一夜が明けて今日も香港は晴天。僕の旅はいつも早起きと決められているので、当然のことながら今日も早めに起きます。ホテルは食事が付いていないので、着替えれば早々に出発です。
朝食はありませんでしたが、送迎バスはあるのでした。バスは八時出発で、香港島中心地である中環へと向かいます。駐車場へゆくと、マイクロバスにはだれも乗っておらず、加えて運転手さえいなかった。入り口は開いていたので乗り込んでみると、ひょうひょうと運転手は現れ、バスは中環へと向けて出発しました。
ホテルのある界隈には倉庫問屋の類いがひしめいていて、バスの窓からは荷卸しをするトラック、きびきびと動く市場の人びとが見える。香港のすでに目覚め活動している様が活き活きとして気持ち良いと感じた。対照的なのが中環で、八時過ぎに到着したそこは土曜日ということもあり、むしろ静けさが漂っている。街路の辻、地下鉄出口には、募金箱を持った、高校生くらいだろうか、グレーの制服の女の子が二人三人と立って、募金を呼びかけている。僕も呼びかけられたのだが、なにしろ僕は旅行者であって募金をするという余裕もない。僕はその子にその旨を告げ、その場を離れるのでありました、募金者に貼り付けられるシールに少々未練を抱きながら。
さて、レパルスベイ行きのバスを探す前に、朝食を取らねばなりません。と思って探すのですが、食事処みたいなのがない。どう考えてもビジネス界隈としか思えないこの場所に、なぜこれほど食堂の類いがないのかと、いぶかしく感じるほどにありません。食事処を探してふらふらと、ビル群の合間合間をくぐり抜けて歩けば、偶然ビルの中に営業している粥のスタンドを発見しました。よし、ここいらで食事としましょう。
香港中環界隈は非常にシンプルなビジネス街の顔をしているのに、一歩ビルに入ればいかにも香港らしい雑然とした雰囲気があって素晴らしい。というか、大阪をちょっと彷彿させてよい感じです。今回発見した粥スタンドというのも、そういう意味で非常によかった。というのも、ビルのフロアの真ん中に、まるで屋台をそのまま運んできたような気さくさでもって営業中。いや、味がありますよ。だって、本当に屋台スタイルなんだもん。
さてメニューはというと、粥や麺といった基本の料理があって、それにトッピングやおかずの皿を組みあわせるという感じ。けれど食べたいのは粥だったのであります。躊躇せず、最もシンプルな粥を注文したのでした。
基本はテイクアウト、ここで食べたい人はカウンター席で食べてね、という形式なので、食器はぺこぺこの使い捨て。そこに熱い粥が注がれ、やっぱり使い捨てのれんげで食べます。したら、この粥がおいしいのなんのって。ベースは乾し貝柱でしょうね。ばらばらになった、貝柱の繊維が見えます。そして時折見付かるピータンの破片。この決して主張することのない具材の醸し出す味わいの豊かさ。いやあ、香港人いいもん食ってるなあ。しかもこの粥が安いんですよね。羨ましいですよ、こんなにおいしい粥が食べられるって。日本から自転車で通える距離なら、僕は完全に常連になりますね。いやはや、本当に当たりでした、おいしかった。
粥を食べ終えてから、ビル内をぶらぶら歩いてみました。開いている店は件の粥屋台と写真屋だけ。後は雑貨屋みたいなのが軒を連ねています。と、そこでとある店の片隅にQooを発見! コカコーラ社から出てる飲み物、クーのポスターですよ。例の、ちょっと欲張りでいけずなキャラクターが広東語しゃべってます。ちゃんと片仮名で「クー」って書いてあったりして、香港における日本カルチャーの浸透ぶりがなんとなく分かる一駒でありました。
香港における移動は、地下鉄、トラム、バスが主要な手段となっています。本日のレパルスベイ経由スタンレーマーケットへの道程は、このうちのバスを使います。このバスというのがダブルデッカー、いわゆる二階建てバス。さすが元イギリスだけのことはあります(多分関係ない)。
中環からは、いろんな方面行きのバスが出ています。香港島だけでなく九龍半島へ行くバスも出ているので、ここを中心にしてほぼ香港全域をまわることができるのです。ですが、行き先が多いということはバス停の種類も多いということ。なかなか目当てのバス停が見付からないのには弱りました。
さて、バスは前金制です。しかもお釣りがでないという素晴らしいシステムです。このへんは僕の育った関西とは勝手が違って、ちょっと迷うところ。関西のバスは、運賃後払いでお釣りもでるのですよ。いや、威張ることやおまへん。関西のバスと香港のバスが似ているのところは、降りる際にボタンを押してしらせることかな。でも案内の放送はないので、自分で降りる停留場をチェックしておかないといけません。ってゆわれても、はじめて来た香港で降りる駅なんか分かるはずあらへん。けど、実は目印があるんですよね。レパルスベイには、とても特徴のある建物があるのですよ。でもそれはまあ後の話。
バス嫌いの僕がはじめて乗る二階建てバス。座るなら二階ですよ、しかも一番前の特等席。いやあ揺れますね、揺れますよ。容赦なく猛スピードで走るし、しかも途中からワインディング・ロード。ロング・アンド・ワインディング・ロードですよ。道の脇に茂った立ち木が、バスの屋根の高さで削れてるの。それでもって、こけるんじゃないかと思うくらい揺れる。ぞっとしますね、遊園地みたいですよ。でも、それでもうとうとするんです。眠気ってすごいですね。
と、そんなふうに揺れたり揺られたりしているうちに、目印の建物が見えてきました。もう少しで、レパルスベイです。
がたごととバスに揺られながら窓外を眺めていたらば、見えました、ザ・レパルスベイのランドマーク。それは――、建物の一画に四角い大穴が開けられたマンション。この建物はあまりに有名なので御存じの方も多くいらっしゃることでしょう。風水の考えにもとづいて、山からの気の流れを妨げないように大穴を開けたのだとか。さすが風水都市香港。ちなみにこの建物、昔はホテルだったそうです。
バスを降り、山道から海岸へと続く階段を降りていくと、目の前には海岸が一面に広がっています。湾というだけあって、緑の濃い山に抱かれるかのような海。でもさすがにクリスマスを目前とするだけあって、人の姿はあちらこちらにちらほら見えるだけなんです。なんですが、泳いでいる人なんかもいたりしてちょっと驚かされる。元気な人がいるなあ、西洋人か?
この海岸は、映画『慕情』でのロケ地だったそうで、またリゾート地としても有名です。でも僕は『慕情』は見たことがないので分からないんですよね。音楽なら知ってるんですが(演奏したことあるし)。海岸はそれほど大きくないのですが、きっとシーズンの盛りには、この海岸を埋め尽くすほどの人出がでるのでしょう。人込みが好かん僕にとっては、ちょうどいい時期に来たのかも知れません。天気も良かったし海岸も奇麗、それになによりちょっとしんみりとした人気のない海岸という、そのシチュエーションがよかった。
ちょっと寂しげな雰囲気をしみじみ味わいながら砂浜を横切っていくと、いずれ海岸の際にたどりつきます。するとそこには、なんかちょっと派手なものがある―― あれは、あれは一体なんだ? それは、我々の考える香港を引き写したかのような風景――天后廟。そんなものがあるなんて知らなかった、ちょっと寄っていこう。
砂浜がいよいよ尽きようというころ、目の前に見えてきたのは赤い太鼓橋。橋の向こうには、緑屋根にやはり真っ赤な柱の小さなお堂があって、どうやらこの橋を渡った先にまたひとつの別世界があるようなのです。そこは、レパルスベイの西洋的雰囲気とはまさに好対照。極彩色のオブジェがひしめき合う、我々の想像する香港的世界が広がっていたのです。
海に迫り出さんばかりの小公園には、伸び上がって立つ黄色の鯉に金の角の山羊、妙に愛嬌のある龍、クジャクに乗った神様? とにかく、なにやら有り難そうな像がたくさんたくさんあって、観光客もまたたくさんたくさんいたのでした。季節外れのレパルスベイとは本当に対照的です。なかでも面白かったのは、観光客がこぞって像の口に硬貨を入れようとしていること。手の届きそうな像にだけじゃなくて、大人の身長の三倍ほどもある黄鯉の口にどんどん硬貨を投げ入れている。何度も何度もチャレンジして、やっとこさ口に硬貨が飛び込んだかと思ったら、それより以前にはいってたのがちゃりんちゃりんと落ちてくる。まるでスロットマシンみたいだと、落ちてくるたびにみんな大笑い。自腹を切らずに硬貨投げ入れをできるのは、ちょっと気安くて面白かったなあ。僕も参加しようと拾った硬貨がシンガポールのものだったというのも、なかなかに味わいのある一駒でした。でも硬貨が口に入ったらどういう御利益があるのかは、結局分からずじまい。でも、それでも楽しかったからいいのです。
海辺を後にして山側に行けば、そこもなにやら不思議な世界。細かくタイルで細工された巨大観音像や天后像が偉容を誇っています。後で調べてところによると、この天后というのがここの本尊で海の仕事の守護神なのだそうです。というわけで、こちらが本堂ですね。ちゃんとしたお堂もあって、たくさんの人がお参りしていました。これら極彩色は、湾岸沿いを走る道路に出るまで続きます。真っ赤な塀が続くその上にカラフルな龍が寝そべり、要所要所には京劇の面を思わせる大きな装飾が立派で、最後の最後まで楽しませてくれました。
しかしこの閑静な界隈に突然出現するこのオブジェ群はなんなのでしょうか? 観光客誘致のため? いえ、そうじゃないらしいのです。海に臨む公園で、観光ガイドがこれらは観光目的で作られたものじゃないのだと説明していたのを覚えています。縁起の良いものをひとところに集めて一度に御利益を得ようとしたらしい。そういうところに香港人持ち前の信心深さが見えるような気がします。がめつい? いえいえ、この考えって世界のどこにでもありますよ。
さあ、レパルスベイを後にして赤柱へと出発しましょう。海岸から天后廟を経由してバス通りに戻ります。でもよく考えたら海岸を横断しているわけですから、元のバス停からははるか遠くに隔たってしまってるんですよね。しかし僕はそれを顧みなかった。真っ直ぐ赤柱方向へと歩いていけばいずれバス停もあるだろうと、事態を甘く見ていた。うん、バス停が一向に出てこなかったんです。仕方がないから、もとのレパルスベイ・マンション前まで歩いて戻りましたよ。おかげで日もすっかり高くなってしまいました。
さてここまで来たバスはダブルデッカー・バスでした。当然今度乗るバスも二階建てバスだろうと決めつけてその気でバスを待っていたらば、なんと小さなマイクロバスみたいのがやって来ました。そうなんです、香港には二階建て以外にもいろんなバスがあるのでした。二階建てバスよりもこういったマキシバスの方がいろんなところにいきますので、香港では小さなバスに乗ることの方が多いのではないかと思います。乗り方は、マキシバスも二階建てバスも一緒。乗ってすぐに運賃を払い、降りるときは口頭で伝えます(ここはちょっと違いますね)。そしてお釣りは出ない。なんだか、昔懐かしい感じがします。
バスに乗ると、観光客というよりも地元の人といった感じがする先客が。正直バスの降り駅を正しくいえるかがちょっと心配でしたが、このバスは赤柱行きのバス――つまり終点が赤柱なのでいうほど心配はないでしょう。なのでのんびりと窓の外を見たりうとうとしてみたりしながら、バスのゆくにまかせていました。レパルスベイから赤柱まではすぐ、直に到着です。
赤柱は香港のほぼ最南端に位置します。かつては監獄があったとかいう場所ですが、今はそういう雰囲気もなく、海沿いの開けた街並みと狭い路地にひしめくマーケットが素晴らしい。とくにマーケットは、香港土産を買うには最適でしょう。とにかく、いろいろなものが売られています。家具から陶器から衣類から麻雀牌から、さらにはいかがわしい民芸品まであって、大抵のものは満喫できそうな場所です。それで僕は、ここで香港旅行における目的の一つ、落款(はんこ)を作ってもらうことにしました。スタンレーには、落款を彫ってくれたりカラフルな花文字(漢字のレタリングです)を書いてくれる店が、たくさんあるんですよ。落款を欲しいという人には、ここは実にお勧めです。
僕の入った店は、スタンレー・マーケットの入り口すぐにあった、日本語を話す奥さんの元気なお店。龍や虎、十二支などの装飾が入ったたくさんの石の中から好みのものを選んで、そこに文字を掘り込んでもらうのです。僕は自分の名前と、長く愛用しているハンドルの落款を作るつもりでいたので、ふたつ石を選びました。ひとつは自分の干支である牛、これは自分の名前に、もうひとつは奥さんお勧めの獅子、これはハンドル用、に決めました。獅子は縁起のいいものなんだそうですよ、といっても、そもそも縁起のいいものしか置いてないのではありますが。
石を選び終わると、書いてもらいたい文字を紙に書いて渡します。するとおじさんがそれを篆書で書き直してくれる。大丈夫かどうかと聞かれはするんですが、まあ大丈夫ですよ。というか、篆書の良し悪しなんて分かりゃしません。「今」の字が普通っぽいところが残念でしたが、あえて変わった字形を求めても仕方がない。もうおじさんにお任せです。
落款が出来上がるまでに一時間ほどかかるので、その間にスタンレー・マーケットの散策します。こうすれば時間を有効に活用できますので、落款→散策もしくは落款→食事というのがかしこい順路です、っていうまでもないことですね。
スタンレー・マーケットは、大人数人が横並びになればすれ違うのにも困りそうな細い路地が入り組んで、なんだかそこはかとなくあやしい雰囲気が素晴らしい。道の両脇にはずらりと店が並んで、土産物屋はもちろんのこと、鞄や衣類を売る店など、とにかくいろいろがひしめいていて冷やかしているだけで楽しいです。なかでも、落款や花文字書きなどの実演販売をする店が、呼び込みも盛んで活気がありました。眺めてると売り付けられそうになるので、もう別の店に頼んでるの一点張りでしのぎます。嘘じゃないんだから、堂々してていいわけです。
スタンレーは香港有数の人気プレイスで、特に欧米人が多いのが特徴です。至るところで欧米語を耳にできて、語学マニアの私にはもううはうは。大きな土産物店で、アトン、アトンと叫ぶ子どもを見れば、ああフランス人だと感慨深く(待って、待ってっていってます)、さすがに香港はインターナショナルだと感心しきりというか羨ましい。さらに土産物屋には、欧米人名を漢字で書いたお札やキーホルダーといった、実に定番チックなモノもあったりして、欧米人はこれにエキゾチックを感じて嬉しかったりするんだろうか。実は僕は、こういう無理矢理漢字表記は嫌いなので微妙な気分なんですが、まあ漢字が基本の中文ではすべてを漢字表記にするわけだから、あながち無茶なものでもないのでしょう。面白がっていろいろ探してみました、さすがに買いませんでしたけど。
僕がここスタンレーで欲しくなったのは、筆と麻雀牌でした。麻雀牌は日本のものよりも大ぶりで、彫りの甘さが味わい深くてよかった。けどやっぱりよさそうなものは高いんですよね。さすがに買えないし重いしで、見送ることになりました。それと剣が売られていたんですよ。日本刀もあったんだけど、こちらはいらない。剣が欲しかった。けど、さすがにこんなの税関を通る訳ないじゃないですか。世界はテロ後であります。よって泣く泣くこちらも断念。
で、筆はどうなのかというと、これも残念ながら購入せずでした。というのも、よい筆かどうかというのは書いてみないと分からないんですよね。袋に入っている筆を見て、土産物の中途半端品ぽい匂いを感じて、あえてこれを買おうという度胸は僕にはありませんでした。ある店の花文字書きのお嬢さんがあまりに好みだったので、この店で筆を買うかどうか――したたか迷いましたが、度胸のなさはこんなところにも極まるのでありました。
スタンレー・マーケットはそんなに大きなものではないので、小一時間もあれば通りすぎてしまうほどです。じゃあここで食事でも、飲茶を、と思ったのですが、残念、なぜか洋食しかないんですね。さすがスタンレー、インターナショナルです。でも僕はどうしても飲茶を食べたかったので、昼食は先送りにせざるを得ない。仕方がないのであります。さあ、一通りマーケットも堪能したので、篆刻を取りにいきましょう。もう一時間以上経ってます、もうとうにできあがっていることでしょう。
一時間弱ほども歩いたスタンレー・マーケット。その入り口に戻るのに、じゃあまた何十分も歩いたのかといえばさにあらず、大通りをちょっと歩いたらすぐに入り口。意外な感じでした。ぐるっとまわるようになっていたのでしょうか。
さて落款です。落款をお願いしていた店に戻ってみると、もうすっかり出来上がっていました。目印にか、判を押した紙の貼られた緑の小箱があって、中には朱肉の蓋付小皿と落款が入っている。箱朱肉はサービスだそうです、すぐにでも使えますね。奥さんがこれで大丈夫かと聞くので、大丈夫もなにもまったく問題なしと答え、やっぱり結構気に入るものです。大満足でしたよ。
落款の受け取り後、店内をぶらり冷やかしました。見れば、この店で扱ってるものというのは奇麗で質もよさそう、なかなか悪くないのですよ。また欲しい気持ちが持ち上がってきて、筆が欲しいんだけど、花文字書きのおじさんが使ってる筆がいいなあなどとくだらないことを話していた。そうしたら、またありました。剣です。剣といっても一振りではなく、ひとつの鞘に二本差しの双剣といわれる類いのもの。そこそこの質感、重さがあってバランスもよい。作りも奇麗。うわあ、これは欲しい。本当に欲しい。そこへ奥さんが、健康のためにもなるというのだから心はなおも揺れ、でも飛行機にこれを乗せられないでしょう。爪切りも駄目だっていうきびしい状況ですよ。再び涙を飲むのでありました。残念だけど、これ買ったら飛行機に乗れなくなるので買えません……
結局スタンレーで買ったのは、落款と花文字、細かなお土産物でした。一番欲しかったものを買えなかったのは、まあ縁がなかったと思ってあきらめましょう。ああ平和が恋しいです。
赤柱での目的も達成したことですし、さあ新たな地へと出発しましょう。香港島のほぼ南端から九龍半島南端の大繁華街尖沙咀へとまいります。ちなみに尖沙咀は「チムサアチョイ」と読むのですが、日本人にはちょっと難しいですね、この読み方は。尖沙咀は一大ショッピング街で食べ物屋もたくさん集まっているので、赤柱で食べそこなった飲茶をそこでやっつけようというのです。
移動はバスで。二階建てバスは走ってないようなので、マキシバスでゆくことになります。マキシバスは主要観光地をうまく結んでくれているので、非常に便利ですよ。香港の移動の基本はバス、これですね。
バスに乗っても案内がないのは、赤柱に来たとき乗ったものと同じ。まったく不案内な尖沙咀にいくにあたって少々不安もありますが、まあ尖沙咀のどこで降りてもいいわけですので適当に乗って適当に降りればいいでしょう。こんないいかげんなことでいいのかという感じもしますが、どうせ行き先は尖沙咀なので大丈夫大丈夫、問題なしですよ。
バスに揺られながら少々居眠り。でも半分は起きていて、窓外の雰囲気をなんとなく感じている。自然が少なくなっていく様、臨海地域は工事だらけ、そして海峡を越えればそこはもう尖沙咀、大繁華街ですよ。そろそろ起きましょう、目を覚ましましょう。HMVが見えます、さすが大きくて人もたくさんいます。昨日テレビで観た曲、いい曲だったけどタイトルがわからなかった。あの曲欲しいんだけどきっと説明できない―― と思う間にバスは停留所に停車。どこで降りてもいいとなれば、もうここで降りてしまいましょう。ちょっと行き当たりばっかりの九龍到着です。
朝に中華粥を飲んだだけでふらふらとふらついているもんだから、もう目が回るほどにお腹が空いて、とにかくどこでもいいから入って、なんでもいいから食べたかった。けど、飲茶をどうしても食べたかったもんだから、お腹の空いたのをおしてたどりついたのが、香港最高峰のホテル、ペニンシュラでした。ここでは、アフタヌーン飲茶なるものがあると聞き及んでいたのでありました。ペニンシュラは、ネイザン・ロードを南に下がったその角。そもそもが大きくて豪華な建物なので、見間違ったりする心配は無用。誰でも簡単に見つけられることでしょう。僕も、簡単にたどりつきましたよ。
ペニンシュラに入ると、一階ロビーの一隅に広がる喫茶場の優雅な風景が素敵。たくさんの人が午後の紅茶を楽しんでいるのですが、どうやらそこは飲茶を食べたりできる場所ではないみたい。いったい飲茶はどこなんだろう、とうろうろうろついて探してみるのですがそれらしいものは見当たりません。二階か? いったいどこなんだとだんだん不安になってきたので、ホテル従業員をつかまえて聞いてみました。すいません、午後の飲茶はどこでやってますか? それは今はやってません。はあ、そうですか…… って、それじゃ話が違う。せっかくここの飲茶を楽しみにやって来たというのに、やってないというのはあまりに酷。香港の神様はつれないなあ、と思いながらもとにかく食事をできるところを探さねばならなくなりました。いったい、どこいったらいいねん……
途方に暮れていても仕方がないので、ガイドブックをとりだして、目ぼしいところをピックアップしてみました。近場であまり高価すぎず、なにより営業してそうなところ。とまあガイドブックもそんなに多くの店を載せてるわけではありません。手近なところをピックアップして、飲茶にむけて再出発しました。
目的のレストランは「龍苑」、香港金域假日酒店(ホテルだ)の地下一階にあります。ここは午後に飲茶をやっているのだそうで、今度こそ間違いないだろうと思って馳せ参じたらば、エスカレーターが止まっていた。どうしようと一瞬思ったのではありますが、営業してないともかぎらないので地下へ通りました。そうしたら、廊下の突き当たりに「龍苑」。ちゃんと営業してましたよ、感動です。でも店は満員、ちょっと待たねばならないといわれて素直に待ちましたとも。もうどこにもいきたくない感じだったんです。
ほどなくして席が空きました。メニューは中国語と英語で書かれているので、とにかく英語を頼りにおいしそうな料理を見つくろって注文。おいしかったですよ。思ったよりも癖がなくて、素材の味わいが素直で、あっさりしてた感じが非常に食べやすかった。一品一品はそんなに量がないので、いろんな種類が味わえるという算段。お茶もよかった。とにかくおいしくて、今までろくに食べてなかったこともあって、思わず食べ過ぎてしまいましたとさ。
でも、これで香港第二の目的は達成です。残る目的は後ひとつ。果たして望みはすべてかなうのでしょうか。と、その前に次はショッピングですよ。
お腹も一杯になったので、九龍界隈を散策ながら、ショッピングと洒落込みます。目的地はブランドショップ、なんてことはまったくないのでありまして、とりあえずは香港名物のお菓子、老婆餅を買いに出掛けました。街角にあるパン屋さんという感じの店なのですが、店内には店のできた当初からの写真が飾ってあって、歴史の深さを静かに語っていました。売られているのは老婆餅だけじゃなく、普通のパンや、日本でも人気のエッグタルトなんかも並んでいて、正直目移りします。でもここではお土産を買うつもりだったので、日保ちのしそうな老婆餅とゴマのはいった焼き菓子を買いました。ちなみに餅とはいっても、もち米をついた餅ではなくって、洋菓子みたいな焼き菓子です。
老婆餅のお店の次はデパートにいきます。デパートならきっといろんなものが揃ってるはず、と思ってはいってみたら、実に香港っぽい品揃えが魅力的でした。その名も裕華國貨、Yue Hwa Chinese Productsです。四階建てで、店の雰囲気は懐かしの日本を思いださせるのどかさがあって、実に良い感じ。特になにかが欲しいわけではなかったので、店内をぶらぶらして楽しみます。ここでもやっぱり僕がひっかかったのは、筆や硯なんかの書芸関連コーナー。筆をぶら下げておく木製の棚みたいなのもあって、欲しいのは山ほどあったのですが、残念ながらここでも見送りでした。というのも、売ってあるのを見てすぐさま良し悪しが分かるほど、僕は筆習字に熟達しているわけではありません。自分のやろうと思ってるのと違うのを買って帰ると、きっとショックが大きい。そんなわけで、見送ったのでありました。
さて、この店で妙に僕の気を引いたのは、昔の武人の置物でした。小さいものは数センチから、大きいものとなるとメートルサイズにまで至るバラエティに富んだラインナップで、店の至るところにおかれているほど、なにしろこの人が大薙刀みたいのをもって、ひげなんかは隆々として、しかもローブみたいのを羽織っている。この格好、どこかでみたことあるなあなんてものじゃないです、三国志の英傑、関羽雲長そのものですよ。でもなぜ香港で関羽人形が売られてるんだろう? この人の出身は河東郡解県だから中国北方のはずだし、亡くなったのも荊州北部、長江沿いの麦城籠城後に捉えられて処刑だったから、どう考えても香港には縁がない。でもどうみても関羽。なぜなんでしょう、謎であります。
謎は謎のまま置いておいて、この店で結局買ったのは、お茶だけでした。白茶と鉄観音、凍頂烏龍茶を、それぞれ購入。量り売りで買うことができるので、手ごろな量を求められるのは嬉しい。というのも、凍頂烏龍茶、高いんですよ。高いだけあって、おいしいんですけどね。お茶のほかには、湿疹の薬も欲しかったんですが、薬屋のカウンターに誰もいなかったので残念ながら断念しました。この後街中の漢方薬屋にいったんですが、湿疹を見せたら西洋薬を出してきて、こいつは漢方じゃ駄目だみたいなことをいいやがんの。いや、西洋薬なら日本でも買えるので結構ですと、結局薬は買わずじまいでした。いや、それはそれでよかったんですけどね。薬とかはあわないと怖いですから。
世界的にクリスマスシーズン真っ直中ということもあり、街中のイルミネーションはすっかりクリスマス仕様に。香港のランドマーク、新世界中心にはサンリオ・プレゼンツのクリスマスイルミネーションが燦然と、クリスマスムードを盛り上げています。ちなみに、香港ではサンリオが大はやり。サンリオだけでなく、いろんな日本発のキャラクターを見かけて、これらが香港人にとっての日本のイメージなんだろうと思うのでありました。
アフタヌーン飲茶で裏切られたペニンシュラ前にもクリスマスツリーがずらりと並び、道のあちこちにもサンタクロースや雪だるまのイルミネーションが光っています。でも香港は日本ほど寒いことがないので、クリスマスの雰囲気もどこか穏やかな印象です。この穏やかな空気の中を、ぶらぶらと歩きながら帰ろうということになりました。
しかしどこをどう間違えたのでしょうか。最初は歩道を歩いていたのが、あたりに工事現場がちらほらと見えるようになって来ると、歩道が無くなってしまった――左手には工事現場を仕切る塀があって、多分歩道はその向こうにあるのでしょう…… このままこの道を抜ければと思っても、今いるのははっきりいって車道。ひっきりなしに行き交う車に、これは危険だと思い直して新世界中心まで戻ることに決めました。
新世界中心前に戻ると、人だかりがして音楽が流れています。それが日本語の歌、げっ、林原じゃないか……。まさか香港まで来て林原の歌を聴かされるとは思いませんでした。見ればサンリオのイベントが行われていて、黒い、ペンギンなのか悪魔なのか、ちょっと目つきの悪いキャラクターと子どもらが、司会のお姉さんに誘われてステージに上っていました。多分クリスマスイベントなんでしょうね。言葉がわからないので詳細はわかりませんが、こういうものはおそらく世界どこでも変わらないでしょう。たくさんの子どもたち、サンリオグッズもたくさん売られていて、かなりの人気を感じさせました。サンリオ、頑張ってください。
帰りは香港島までフェリーで戻ることに。フェリー乗り場近くで、向かいに見る香港の夜景を馬鹿みたくぼうっと眺めて、散々眺めて、行き交う船をずっと見ていて、さすがに見くたびれて、フェリー乗り場に向かいました。フェリーには上等と下等の区別があるんだけど、ここはもう下等でいい。券を買って、便ごとに振り分けられた乗客がそれぞれの待合いに誘導されるままになっていました。僕も乗客の一人として、乗船の入り口前で船の来るのを待って立ち尽くて、ようやく来たフェリーにどやどやと乗り込んで窓際の席につくと、直きにフェリーは出港します。二等席は一階なので、海が近くて気分がいい。流れすぎる九龍の風景、向かいからは九龍へ向かうフェリー。右舷灯は緑、左舷は赤。香港島が近付いてきて、フェリーが停まる。前後に行ったり来たりしてを幾度か繰り返すと、船がつなぎ止められ乗降のデッキが降ろされました。
香港島のフェリー乗り場は中環にあるので、ここから上環まで帰らないとなりません。もう夜も遅いので、タクシーに乗ると決めました。タクシー乗り場脇にはキオスクが点々として、ここで日本の漫画を何冊か買い求めました――イタリアで買ったコミックと比較できるよう、同じタイトルのものをあえて選んで。タクシーの順番が来て、運転士にホテルまでの住所を渡していってもらいました。タクシーはほんの十分も走らないうちにホテルに着きました。僕はタクシーを降りると、一旦は部屋に戻って、なんだか今日は疲れてしまっているので食事はもういい。近所のセブンイレブンにいって水だけを買って帰ると、今日買った烏龍茶を沸かして淹れて、老婆餅などをつまみ食いして風呂に入るのでした。
バスルームと部屋を仕切る壁は薄いので、テレビをつけておくとバスルーム中に音楽が響きます。日本のアニメを探したんだけどやってなかったので、歌番組にしました。やってたのは、何年か前のGLAY EXPO。ここにも日本の風物は人気です。テレビの裏側は低音がこもって、ボコボコしていました。