そもそもギターをやりたいと思いはじめたのは学生時分の頃で、随分前までさかのぼらなければならない。ちょうどアコースティックギターがブームになったころで、どの街角にもギター少年がギターを掻き鳴らして思い思いにがなっていた。テレビではアイドルがアコースティックギターを抱え、事情通の友人が言うにはブームの裏には業界の作為があるのだそうだが、そんなことは私にはどうでもよくって、ただただギターが欲しかった。
でも買わなかった。買わなかったのは時代の流れに突っ張ったからではなくって、金がなかったからだ。おまけに暇もなかった。ギターをやってる友人もおらず、ごみの日にスピーカを拾うことがあっても、ギターを拾うことはついぞなかった。
ゴンチチのチチ松村は大型ごみで何本もギターを拾っただなんて朝日新聞のコラムに書いていたけど、一体この世のどこにそれだけギターが落ちてるところがあるというのだろう。彼は楽園に住んでるんじゃないだろうか。
私の出自は管楽器奏者で、長くサックスやリコーダーを吹いていたのだが、これら管楽器にはちょっとした弱点があって、ギターを欲しいと思ったのはそのせいだ。弱点というのは、サックスにしてもリコーダーにしてもひとりだけでは完結しにくいという点だ。
合奏するとなるとそれだけの人手が必要だし、ソロにしても伴奏者を頼まなければならない。無伴奏、完全にひとりで演奏するという選択もあるにはあるが、大抵それは非常にマニアックな選曲となってしまって、聴取者に我慢を強いることおびただしい。
つまりは、ひとりでも完結し、また合奏も可能なギターの幅広さが魅力だったのである。
学生時代にギターを習う機会はあるにはあったのだが、当時の私はその機会を不意にしてしまっている。面倒を避けたいと思ったのが災いして、比較的得意な管楽器を選んでしまった。人生回り道である。
その後、世の中は沖縄ブームに入った。学内では三線を弾く学生が散見されるほどに、沖縄はブームだった。今年去年あたりならさしずめ津軽と言ったところだろうが、それ以前は三線だったのだよ。
けれど、さして沖縄に入れ込む理由もない私は三線には冷ややかで、当時の私の興味は大陸にあった。漢語、武術、思想が興味の中心だったが、同時にまた音楽にも興味はあった。中国の楽器、琵琶がやりたかったのだ。
ちなみにその頃中国は静かなブームで、二胡奏者の陳敏なんかは人気だった。友人にもひとり二胡を弾くのがいて、琵琶をやりたいんだよといえば楊琴を勧める。伴奏してくれという。
その時習っていた漢語の老師に琵琶やりたいというと、中国で琵琶は女性の楽器らしい。月琴を勧められた。でも琵琶をやりたかった。フレットがいっぱいあって指で弾く琵琶がやりたかった。
けれど結局入手の面倒と添わぬ縁があって、琵琶ははじめずに終わった。
だから入手簡単で教則の類いもたくさんあるギターに落ち着こうという訳なのだよ。
そしてギター購入 >