egbridgeが今後バージョンアップすることがなくなった。この現実を前にして、ついにAquaSKKへの乗り換えを決意したといっていました。AquaSKKは、Emacs上で日本語を入力するためのプログラムSKKを、Macintoshでも使えるようにしたものです。ちょっと癖のあるインプットメソッド。しかし馴染むと手放せなくなる、そうしたものであるらしいと聞いて、じゃあちょっと試してみよう。そう思ったのがSKKに触れたきっかけでした。
SKKは癖のあるインプットメソッド、そのようにいっていますが、実際その癖とはどんなものなのでしょう。SKKの入力方法について触れる前に、一般的なインプットメソッドの流儀を思い出してみましょう。ローマ字入力でもかな入力でもどちらでもいいですが、ある程度の文章を入力してからスペースを押すと、かなが漢字に変換されます。この時、どこからどこまでがひとつの単語ないし文節であるかをインプットメソッドが判断して、区切ってくれます。こうした仕組みは、私の愛用していたegbridgeでも、Macintoshに標準でインストールされていることえりでも、WindowsのMS-IMEでも、ATOKでも変わるところがありません。なので、かな漢字変換プログラムとはそうしたものだと思いがちですが、SKKはちょっと違うのですね。なにが違うかというと、SKKは文節の区切りを判断しないのです。
SKKは文節の区切りを判断しない、そのためそうした情報は、ユーザーが積極的にSKKに指示してやる必要があるのです。どこからどこまでが単語であるのか、送り仮名を送るのはどこからか、そうした情報をユーザーが明示してやることで、SKKはかなを漢字に変換する仕事に専念できるのです。
考えてみるとわかるのですが、一般的なインプットメソッドにおいては、文節の区切りがどのようになされるか、これが非常に大きな要素となっています。ちょっと昔のコマーシャルに、いれたてのおちゃを変換したら、入れたてのお茶となることを期待しているのに、入れた手のお茶と出てきてしまう、そんなことをユーモラスに描いたものがありました。これはまさしく、文節の区切りで失敗しているケースでありますが、人工知能を搭載しただなんだといっても、しょせんは機械のやることです。おのずと限界はあって、それがよくある変換のミスを生み出す原因であるのですね。
例えば、ないよう、という文字列があったときに、それが内容と変換されるか、あるいはないようとかなのままに置かれるかは、文章次第です。ですが、人は文脈を意識して漢字を選びますが、コンピュータはそうではなく、ミスのないように気を付ける、という文章を期待していたら、ミスの内容に気を付けるとなってしまっていた、なんてことは割合よくあることです。しかも、この誤りに気付かなかったりするんですね。ですが、SKKでは違います。SKKは、先程もいいましたように、文節の区切りは、入力する人間が指示します。なので、ないようが内容になることは原理的にありえないのです。
一般的なインプットメソッドでは、文字列の入力後、スペースで変換を開始して、エンターで確定させます。対してSKKでは、シフトで漢字に変換される文節の始まりを指定し、その文節の終りをスペースで指示すると、その文字列が漢字に変換されます。送り仮名のある場合は、仮名を送る最初の文字を同じくシフトで指示してやればいい。確定は次の文字が入力された時点で暗黙的になされるから、エンターを押す必要がないのですね。
まあ、そのかわりに、シフトをたくさん押す必要はありますけどね。
SKKを実際に使い始めるまでは、このシフトを押す動作がわずらわしいのではないかと心配したのですが、実際に使ってみれば、意外と問題にはならないものです。最初のうちこそ戸惑いましたが、直に慣れました。一日二日で慣れ始めるのですから、数週間も使えば、きっと問題はなくなるでしょう。今はまだ、少しぎこちなさも残っていますが、それもいずれ取れるでしょう。そう遠くないうちに。そして気付けば、スムーズに使えるようになっているのではないかと、そんな予感がしています。特に、ひらがなで表記することの多い私にとっては、インプットメソッドが漢字に変えたものを、その都度かなに戻してやる面倒があって、SKKではそれがなくなります。これだけでも、SKKを使うメリットはあるのではないかと、そんな気がするのですね。
SKKを使い始めて、まあ数日しかたっていません。ですから、このソフトの真価はまさしくこれからわかるのでしょう。なので、今は、この独特なフィールを持つソフトウェアに、素直な気持ちで向き合いたいと思っています。
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