いよいよ香港の旅も最終日となりました。昼にはツアーに合流して、空港へ向かわねばなりません。なので、本日午前中が最後の自由時間となります。じゃ、どこに行く? 今日は文武廟へゆきましょう。
その前に腹ごしらえです。昨日、朝が早すぎて朝食を食べそこねた、澳門行きのフェリーターミナルで朝食をとろうということになりました。つまり、目的地である文武廟は、フェリーターミナルからそれほど離れていないのです。
フェリーターミナルには、実に大衆的な食堂がありました。大衆的といっても、昨夜晩餐をとった飯店とは随分違って、もっと近代的で合理的な、軽食堂といった感じのところ。モーニングのセットがあったりして、安く簡便に食事をすますことができます。
で、その朝食べたのが早晨中式麺食というもの。鮑魚菰鶏絲湯麺を頼みました、と書くとすごいものみたいですが、鶏の細切りが具にはいった汁麺です。麺は細くて腰もあって、スープは薄味で、でもよく味が出ていておいしいのですが、食後に付いてくるコーヒーがなんというかよく分からない味で弱りました。インスタントなんでしょうか、コーヒーフレッシュが悪いのでしょうか、とにかくコーヒーがおいしくなかった。これって、香港がイギリス領だったことに関係してる? 澳門でのコーヒーとはおそろしく対照的なコーヒーの味。香港は紅茶がおいしいのかも知れません。
食事を終えて、そろそろ出発しましょう。出発前に、開店前のテナントを見て回るのですが、眼鏡屋のショーウィンドウに陳列されていたサングラスがちょっとかっこよくって欲しかった。でもね、店が開くのはまだまだ先だったので、残念ながら見送るしかありませんでした。仕方がないですね。すべては一期一会、これも縁だと思って割り切りましょう。
マカオ・フェリーターミナルから文武廟への道程は、ほぼ一直線に歩くことになるのですが、その道程の最後、文武廟を間近にキャット・ストリート、ハリウッド・ロードを横切ることになります。キャット・ストリートというのは、細々とした骨董品屋のひしめく小路。けれど今は先を急ぎましょう、キャット・ストリートは後回しです。そしてハリウッド・ロードこそが、目的地文武廟の位置する通りなのでありますが、文武廟を目前として、ある店に引き寄せられるようにして歩みを止めてしまったのでした。
それは、香港の茶器屋さん。中国茶の道具が小奇麗に展示され売られている、小さいながらも清潔さ漂う、よさそうな店でありました。
店をくぐると、左に茶壺、茶杯がずらりと並んだ棚があり、右手には奥にカウンター、手前には茶芸に使われる道具一式が陳列されています。茶壺、茶杯と一口にいってもいろいろな種類があって、シンプルなものから手の込んで文字や模様、さらには竜頭が動くようなギミック付きのものまで、見ているだけで飽きない。非常に楽しいのです。
と、その時、店のおかみさんが、サービスなのでしょう、実際にお茶を淹れてくれました。朱泥の茶壺に固く閉じた茶の葉を入れて、熱いお湯が注がれます。さらに、蓋の閉じられた茶壺にさらにお湯が注がれて、茶海に一旦注がれた後、一杯ずつ茶杯に分け注がれるのです。その、ひとつひとつの茶器を温めながらの手順が丁寧で優雅で、非常に落ち着いた空気が漂います。お茶も実にふくよかに香りが広がって美味。おいしいおいしいと喜んでいれば、烏龍茶、プーアル茶そしてジャスミン茶と都合三種のお茶をいただいて、結局茶道具を最小限一式買って帰ることに決めました。
買ったのは、茶壺、茶杯、茶盤。中でも茶盤は焼き物のちょっと凝った感じのもので、見てすぐに気に入りました。まず茶盤ありきで、茶盤にあった茶壺、茶杯というふうに、ひとつひとつ選びながら買っていくのも楽しいもの。プーアル茶の茶葉を、おまけにいくつかいただきました。
本当に感じの良くって、長居してしまうお店でした。茶壺は使えば使うほど育ってよくなってゆくといいます。この日買った茶壺、一生ものと思って長く使っていきたいものです。
文武廟は、香港最古の道教の寺院。建立は1840年代とのことだといいます。学問の神様である文昌帝と武門の神様である関帝が祭られていて、それで文武廟。けれど、僕はここに来るまでまったく知りませんでした。関帝――三国志の英雄関羽将軍がここに祭られているということに。文武廟の門をくぐって左にある説明を呼んで、ようやく納得がいったのでした。そうか、やっぱりあれは関羽将軍だったんだ。九龍での買い物中に発見した、大薙刀を手にした髭の武人の置物。関羽将軍に似てる似てると思っていたら、なんのことはないご本人でした。そりゃ、似てるわけですよ。
廟内にはいってみれば、そこはやはり香港の寺院の雰囲気があふれているのでありました。朱の柱に金文字が穿たれ、薄暗い屋内、天井からは電燈の暖色の光に、ぐるぐる巻きの大線香がもうもうと煙をあげています。結構朝早く訪れたにも関わらず、信心深い人たちの姿もちらほらと見られ、あからさまな観光客然とした人の間にあって、文昌帝、関帝に深く祈りを捧げていらっしゃったのが印象的でした。
さて、廟内を訪ってすぐは、一体誰が関帝なのかわからなかったのです。それらしいなという人はいたのですが、どうも確信が持てない。せっかくきたのだから挨拶のひとつもしていきたいじゃありませんか。ということで、線香や小冊子を売っているおじさんに聞いてみようと思ったのでした。でも、思ったのはいいのですが、関羽将軍って中文でなんていうのか分かんない、というわけで、紙にただ「誰関羽将軍?」と書いて、胡散臭い嘘中文発音で聞いてみたのでした。そうしたらば、おじさんは親切にも先に立って案内してくれて、これが関羽将軍だと教えてくれたのでした。おじさんありがとう。
関羽将軍は、言い伝えよりもずっとささやかなものでありましたが、きちんと髭を蓄えて、偃月刀をかたどったオブジェの奥に鎮座ましましていました。武人という印象は薄く、むしろ穏やかさが表立っていて、まあそれは文武両道の人という話ですから。関帝の像はここだけではなく、ほかのところにもあったりして、また文昌帝、関帝以外の像もたくさんあったりして、こういうごちゃごちゃとして神様がいっぱいというところは、日本も似たところがあります。なんかほほ笑ましく、線香などを買ってお備えしてきました。
文武廟自体はこじんまりとした建物で、決して大きなものではないのですが、入ってみると意外と見どころがたくさんで、飽きませんでした。とりわけ、あのたくさんの線香のぐるぐるは、香港最終日にはよかった。ああ香港だという気持ちで帰れそうです。
ちょっと計算を誤りました。文武廟訪問前の茶器のお店での長居、そして文武廟でも長居。そんなで、キャット・ストリートを散策する時間がなくなってしまいました。キャット・ストリートは、細い小路に骨董品だかがらくただかよく分からないものを売る店がひしめく、ちょっとしたおもしろ買物プレイスとして知られています。でも、今回はパス。足早に店先を眺めながら、あっという間に通りすぎていってしまったのでした。
文武廟、キャット・ストリートを辞して、ホテルへの帰路につきました。もう昼前なので、街はすっかり動き出しています。海縁の道をぼさっと歩いていたときのことでした。突然お腹が壊れたのです。やばいっ、ホテルに急がないと。とは思うのですが、急いでもホテルはまだまだ先です。仕方がないので、どこでも適当なところに飛び込んで、トイレを借りることに決めました。
でも、トイレを借りられそうなところというのがなかったのです。ちょっとしたビルに入っても、トイレらしきものは見付かりません。仕方がないので、飛び込み対象を広げることに決めてその一件目が、どう考えても高級そうな飯店だったのでありました。
どう考えても観光客然とした男が飛び込んできます。きょろきょろ店内を見回し、チャイナドレスの女給さんを目にすると、真っ直ぐ寄っていって早口でまくしたてました。ツースォツァイナー、ツースォツァイナー、ツースォツースォツースォツースォ。女給さんのひとりがトイレを指差してくれたのに謝謝とお礼を早口にすまして駆け込み、事無きを得たのでした。
ツースォツァイナー、日本語にするとトイレどこ、になります。トイレどこ、トイレどこ、トイレトイレトイレトイレトイレ。いやな客だ…… でも北京語しか使ってないから、多分中国人と思われていますよ。高度な策略ですね。
海外を旅するときは、その国の言葉でトイレの場所を聞けるというのは重要です。イタリアでもそうでした。香港でもそうでした。香港の言葉、北京語じゃないけど……
お昼の十二時に、ホテルのロビーに集合。これからバスに乗って、空港に向かいます。おっと、その前に免税店によるのでした。九龍にある、DTFという看板の大きく掛けられた、まんまデパートみたいな免税店。だけれども、その隙間時間を、二度目の九龍市街散策に振り向けようという魂胆です。目的地は一昨日も行った老婆餅の店。老婆餅、もう全部食べちゃってしまってたのでした、お腹空いてたので。そしてもうひとつは粥の店。九龍廣東道76号地下にあると、手元にあるチラシに書かれているので、まあここには間違いなくいけるでしょう。おいしいという話なのです。
バスが出発、香港島を離れ、九龍の繁華な地区を抜け、バスの目的地免税店に到着。何時何時に入り口に集合してくださいというツアコン氏にういうい答え、免税店にはそっぽを向いて、一路九龍市街ですよ。何度か通った九龍なので、特に迷うことなく第一の目的地に到着。またもや老婆餅を買い込んで、でも今日は食べませんですよ。次なる目的地は粥店、怡園粥麺小厨ですよ。ここでお腹いっぱいになっては困るのです。
住所を頼りに粥店に到着。やっぱりおいしいという噂は本当だったのか、やたらはやっていて、お客さんがいっぱいです。少々待って入店、さてなにを食べようか、麺もあるけどやっぱりメインは粥ですよ。帆立のとピータンの入ってるのを注文、もちろん麺も注文してますよ、でもメインは粥です。そして、この粥はメインというに充分値する、素晴らしくおいしいものだったのでした。
中華粥ですので、米はすべて長粒米の割れ米。長粒米独特の香りに、乾貝柱の味わいが非常によく染んでいて、追加の具であるピータンがむしろうるさいくらいに感じるほどに基本がしっかりしています。貝柱の粥ともなると、もはや完璧な調和が際立っていて、いくらでも食べたい、具なんかいらないと思うほどでした。
でも、粥だからすぐに食べ終わっちゃうんですよね。でも御代わりしようって感じじゃない、後口もじんと残っておいしい――それで充分なのでした。
こんなわけで、非常にお勧めのお店です。九龍にいらした折りはぜひお立ち寄りを。
さて、用事も済んだので免税店に戻ります。まだ時間があるのでさっと一巡りして、集合場所におもむきます。バスに乗り込んで、もうそろそろしたら香港、九龍とも、日本語のやけに上手なツアコン氏ともお別れなのだなと思いながらの道程。さあ、もうじき空港に到着です。
いよいよ香港を発つときがやって来てしまいました。いきなり決定され、いきなり旅立ってきた三日間。思えば腹の立つこともありました。香港を――ひいてはアジアを憎もうかとさえ思ったほどでしたが、でも結局は憎めなかった香港。楽しいことも多かったのであります。
空港まではツアーの体でバスに乗せられてきたのですが、いざ空港に着けばもう解散も同じ。各自各自がめいめい勝手に行動しています。なので僕もそれにならって勝手に行動。飛行機にさえ間違わず乗れればかまわないのですよ。
でもだったらなにをすればいいのでしょう。正直いいますと、搭乗時間がくるのを待つ以外にすることがないのですよ。なので、今朝見て欲しかったサングラスを探してふらふら。でもどこにも売っていないのです。残念と意気消沈しても仕方がない、まだまだ時間は残っていたので現地通貨の整理でもいたしましょう。
喫茶店に行きましょう。残りの香港ドルもさほどないので、スターバックスみたいなのがいいです、と思ったのですがそれがどこにあるのか分かりません。見回せば、一階上に生ジュースを提供しているテラス風の売店が。エレベータを探して、そこでなんか適当に生ジュースでも飲むことに決めました。
注文をすれば、目の前で果物をジュースにしてくれます。キウイフルーツのジュースを注文しました。結構たくさんになります。これをもって、一階下の空港ロビーを見渡せる位置に付いてゆっくりしたらば、なんとあったんですね、喫茶店。目の下、すぐ真ん前にあったんですね。さっき一体なにを探していたというのでしょう。でも、ゆったりとしたスペースでゆっくりできるここも悪くはないよねと、香港三日間を反芻しながら、適当にそこらの紙に関羽将軍の落書きなぞして、時間をつぶしておったのでした。
時間が経てば機上の人です。行きはビジネスクラス、帰りはエコノミーでほんとにがっかり。一時間ほど乗ってれば、飛行機は関西空港に。こうして旅は終了するのであります。
旅の終わりとはいつも、ほっとしながらもどこかうら寂しいものです。
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