マックルーア「コンサート・ドロップアウト――演奏芸術における感覚の拡張と発展について」三浦淳史試訳,「グレン・グールド」,『WAVE』第16号,1987年,131頁。

6 グレン・グールド「レコーディングの将来」野水瑞穂訳,『グレン・グールド著作集2』所収【,148-151頁】。

7 グールド「ルービンシュタイン」,前掲, 71-73頁。

8 グールド「レコーディングの将来」,前掲,148-151頁。

 ジム・エイキン「グレン・グールド ピアノを語る」 木村博江訳,「グレン・グールド[改訂版]」,『WAVE』第37号,1993年,105-106頁。

 バーナード・アスベル「引退願望、作曲家への夢――グレン・グールド、二十九歳のインタヴュー」宮澤淳一訳,『WAVE』第37号,38頁。

 グールドの他の論文「音楽とテクノロジー」(,前掲。)と「録音テープは『隣りの芝生』――リスニングの一実験」(,『グレン・グールド著作集2』。)も参照されたい。

9 Broadcast, CBC (April 30, 1967). ペイザント,前掲より再引用【,81-82頁】。

10 原書の発行は1978年。Geoffrey Payzant, Glenn Gould: Music and Mind (Toronto: Van Nostrand Reinhold, 1978).

11 ペイザント,前掲,82頁。

12 アンドルー・カズディン『グレン・グールド アット ワーク――創造の内幕』石井晋訳(東京:音楽之友社,1993年),131-136頁。

 カズディンの証言ではどの曲のレコーディングに際してその「再生」技法を用いたのか明らかにはされていはない。しかしグールドが、音質を落とさないための手段として挿入された「ブランク・テープの部分に出くわしてひどく驚いた」との証言は、少なくともこの技法が一度は使われたことを示すものだろう。

13 ジョナサン・コット『グレン・グールドとの対話』高島誠訳(東京:晶文社,1990年),90頁。

 カズディン,前掲,39-40頁。

 グールドのワーグナーでの多重録音に関しては和田則彦による奇妙な指摘がある。和田則彦「Glorious Growling Gould――グールド・レコードのノイズ」,『グレン・グールド大研究』〈大研究〉シリーズ2(東京:春秋社,1991年)所収【,255-256頁】。参照。

14 カズディン,前掲,278-289頁。

15 エイキン,前掲,109-112頁。

16 グールド,マックルーア「コンサート・ドロップアウト」,前掲,135頁。

 グールドはこうした対話やインタビューにおいても自作の台本を用意するのが常だった(カズディン,前掲,170-172頁。)。その点を考慮しても、マックルーアの意見はグールドのそれと考えてもよいだろう。

17 グールド「レコーディングの将来」,前掲,148頁。

18 Canadian Composer, March 1969, pp. 40-41. ペイザント,前掲より再引用【,241頁】。

 ジャン・ジャック・ナティエ「唯一のグールド――グールドの思考における構造と非時間性」浅井香織訳,ギレーヌ・ゲルタン編『グレン・グールド 複数の肖像』(東京:立風書房,1991年)所収【,169頁】。も参照。

19 カズディン,前掲,59-61頁。

20 オットー・フリードリック『グレン・グールドの生涯』宮澤淳一訳(東京:リブロポート,1992年),198頁。

21 アスベル,前掲,38頁。

 ペイザント,前掲,54-55頁。

22 Glenn Gould: Concert Dropout (disc), Columbia, BS15 (1968). ペイザント,前掲より再引用【,62頁】。

23 グールド「レコーディングの将来」,前掲,144-148頁。

24 同前,157-8頁。

25 エイキン,前掲,108頁。

26 同前,107-109頁。

27 Paul Myers, "Glenn Gould," Gramophone 50, no. 597 (February 1973), p. 1478. ペイザント,前掲より再引用【,104頁】。

28 同前。

29 グールド,マックルーア「コンサート・ドロップアウト」,前掲,130-131頁。

30 グレン・グールド「モーツァルトとその周辺――グレン・グールド、ブルーノ・モンサンジョンと語る」野水瑞穂訳,ティム・ペイジ編『グレン・グールド著作集1――バッハからブーレーズへ』(東京:みすず書房,1990年)所収【,68頁】。

31 グレン・グールド「ストコフスキー 全六場」野水瑞穂訳, 『グレン・グールド著作集2』所収【,40頁】。

32 カズディン,前掲,311-312頁。


第二章 テクノロジーの浸透による音楽聴と聴衆の在り方の変質

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公開日:2000.08.19
最終更新日:2001.09.02
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