シリーズ 旅行けばイタリア

フィレンツェ

フィレンツェでの日程

一日目(火曜日)
サンタ・マリア・ノヴェッラ(中央)駅
二日目(水曜日)
ドゥオモ前、天国の門(横切る)→ウフィツィ美術館サンタ・クローチェ教会国立図書館ヴェッキオ橋ヴェッキオ宮殿サン・ジョヴァンニ洗礼堂ドゥオモ美術館サンタ・マリア・ノヴェッラ薬局
三日目(木曜日)
メディチ家礼拝堂サン・ロレンツォ教会ラウレンツィアーナ図書館サン・マルコ美術館ドゥオモサンタ・マリア・ノヴェッラ教会アカデミア美術館
四日目(金曜日)
ユーロエクスプレスバス乗車

文化極まる地、フィレンツェ

夜のフィレンツェ市街 フィレンツェに着いたのは夕方。日はとうに沈んで残照が照らす街中を、スーツケースをがらがらと引っ張りながら一路ホテルを目指します。フィレンツェは、今まで訪れたどこよりも都会で、それだけにごみごみとして落ち着かない印象が強かった。日中の騒がしさの名残に、むしろ嫌気を感じるくらいに思えたのでした。

 駅からホテルまではそれほどなかったとはいうものの、一度地下を通りまた上るその上がりにエスカレーターはなく、ほうほうの体で上りきったその道が味わい豊かな石畳ときていて、正直げんなり。趣もへったくれもない舗装路に日頃悪態をついてやまない僕が、このときだけは鏡のように磨かれたアスファルトが恋しくなりました。

 ほうほうの体でホテルに到着。したら、ベルボーイの兄さんがなんかの用事で出払っていて、荷物を自分で運ばねばならなかった。でも、こんなことはたいしたことではありませんでした。問題は直に顕在化します。問題――美術館の予約、でした。

もし予約が無ければたくさん待たねばなりませんか?

 フィレンツェ二日目の観光ルートには、ウフィツィ美術館を予定していました。ウフィツィ美術館は、ボッティチェリの『ヴィーナスの誕生』や『春』をはじめとして、ミケランジェロやラファエロの絵画が盛りだくさんという、イタリア屈指の美術館のひとつです。ただ、それだけに人気も半端ではなく、とんでもない行列ができるとも聞きます。しかし、われわれはすでにミラノで学習しています。人気の美術館は要予約。ならば、ウフィツィも予約しておけば万全です。

計画の誤りと挫折

 人気の美術館は予約しておけば楽々入場できる。しかし、ウフィツィに関しては事前の予約をとっていませんでした。なぜか? それは、ガイドブックに、サンタ・マリア・ノヴェッラ駅構内の観光案内所で予約券を購入できるという裏技が掲載されていたからです。フィレンツェ到着日に予約券を入手し、翌日は楽々入場。これがウフィツィ攻略計画の全容でした。

 ところが、その観光案内所というのがすぐには分からなかったのです。これかも知れないというところがあったのですが、どうもそこは観光案内といったふうではない。とのことで、いったん駅構内から出て、サンタ・マリア・ノヴェッラ教会脇の観光案内所へと急ぎました。

 教会脇の観光案内所でウフィツィ美術館の予約に関して聞くと、この電話番号にかけろと一枚のフィレンツェ美術館案内地図(しかもコピー)をくれました。しかし、遠い異国の地イタリアで電話をするというのも豪気なことです。出来れば電話は避けたいと、再びサンタ・マリア・ノヴェッラ駅に舞い戻り、観光案内所を探します。先ほどの怪しげな観光案内所風を行き過ぎると、たくさんの観光客が吸い込まれていく窓口がありました。ならってわれわれも、オフィスに入っていきます。

 そこは、整然とした雰囲気でした。きれいに整えられた室内にカウンター。観光客らしき人間が列をなしています。順番を待ちながら、おそらくはここがガイドブックにあった観光案内所であろうと安心していました。一人また一人と列が短くなっていき、自分たちの番になったとき、カウンターのおじさんがショッキングなひとことを投げかけます。ここは、鉄道の予約カウンターだよ。

 観光案内所ではなかったのです。

 ここで時間をロスしたのは痛かった。先ほどの、怪しげと悪態をついた観光案内所こそがどうやら本物らしいといっても後の祭り。もう夜も差し迫って、オフィスはクローズしていました。こうなれば、電話も通じません。予約は失敗したのです。

 美術館の予約が出来ないことくらいたいしたことではないと僕は思うのですが、同行者にとってはこの予測外が思いのほか堪えたらしく、すっかりふてくされてしまいました。長大な列があれば、別の場所を回ればいいだけと思うのですが、この考え方はきっと間違っているのです。仕方がないので、今までは同行者にお任せでくっついていただけの僕ですが、一肌脱ぐことに決めました。

 困ったときは、ホテルのフロントに聞くのが一番です。もしかしたら、裏技を知っているかも知れない。少なくとも、状況くらいは教えてくれるでしょう。しかし、美術館の予約がどうこうといえるほどに、イタリア語をしゃべれないという問題もあります。ならば、フランス語でやっつければいい。きっとフロントはフランス語もオッケーだろうと勝手に決めつけて問い合わせに向かえば、実際、フランス人観光客にばりばりのフランス語で応対しているところでした。

 こいつはラッキー。エクスキュゼ・モワ、とフロントに話しかけました。

 明日、ウフィツィ美術館にいくつもりなのですが、予約がとれませんでした。予約無しならば、長く並ぶ必要がありますか? と聞けば、それはもう並ばねばならないということ。とても長いですか? ウイ、とても長いです。

 うげー、やっぱり行列は噂だけではなかったのか。しかも、裏技はなにもないということでした。

 ならば、策を講じなければなりません。なんでも物事は、人のしようとしないところを衝けばよいのです。人が集まらない場所にいけば、悠々としていられます。しかし、今回は人の多く集まる場所。とくれば、人がいかないような時間にいけばいい。つまりは早朝、開館間際を攻めればいいのです。

 計画は決まりました。実行は明日。今日出来ることはすべてやり尽くしました。次にやらねばならないこと、それは食事です。僕が目覚めた以上、ガイドブックに首ったけというようなことは許しません。再びホテルのフロントに参じ、またもやフランス語で、良いリストランテはいずこやと聞けば、ホテルと提携しているトスカーナ料理店を紹介してくれました。

 トスカーナ料理店は、日本人団体ツアーがいてげんなりだったものの、現地の人もいっぱいいて実にいい感じ。おいしいリストランテかどうかは、現地の人の入りでだいたい分かるものです。案の定料理もおいしくて、しかも店の人が気さく。帰りには、オーナーと握手をして別れました。

 大抵のものは現地調達で足りる。旅の格言です。

フィレンツェ二日目

ウフィツィ美術館に向かう

 予約無しだけど、並ぶのは絶対いや。この相反する要求を同時にかなえるために、朝六時半に起床。早々に朝食を済ませて、前夜に予習しておいた、ウフィツィ美術館への早道を急ぎます。

 ホテルからウフィツィに向かうには、まずドゥオモを目指すのが効率的でした。フィレンツェのドゥオモ前には、天国の門で有名なサン・ジョヴァンニ洗礼堂があります。けれど、今は門を外から眺めるだけ。とにかく、美術館へと急がねばなりません。

シニョリーア広場、彫像 急ぎ足でしたが、朝の時間はものが美しく見えるので、街のたたずまいに目を奪われっぱなし。近代的街並みに突如として現れる、中世の空気をまとうがようなオルサンミケーレ教会。美術館前のシニョリーア広場には、ヴェッキオ宮殿がどっしりと存在感を主張して、けれどその周りに山と居並ぶ有名な彫像のレプリカ群がいかにも観光地くさくて、このアンバランスさには少々閉口しました。

ウフィツィ美術館

 開館直後のウフィツィ美術館は、人の姿もまばらで、並ぶことなくすいすいと入館することが出来ました。まさに作戦が大当たり。美術館は午前中を攻めろとは、洋の東西を問わず有効な真理のようです。

 ウフィツィでは、ヴェネツィアの轍はもう踏むまいと、入館直後にブックショップを思う存分物色。例のバンビーニシリーズ・フィレンツェも無事購入。他に、絵葉書や子ども向け美術本、そしてぱらぱら漫画まで、少々買いすぎた嫌いさえありました。作戦の成功で、いつも以上にハイになっていたせい、ということにしましょう。

 ウフィツィ美術館は、両脇に彫像立ち並ぶ廊下沿いにそれぞれ名前が付けられた部屋があり、それぞれのテーマに基づいた絵が掛けられています。宗教画の部屋が何室か続き、次いでボッティチェリをまとめた部屋、ダ・ヴィンチの部屋もあれば、ミケランジェロやラファエロなどもあり、さすがの充実です。最も有名なものはボッティチェリの『ヴィーナスの誕生』と『春』ですが、そのほかにもジオットの『荘厳の聖母』やらミケランジェロの『聖家族』やらラファエロの『自画像』やら『ヒワの聖母』やら、エル・グレコもカラバッジョもデューラーも。思い出せないほどのビッグネームの数々。やはり、本場は違うと実感させるに足るコレクションでした。

 特筆すべきことではないのかも知れませんが、いかにもヨーロッパの美術館らしく、宗教画の充実は凄まじいのひとことです。キリスト・イエスの磔刑図や聖母子像、受胎告知、殉教図も、枚挙にいとまがないほどに並んでいました。となれば聖セバスティアヌスの殉教もあるに違いないと踏んでかかれば、案の定何枚もありました。彼は、よほどの人気のようですね。

特別展遠近法、展示 ウフィツィでは、常設展のほかに特別展も充実して、非常に楽しかったです。一つ目は、ルネサンスから近代に至るスケッチが集められたもので、規模こそ小さいもののバラエティに富む内容が面白かった。二つ目は、遠近法に対する画家たちの試みや理論付けが非常にわかりやすく説明展示された、かなり大規模なものでした。

 遠近法の特別展は、遠近法を理論化するために使用された器具類が展示してあっただけでなく、中世の平面的に描かれた絵画から、描かれたものの前後関係を明らかにしてみたり、遠近法を用いて描き直したりと、面白い試みが目白押しでした。絵画を立体化した模型も面白ければ、人が入ることの出来る大きなカメラ・オブスキュラもあって、体験しながら知識を得ることが出来る。よい企画を立案する人材が揃っているのだろうなと、イタリア・フィレンツェの文化度の高さを改めて知る思いでした。

白い人と女の子 でも語るばかりではちょっと空しい。百聞は一見に如かずともいいますので、ぜひ一度フィレンツェはウフィツィ美術館にいってみてください。損はさせません。

迷った末のサンタ・クローチェ教会

 僕は京都の人間です。長く京都に暮らして、当然のことながら京都での流儀が身にしみています。京都での流儀、それは、道は常に東西南北に向かっているというもの。目的のものを見ながらその方向に歩いていくだけで、簡単にそこにたどりつけると頭っから思い込んでいます。それが失敗のもと。いや、一概に失敗とはいえないですが。

 ウフィツィ美術館を出てから、軽くピッツェリアで食事をしました。広場を後にし、大通りに出たところで適当に決めた切り売りピザ屋です。ボリュームのあるどっしりとしたベースに、たくさんの具がのっている。けれど、注文されてから焼くピザではないので、手軽に食べられしかも安い点が魅力です。

 食事も終わって、次の目的地へと向かいます。目的地は、ドゥオモでした。

通りから見るサンタ・クローツェ教会 食事をしたピッツェリアは、ドゥオモ方面に少し戻ったところにあったわけです。当然頭の中では、南北の同じ座標上に、ピッツェリアとドゥオモが位置していました。東に向かい少し北に行ったところにドゥオモ、そう思い込んでしばらく歩いていると、目の前に教会のファサードが見えきました。あああれがドゥオモだと、やっと着いたよ。広場を通り抜けて、「ドゥオモ」に入りました。

 意外と小さいなあ、がらんとしてるよ。ミラノのドゥオモのほうが大きくて見事やった。そんな感想をもったのでした。当たり前です。だって、ここはサンタ・クローツェ教会であって、ドゥオモではないのですから。ここがドゥオモでないと気づいたのは、教会を出てから。出たところに天国の門がないことを不審に思ったためでした。

 サンタ・クローツェ教会は、ジオットのフレスコ画とミケランジェロの『受胎告知』で有名ですが、もちろんそんなことは意識せずに見て回っていました。決まった構図があるので『受胎告知』は一目に瞭然ではあるのですが、それがミケランジェロとは。恐れ入る次第です。

 最も印象に残ったのは、お墓が床のそこかしこにあって、その上を通るのがいやにはばかられたことでした。お墓には、亡くなったその人を表しているのか、大理石に立派な彫刻がされていて、けれどその上を人が通るものだから、像が磨り減ってしまっているのには驚きました。なかには、それがとりわけ重要だからなのかあるいは傷みがひどいからなのか、人が通らないように柵で囲われたものもありました。

 この教会のブックショップでは、絵葉書が白眉でした。ヴェネツィアのサン・マルコ教会で、求めても手に入らなかった楽譜のマニュスクリプトの絵葉書が、ここにはたんとあったのです。かなりの分量があったので全部を買うわけにもいかず、選ぶのに一苦労。楽譜の総体がわかりやすいものを特にピックアップして、それらを購入しました。ここで歌われているものなのかグレゴリオ聖歌のCDもあり、これを買うかどうかでも激しく悩みました。けれど、結局は買わずじまい。肝心なところでけちってます。

サンタ・クローツェ教会 ドゥオモと間違えて、偶然やって来てしまったサンタ・クローチェ教会。けれど、ここに来れて本当によかった。もし迷ってなかったら来られなかったわけで、危うく大きな損をするところでした。

 今、この文章を書くにあたってフィレンツェ市街地図を見直したところ、ドゥオモとウフィツィ美術館の間の道は東西南北方向に走っています。それも、京都のように四角く区画されていて、なぜこんなところで迷ったんだろうかと疑問です。もしかしたら、呼ばれたのかも知れませんね。本当に、よい導きでありました。

イタリア国立図書館

イタリア国立図書館正面 最初、国立図書館にいく予定はなかったのです。というかそれ以前に、ここフィレンツェに国立図書館があるということさえ知りませんでした。その存在を知ったのは、迷いこんでしまったサンタ・クローチェ教会界隈から抜け出ようと、フィレンツェ市街地図を眺めていたときでした。さすがに観光客向け施設でないため、控えめに小さく、黒い字で記された、国立図書館の文字。本好きとしては、これはいっとかんといかんでしょう。ベッキオ橋に向かう途中、少し遠回りして国立図書館を見にいきました。

 いかにもイタリアという感じの街並みを抜けて、アルノ川を目指します。国立図書館はアルノ川沿い、観光地から普通の都市の顔に変わろうとする狭間に立っていました。二本の円柱が正面の三つのアーチを支える、歴史と風格を漂わせる巨大な建物。アーチ上部には、BIBLIOTECA NAZIONALE CENTRALE、国立中央図書館と書かれた看板が掲げられています。国立図書館と、すぐにわかりました。

入り口に掲げられる国会図書館の文字 ここまで来れば、入ってみなければなりません。ある種使命感に燃えて入り口をくぐると、そこには明らかに観光客ではない人たちがやって来ていました。入り口を入って正面に図書館内部へのドアがあり、これをくぐればいよいよ館内なのですが、その前にロッカーに荷物を預けなければなりません。ロッカー室は、入り口を入ってすぐ右側。ところがそのロッカーが、これまた年代物という感じのダイヤル式ロッカーときています。ダイヤルを回して、ロック、そして解除をするというものですが、そのロッカーの使い方がわからない。

 問い合わせは左手窓口までといった案内を見て、案内窓口と思しきところを見てはみるのですが、さすがに調べものをするわけでもない一観光客に過ぎない自分が、通じないイタリア語でもって交渉するというまでには思いきれず、ここはすごすごと引き下がることにしました。無理に開いているロッカーに荷物を入れ、それが開かなくなったらことでもありますし。

 結局、入り口の扉に張り付いて、図書館内部をうかがうだけうかがい、国立図書館を後にしました。いつかもっとイタリア語に習熟して、またフィレンツェに来た曉には、入館してみたい、と思います。

 しかし、首都ローマではなくて、フィレンツェに国立図書館があるというところに、フィレンツェの文化度の高さがうかがわれるものですね。思いがけない出会いではあったけれど、一度みたいと思っていた本場の図書館を見るだけは見られたわけですから、今は結構満足、しておきましょう。

ヴェッキオ橋

ヴェッキオ橋 ドゥオモにいくつもりが、迷い迷ってアルノ川まで来てしまったので、ここは近場のヴェッキオ橋に向かいましょう。今いるのが国立図書館ということは、途中グラツィエ橋そばを通りながら、川下に向かうことになります。真昼の強い日差しに照らされながら、市街を右にアルノを左に見ながら、気だるさもともなって、歩いていきました。

 イタリアに来てからは、太陽の下をとにかく歩いてばかりだったので、このくらいになるとすっかり日焼けしてしまって、何国人かわからないようになっていました。そうだ、サングラス買おう、サングラス。イタリアでは眼鏡を買うつもりだったのが、高くて断念していたので、せめてサングラスを買おう、道端の眼鏡売りから買おうなどと考えているうちに、ヴェッキオ橋に到着しました。

ヴェッキオ橋上の貴金属店 ヴェッキオ橋は、橋の上に商店の並ぶ、昔ながらの景観を保っています。かつて、ヨーロッパの橋というのはみんなこうだったという話です。橋の上にはぎっしりと建物が立ち並んで、生活の場として機能していたのでした。そして、ゴミや下水を川に投げ入れる。そりゃ、病気も流行ったというものです。実際、ヴェッキオ橋も同様。橋の上には肉屋が並んでいて、それはそれは悪臭がひどかったと聞いています。それで、時の権力者、フェルディナンド一世が肉屋を取り払わせて、かわりに貴金属店を集めた。今も橋の上には、貴金属店が並んでいます。

 とくれば、ショッピング! と洒落込むのが普通なんでしょうが、残念ながら貴金属には興味がないので、一通り眺めておくだけにとどめました。興味があったらなら……請求が怖いことになってたでしょうね。

ヴェッキオ宮殿

ヴェッキオ宮殿 ヴェッキオ橋を後にして、後半戦は近場のヴェッキオ宮殿の攻略から再開することにしました。ヴェッキオ宮殿というのは、十四世紀に建てられたゴシック様式の平城で、メディチの初代当主ともいえるコジモ一世の居城でもありました。芸術と文化興隆に力を入れた彼らメディチ家の台頭があってこそ、フィレンツェがイタリア・ルネサンスの中心地として華やいだのです。そんなこんなで、フィレンツェにはメディチ家にまつわる名所が数多く、このヴェッキオ宮殿もそのひとつであります。

 ヴェッキオ宮殿に入ろうと入り口にまわったらば、大々的に持ち物検査が実施されていました。それも、ゲートを通り、手荷物にはエックス線を通すといった空港並のもので、冷や汗が出ました。いつもひっかかるんだわ。もちろん、行きの空港でもひっかかっています。言葉の不自由なイタリアでひっかかるのはやだったので、財布も鍵もなにもかも、思いつくものをすべてトレイに出したら大丈夫でした。同行者はひっかかってましたが、わはは。

 宮殿内はがらんとした広さがあって、いい雰囲気です。一角では写真の展示もあって、ちょっとしたミュージアム。写真を見た後、五百リラ払ってトイレにいって、もちろんブックショップも物色して、ビリエッテリア(チケット売り場)を経て、荷物預かりにいったらそこに無料のトイレがあった……

彫像の掃除 ヴェッキオ宮殿の見物は、五百人広間といわれる大会議場。二階に上がって入場したら、そこがもう五百人広間です。広間の一方は一段高くなっており、そこには教皇の像がありました。像はこれだけでなく、広間のあちこちにしつらえてあり、掃除の真っ最中でありました。日頃みられるものではないので、ちょっと面白かった。

 ヴェッキオ宮殿は、最上階の回廊まで上ると、フィレンツェを一望する一大展望台といった風情です。望遠鏡がいくつもあって、しかもそのひとつひとつのレンズ構成、方式が違っていて、いろいろと覗き比べるだけでも楽しい。望遠鏡を覗くのにお金を必要としないとは、実に太っ腹です。

コジモ一世像 ヴェッキオ宮殿を後にしたのは、一通りその展望回廊を満喫したのちでした。なんか、回廊ばかり記憶に残って、他はうろ覚えです。

サン・ジョヴァンニ洗礼堂

 ヴェッキオ宮殿も見た、じゃあ次はドゥオモだ! と勢い込んでいったらもう閉まってた。えー、六時までとちゃうのん? 今日は早じまい? とにかく閉まってるんだから仕方ありません。予定変更して、ドゥオモ前にあるサン・ジョバンニ洗礼堂に入ることにしました。

天国の門とサン・ジョバンニ洗礼堂 サン・ジョヴァンニ洗礼堂は、フィレンツェの守護聖人である聖ジョバンニにささげるために建てられた洗礼堂です。八角形をしていて、扉のひとつは天国の門として特に有名です。けれど洗礼堂の入り口は天国の門ではなくて、別の扉だったりします。

サン・ジョバンニ洗礼堂、天井画。 サン・ジョバンニ洗礼堂で圧巻なのは、その天井画――モザイクで描かれた一大ページェントです。一角にキリストが御座し、中央に開けられた採光口からの光で燦然と金色に輝く宗教絵巻の見事さは、言葉なぞ介さずキリスト教の偉大さを漲らせています。テレビや映画というメディアがまだなかった時代、こういった絵画、彫刻といった類いは、充分に人の心を掴むだけの力をもった、一大メディアとして機能していたのでしょうね。

 僕はキリスト者ではないけれど、ヨーロッパのキリスト教文化の分厚さには圧倒されるばかり。宗教というのは、こういうものなのだとひしひしと感じました。

ドゥオモ美術館

 さて、フィレンツェ見物二日目のお仕舞いは、ドゥオモの裏手にこぢんまりとしてあるドゥオモ美術館です。ドゥオモ美術館には、大聖堂ドゥオモを飾った彫像のオリジナルが納められ、展示されています。オリジナルを、雨風による傷みから保護しようというわけです。

 展示されているものの多くは、聖人や天使をモチーフとした彫像で、くわえて聖遺物などもありました。有名なものは、ミケランジェロによる未完のピエタ像とドナテルロの手によるマグダラのマリア像。特に後者は、ぞっとするほどの迫力があって、これが本当に五百年も前に作られたものかと思わしめるほどの凄まじさがありました。しかもそのマグダラのマリアが、十字架に架けられたキリスト像に対置されているという憎い演出もあって、これらがただの美術品としてあるのではなく、宗教的意味も含んでいるのだと感心した次第です。

 この美術館で面白かったのは、楽器を持つ天使像でした。入り口をくぐってすぐに並んでいた一群の天使達は、手に手に楽器をもって一角を占めていました。フィードル、プサルテリウム、ポルタティーフ・オルガンなどなど。これらの天使があまりによかったので絵葉書を探したら、意外とよくなくて残念ながら断念。画にしてよくなるものと、よくなくなるものがあるんですね。難しい……

サンタ・マリア・ノヴェッラ薬局

 ドゥオモ美術館でお仕舞いと思っていたら、同行者が突然サンタ・マリア・ノヴェッラ薬局にいきたいといいだした。お腹でも悪くしたのかと思ったらそうではなくて、伝統的製法にもとづいて作られた石鹸や香水が売られる、一種の観光名所なんだそうです。サンタ・マリア・ノヴェッラ教会の裏手にあるという話なので、サンタ・マリア・ノヴェッラ広場をふらふらと散策。もちろん日はとっぷりと暮れて、辺りは真っ暗。すっかり夜の装いでした。

 薬局というくらいだから、薬局なのだろうと、薬局を探しましたよ。イタリアで薬局は緑十字の看板を掲げているのですぐにわかります。広場の隅に緑十字を見つけて、薬局発見と急行したらば、普通の薬局だった。文句言われたって、知らんって。

 地図を奪ってよくよく見たら、スカラ通りをかなり入った先に目的地はあるようです。地図を頼りにいってみたら、確かにありましたサンタ・マリア・ノヴェッラ薬局。緑十字はどこにも掲げられていませんでした。

 店内は、香料の匂いの立ち込める、厳かな雰囲気すら漂う空間でした。七世紀の建物をそのまま使っているのだそうです。で、肝心の買い物はというと、思ったより可愛くないのひとことで終了。でも、雰囲気のよい、いい場所でした。石鹸や香水も、こういったものに凝る人からしたら、宝の山に違いありません。日本語で書かれたメニューもあったので、イタリア語苦手な人でも多分大丈夫。

 行かなかったら損とまではいいませんけれど、僕はいってよかったと思います。

二日目の晩餐

 二日目の食事は、飛び込みのイタリア料理店でした。サンタ・マリア・ノヴェッラ薬局を探している途中にpasticceriaを見つけて、おおパスタ専門店だと喜んで、すっかりパスタ気分になってしまっていたためです。じゃあ、入ったのはそのpasticceriaなのかというと、実は違ったりします。なぜか? Pasticceriaというのはパスタ専門店ではなくて、お菓子屋だからなんですね。なので、イタリア人がたくさんいる店はいい店という法則にしたがって、近場のよさそうなリストランテを探したのです。

 そのリストランテは、こじんまりとしたなかにも活気がある、いい感じのお店でした。店内入り口付近は、警察官に占拠されている。こりゃ、まずいわけないよ。店は、イタリア統一広場の向かい、パンツァーニ通り沿い。店の裏口がサンタ・マリア・ノヴェッラ広場に通じているようで、入り口には日本語のメニューありますの張り紙がありました。すぐにわかると思います(わかんないか)。

 そのリストランテではパスタとピザを頼みました。サラダも頼んで、もちろんワインも頼みました。白です、白。もちろん、ハウスワインをカラフェで頼みました。そうしたら可愛い花柄の陶器の壷に、微炭酸の白ワインが注がれてやってきました。もう、おいしいのなんのって。なおかつ、これが安いんだ。もう、イタリアに住みたいくらい。住むならフィレンツェだよ、フィレンツェ。フィレンツェ、さいこー。

 ここのカメリエーレも、ちょっとだけ日本語がわかるようでした。こういった観光地の主だったところでは、だいたい日本語もオッケー。日本語メニューもあるので、安心です(逆に、イタリア語で覚えている料理が注文しにくかったりするんだな)。

 支払いを頼もうと思って、カメリエーレにL'addition, per favore. とやったら、それはフランス語、イタリア語ではコントだと教えてくれました。そうだった、そうだった。どうしても思い出せなかったものが解決して非常にいい感じ。店の雰囲気もとってもいい感じでした。また来よう。カメリエーラも可愛かったし。

 さて、言葉も現地調達。一種の真理ですね。

フィレンツェ三日目

メディチ家礼拝堂

 フィレンツェも三日目。当初はサンタ・マリア・ノヴェッラ教会にいくつもりだったのが、朝早すぎてまだ開いてなかったので、急遽メディチ家礼拝堂に変更したのでした。メディチ家礼拝堂は、サン・ロレンツォ教会の裏手にあって(というか、同敷地内といっても差し支えないくらい)、しかもサン・ロレンツォ教会の二階がラウレンツィアーナ図書館なので、一気に観光名所を攻めるには、非常によいロケーションなのであります。

 メディチ家礼拝堂というのは、簡単にいえば、歴代メディチの当主が埋葬された墓所。けれど、墓所というにはあまりに絢爛で、豪奢な装飾が目を引きます。

 レリーフ、壁画、クーポラを飾る天井画、そして彫像、彫像、彫像。墓所のひとつひとつに、その墓の主なのか、玉座に腰掛けた古代ローマ風風貌の像があり、彼に付き従うが如くの男女像があります。その彫像群のふたつが、ミケランジェロの手によるもの。この街には、いたるところにミケランジェロの作品と出会うことができる場があり、この礼拝堂もまたそのひとつなのです。

サン・ロレンツォ教会ラウレンツィアーナ図書館

 サン・ロレンツォ教会は、一階に回廊に囲まれた中庭の美しい教会。先ほど訪れたメディチ家礼拝堂に接し、彼らを弔う教会でもあります。回廊の周囲には今も人が住んでいると思しき扉、房があって、どうやらここいらへんは観光用ではない模様。一巡りして、二階、図書館へと向かいました。

 ラウレンツィアーナ図書館というのは、いわゆる図書館と聞いて思い浮かべるような近代図書館ではありません。当時の図書館とは、貴重品である本を収集する個人や教会、修道院によって支えられる、より閉鎖的なものでありました。このラウレンツィアーナ図書館もそのような性格を帯びており、文芸の興隆に熱心だったメディチ家が集めた写本、古典を収蔵する場所です。

 この図書館を造らせたのは教皇クレメンテ七世だそうで、メディチ家の蔵書を収集し公開にあてたとのことですが、残念ながら今は一般人が立ち入ることはできません。

 一般人が入ることができるのは、図書館の入り口前の階段までです。階段を上がることはできますが、いけるのはそこまでです。扉から館内をのぞけば、そこには『薔薇の名前』を思い出させるような書写台がずらりと並んでおり、おそらく専門家なのでしょう、幾人かの姿を認めることができました。あの場に、文脈に自分も参加したい、とは思いましたが、さすがにそれは不遜というもの。遠くから眺めるのが、今の精一杯と心得ましょう。

 ちなみに、さっき説明した階段を設計したのがミケランジェロ。フィレンツェでは、階段までミケランジェロ作です。ちょっとインフレ気味?

サン・マルコ美術館

 サン・マルコ美術館に移動。ここは美術館とはいいますが、修道院の姿をほぼそのままに残す建物そのものがひとつの美術品といっても差し支えがないほど。一階部分は中庭を回廊が取り囲む、広々と気持ちのいい空間が広がっていて、二階には僧坊がずらりと並び、独特の空気が濃密に立ち込めています。

 ここは修道僧フラ・アンジェリコが残した壁画によって有名であり、なかでも彼の代表作である『受胎告知』は格別の清冽さで見るものを魅了します。中世の香りを残す初期ルネサンスの平面的構図の中に、どきりとさせる活写がひそんでいる。有名な絵ではありますが、階段を上った先に現れるというロケーションの魔力も手伝うのか、未だ礼拝的価値は失せていないと実感させるだけの内実をともなって迫ってきます。

 『受胎告知』以外では、僧坊のひとつひとつに描かれた、キリスト受難の壁画が見事です。果たして室内に、磔刑のキリスト像があって心休まるのかどうかはわかりませんが、信仰というものの凄まじさは少なくとも感じられるでしょう。狭い部屋の狭い壁面に描かれた聖画が、ここに寝起きをした僧たちの生の中心であったのでしょう。

 サン・マルコでは、嬉しいことに写本の展示もなされていました。広い室内に並べられた大本には、色とりどりのミニアチュールが華やかに踊っています。刻まれた文字のひとつひとつ、そして楽譜のもつ迫力に相変わらず引き付けられて、ガラスケースに張り付いて動けなくなったのは、まあいつも通りといえるでしょうか。

 修道院というのは一種の研究施設でもあったので、こういう写本の類いが山と所蔵され、日夜書写されていたわけです。見るごとに感動します。飽きないです。

ドゥオモ

ドゥオモ よい都市には、その都市を代表する建築がある。となれば、フィレンツェを代表する建築物はこのドゥオモ、花の聖母教会で決まりでしょう。高さ106メートルのクーポラは、フィレンツェという都市を象徴的に物語っています。どうしてでしょうか。それは、このクーポラこそがルネサンス建築に多大な貢献をし、大きな影響を与えたブルネレスキの手になるものであり、彼の代表作だからです。それまでになかった、アーチによって支えられたドームは、まさにルネサンスという時代の幕開けを告げるに相応しい偉業であり、当時フィレンツェが文化、技術の中心地であったことを証拠だててさえいるのです。

地上より見るドゥオモ さて、ではドゥオモ内部に入ってみましょう。色大理石に飾られた外観とは異なり、内部は非常に落ち着いたものでした。装飾も少なく、ステンドグラスもむしろ控えめ。けれど決して地味というわけではなく、熟成した祈りの空間を感じさせるといえば、それを表すことができるでしょう。

 ブルネレスキのクーポラを下から見上げれば、そこには最後の審判のフレスコ画が偉容を放っています。キリストを一面に、他の七面には審判の模様が。天使が最後のラッパを吹き鳴らすと、死者は墓からよみがえり、善きものは神の国に、悪しきものは地獄に落ちるという、その全容が圧倒的な迫力で描かれています。異教徒としては、正しく生きようと思う次第です。

ドゥオモ内部 ドゥオモを訪れたのは平日だったので、ミサはもちろん行われてはいませんでした。けれど、ここで行われるだろうミサも、きっと立派なものに違いないでしょう。機会があれば、いつか立ち会いたいと思っています。建築というものは、やはりその目的のために機能しているときが、最も美しい。その意味では、ドゥオモの美しさを僕はまだ知るに至っていないのです。

昼食

 昨日の昼食は切り売りの出来合いピザだったので、今日はちゃんと焼いてくれるピザを食べることにしました。切り売りピザも悪くはないのですが、せっかく来たイタリアなので、ここは張り込んで少しでもいいものを食べておきたいと思ったわけです。

 選んだのは昨夜のリストランテ。なぜ昨夜のリストランテかといえば、

  1. 人が食べていたピザがおいしそうだった
  2. Il conto, per favore. をいいたかった
  3. カメリエーラが可愛かった

 真相は闇の中です。

 ピザはおいしかったです。ワインもおいしかった。昨夜は白だったので、今日は赤。まだ昼なので、un bicchière soloです。やっぱりワインは赤がおいしいなあと思いながらピザを平らげると、残るは勘定。カメリエーレを呼びました。

Il conto, per favore.

Si.

 完璧です。

サンタ・マリア・ノヴェッラ教会

サンタ・マリア・ノヴェッラ教会 食事のためにサンタ・マリア・ノヴェッラ教会近くまで戻ってきたのは、観光戦略のひとつでもありました。朝一番にいくつもりだったサンタ・マリア・ノヴェッラ教会に、食事をついでにして寄ろうという魂胆です。

 サンタ・マリア・ノヴェッラ教会は、フィレンツェの入り口ともいえるサンタ・マリア・ノヴェッラ(中央)駅の駅前に建つ教会。フィレンツェを訪うものを最初に迎えてくれる、最初のランドマークともいうべき建物です。教会の裏手には観光案内所もあり、ここを最初のよりどころとした人も多いのではないでしょうか。

 サンタ・マリア・ノヴェッラ教会。入り口をくぐると、墓の並ぶ小さな庭が。人のお墓を踏むのはどうにもはばかられて、足下にばかり注意がいってしまうのですが、そのほんの小さな空間が非常に気持ち良い、本当に幸いな場所でした。入り口を出れば、喧騒の広場に面しているのです。なのにここでは静寂を感じることが出来る。まさに教会とはサンクチュアリであるのだなと心得ました。

 その静寂と幸いの空間は、教会の中においても同様でした。何人かの観光客は認められますが、やはり宗教的環境という力場がものをいうのでしょう。華やかな厳粛さに包まれ、清浄さに穏やかであることが出来ました。

 これは、おそらくは、ここが宗教的場であると思う自分の心が作用しているのでしょう。ですが、同様にここを神聖な場であると思う人々の思いも、ここを特別な場所にしているのだと思います。聖画を前にして十字を切る観光客を見れば、宗教に遥か遠くある自分なぞは、信仰をもつということに多少のうらやましさなどを感じてしまうのです。

 これは、どこの教会にいっても同じです。ですが、特にここでは強く感じました。なぜかはわかりません。

アカデミア美術館

 昼前に前を通りかかったときは、長大な行列が出来ていたアカデミア美術館。並ぶのはいやだったので後に回したのが功を奏して、並ばず楽々で入館することが出来ました。ここの見どころは、いわずとしれたミケランジェロのダヴィデ像。ダヴィデ像は四人の奴隷像を従えて、最奥に鎮座ましましています。

 しかし、見物はダヴィデだけではありません。絵画もあり、多くの彫刻が展示された部屋もある。見るべきものはたくさんあるのです。一室にたくさん集められた彫刻。それらは、胸像があり天使や子どもの像がありと、非常に多様性に富んで面白みも豊かなのだけれど、どうやら石膏像であるのか、金属の芯が入ってそれが緑青を点々とふくものだから、少々気持ちが悪かった。それさえなければよかったのですが、ものによっては正視できないものもありまして……

 アカデミア美術館はもちろん常設展もよかったのですが、特別展が非常に素晴らしかった。その特別展というのは、ルネサンスからバロック、近代へと進んでいく楽器の歴史を追うというもの。展示されている楽器の質は最高、触って理解することが出来る資料も充実、設置されたPCで楽器の音、演奏を聴くことも出来る。なににつけてもレベルの高さと、至れり尽くせりの心配りの細やかさが、美術館のレベルの高さを裏付けていました。

 展示されていた楽器のなかでも白眉は、その弦楽器群でしょう。ヴァイオリン、ビオラ、チェロがストラディバリウス。ストラディバリの手によるビオラおよびチェロは、それぞれ五十挺ほどしか現存していないという非常に貴重なもの。しかもチェロは三挺展示されていました(世界に四十三挺しかないといいます)。さらに、ヴァイオリンの一挺はメディチの家紋が入っているという代物で、なお加えてストラディバリウス。眼福でございました。ミーハーと思われてもかまいません。

 触って理解できる資料とは、大抵の楽器博物館に置かれているピアノとチェンバロのアクション見本。けれどそれ以外には、音響学に関する資料が面白かった。水の張られた金属製のボウルは、両脇につけられた手をこすると水がわーっとはじけるというもの。けれど、これは手が金属くさくなってしまうんですよね(しっかりくさくなった)。他にも音叉があり、弦長の比を調べるための一弦琴もあって、これらでもって音の仕組みを理解し、また楽器製作に反映させたのだと思うと、ちょっと興奮しました。

 そして、CD-ROM。長老の楽器といわれるハーディガーディを選んで、ひどい音だひどい音だ、のこぎりの目立てだと喜んでみたり、セルパンの音を聞いて、ひどい音だひどい音だ、水道管だと喜んでみたり。かなり楽しむことが出来ました。

 ただ残念だったのが、当然購入できるものと思い込んでいたこのCD-ROMが売られていなかったことでしょう。楽器展のカタログを見たところで、実際の話、仕方がないのです。楽器とは楽の器であり、音をもってはかられるべきもの。見た目の美しさなどは二次的産物に過ぎません。出来がよかったからこそ欲しかったCD-ROMだったのに、それが買えなかったのは業腹でした。すべては一期一会と考えれば、立ち会えたというその事実だけで充分満足なのですが、ですが人間とは欲張りにできています。本当に残念、ショックでしたとも。

三日目の晩餐

 フィレンツェの最後の夜。食事は、初めの夜のトスカーナ料理店でとることに決めました。オーナーの人柄が良かったこと、店の雰囲気がよかったこと、なによりおいしかったこと。これらが決め手でした。

 サラダを頼み、スープとパスタを頼みました。もちろん、ワインもです。けれど、さすがに歩き疲れが出たのか、途中で眠くなってきて早々に退散。一人、先にホテルへと戻りました。

売店に寄り道

 ただ、そのホテルへの帰り道にちょっと寄り道をして、売店に立ち寄りました。というのも、ここに日本の漫画が売られているのに気付いていたからでした。軽く挨拶をして、スタンドの脇に並べられた漫画を物色します。品ぞろえは、やはり日本でも人気のものが多く、その中から適当なものを物色して購入しました。どうやら奥にほかの漫画もあるようです。片言のイタリア語でそれも見せてくれるよう頼んで、とりあえず自分の好きそうなものを中心に買い占め。ちょっとマニアかと思われたかな?

 ホテルやレストランでは英語なんかも通じますが、こういう現地の人向けの売店なんかではイタリア語しか通じないことも間々あります。やっぱり、イタリアはイタリア語が出来たほうが楽しいなあ。心からそう思いました。片言でもそうなんです、きっときちんと話せたなら――

 これで、フィレンツェは終わり。美術館、教会巡り、さらにはショッピングも少しして充実の二日間でした。ネットカフェにもいったし、いっぱいコミュニケーションにもチャレンジしたし、はじめに感じた嫌気なぞどこかに消えうせていました。

 四日目は朝早くにバスに乗り、この街を後にします。二日など、あっという間でした。


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公開日:2001.11.06
最終更新日:2001.11.24
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