体操にはまっちゃったりなんかして

 シドニーオリンピックでは、今まで見向きもしなかった競技に、すっかり入れ込んでしまったりして、新しい自分の興味をたくさん発見することが出来た。そもそも、名前がsnowdropだからというわけでもないが、冬季オリンピックには入れ込んでも、夏のオリンピックは興味の対象外でさえあったというのに。

 さて、九月十五日の「オリンピックでは書かないつもりだったのに」で書いたように、シドニーではテコンドー、レスリング、射撃だけは見るつもりだった。ということは、裏返せばそれ以外は見ないつもりだったのだ。

 ところが、ビーチバレーから水泳からサッカーから、重量挙げ、自転車と、テレビがついているかぎり見てしまっている次第。ついてるから見るという、主体性のない視聴はそもそも嫌いなのだが、それでもチェーンで続く中継を途切れさせることが出来ないのだ。

 それではまったのが、柔道、そして体操だった。

 柔道なんかは、それこそ高校体育での恨みもあって、今までは目も向けなかったのだが、田村亮子の金にかける意気込みをみたいと思って、見始めたら結構分かるんだわ。いやいやでも、高校体育で得た知識は今も生きているようで、そういう意味では教育ってありがたいと思う。結局、毎日、柔道は楽しみに観てしまった。

 それがために、最終日の男子100キロ超級での判定に熱くなってしまったりなんかして、今ではもう元通りの冷静さを取り戻してはいるものの、以前は理解だに出来なかったスポーツ観戦者の気持ちが分かるようになってしまった。

 さて、本題の体操。実は体操には、ほんのわずかだが、因縁がある。

 以前地元で国体があったとき、吹奏楽部所属だった僕はファンファーレ隊として、体操会場に詰めていた。もう十年以上前のことで、会場には当時から大人気だった、あの池谷と西川が来ていたのだった。

 でも人間というのは切ないのだね。当時僕はまったく体操に興味がなくて、超人気の彼らを目前としながら、早く帰りたくて仕方がなかった。

 そんな僕だったのに、体操が面白いのだ。

 今までは縦に回るか横に回るかの違いしか分からなかった鉄棒と鞍馬、ただ走っていって飛ぶだけにしか見えなかった跳馬、とにかく跳んで跳ねるばかりにしか見えなかった床など等々、見てるとそれはそれは面白いのだ。

 そもそもが、冬季オリンピック競技のフィギュアスケートに関しては、全部ビデオにとって残してしまったくらいに好きで、NHK杯など、テレビ中継があれば、可能なかぎり見てたくらいだったので、表現の仕方こそ違えど、体操にはまる要素は充分にあったのかもしれない。

 面白いのは、女子の体操だった。いや、男子も面白いんだけど、男子と女子は同じ競技であっても驚くほどに表現が違っていて、技そのものがストイックに表現される男子の面白さと、演技なども含め表現の華やかさをも競う女子の面白さは、まるで違う世界なのだ。

 で、その華やかな女子体操に魅かれてしまったわけです。

 特に目を引かれたのはロシアの選手達だ。特に、種目別段違い平行棒で金を獲得したホルキナには目を見張った。躍動感、スピード感あふれる回転と高い離れ業は、一瞬で心を奪った。ずぶの素人の僕でさえ、彼女のすごさを圧倒的な説得力でもって理解させられたんだから、そりゃもうすごかったんだろう。いや、本当にすごかった。

 実は後悔していることに、こうしてはまったといいながら、僕は最初の方の日程と最後の方の日程しか見ていなかったりする。つまり、団体の決勝は見てないのだ。

 非常に損した気分である。もし、ダイジェストであってもNHKが後日体操を放送してくれるんだったら、僕は間違いなくビデオに録る。

 そして、僕はあえて、体操にはまってみようと思う。

 余談であるが、フィギュアスケート好きの僕はシンクロナイズドスイミングにはまる要素も持ち合わせるように思えるのだが、どうもこちらは今一歩入り込めない。なんでだろう。


 余談ついでになるけど、ロシアのエカテリーナ・ロバズニャク、なんかちょっと眠たそうな目がいいです。なんか惜しいところで上位を逃して、なんとか金とって欲しいなあ。もう、最終日程終わったけどさ。

 そんなこんなで、ロシア語を十月からはじめることに決めました。ほんの出来心です。


いたましいこと、二題「ラドゥカン(ルーマニア、体操)金剥奪」

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公開日:2000.09.25
最終更新日:2001.09.02
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