さすがに夜九時に寝たものだから、翌朝は早く目が覚めたといえば大嘘で、夜明けを逃しました。でも結構早起きだったんですよ。だってコテージを一歩でれば朝もやが立ちこめる幻想的光景が広がっていて、ああ写真撮っとこう写真。カメラを出して、遠くに望む連峰を撮影するなどの余裕があったのですから。
ペンションの前がちょっとした広場になってまして、小さなぶらんこがあったりしまして、子供連れの家族さんがそのあたりでやっぱり景色を見てらっしゃいました。普段見るような風景ではないもんですから、見ておきたいと思うのは人情です。
もやがだんだんと晴れてきまして、折角だからと食事前に朝風呂につかりにいきました。温泉のいいところは朝湯ですね。朝酒、朝寝はないですが、とりあえず朝湯があれば心持ち贅沢な気分に浸れるというものです。
朝の露天風呂は、晴れ渡った空の下に山が連なってるのを見ながらで気分爽快。空気も朝露にしっとりとして、けれど寒さに引き締まっているその冴え渡り方はなかなか普段感じられるものではない。寝てますからね、ぎりぎりまで。旅先では比較的早起きですが、普段は怠惰をそのままかたちにしたようなのが私です。
朝の光に照らされる美瑛は美しいですよ。コテージの二階から見る景色も、すーっと遠くまで見通せるみたいで、広がる畑に点々と家、木々が散らばっていて、のどかだな、なんか落ち着くな、いい景色なのでした。
朝食は洋風ブレックファースト。コーヒーに、焼いた卵をはさんだサンドウィッチ、サラダ。ベーコンエッグもおいしかった。こういった畜産加工品も北海道のものなんでしょうか。とてもおいしく感じたものでした。コーヒーのおかわりをもらいながら、食堂すえおきの雑誌を見て今日の行程をざーっと考えます。ついでに、ちょっと前のカメラ雑誌を見て、自然を撮るときの構図テクニックとやらを急ごしらえで予習。紹介されている被写体が桜であるというのが季節外れでおかしいのですが、まあ桜も紅葉も木になるものということでは変わりないので、なんとかなるでしょう。
本日の目的地は、拓真館、美馬牛小学校をメインに、昨日通ったパッチワークの路も再訪するつもりです。夕方近い光と違い、朝方の明るい日差しの中での木々の緑は、また違った顔を見せるのではないでしょうか。ともあれ、時間をたっぷりとって、昨日まわれなかったところもまわってみようと思います。
とそんな感じで、美瑛第二日目です。
パッチワークの路、二日目もケンとメリーの木から見ていくこととなりました。抜けるような青空を背負って立つ大きなポプラの木。見ているだけで雄大な気持ちになれるようで、けれど見方によってはなんだか寂しそうですね。なにもないところにでんと一本だけ立って、その孤独に耐えるかのような姿にみえる哀愁が人気の秘訣なのでしょうか。
道路をはさんだ交差点近くに土産物店があって、さだまさしを流しているんですね。北海道らしさというものをアピールして大変そうで、まあなにかの縁だからちょっと寄ってみると、なかにはスカイラインの広告だとかがちょっと展示されていて、またちょっとした展望台も経営されているようで、そこにはまさにケンメリ・スカイラインが置いてあるという用意周到さ。素晴らしい! 観光地たろうという努力が充ち満ちるようではありませんか。まあ私はなにも買い物をしなかったので、展望テラスにも用はなかったのでありますが、なんといいますか、ちょっと吉田兼好気分だったと申し添えておきます。
ケンとメリーの木そばの駐車場でぼんやりしていると、自転車に乗ってやってきた二人連れが、さっと記念写真だけ撮って去っていきました。ああこういうさっそうとしたスタイルはいいですね。話している言葉を聞けばどうやら大陸の人のようで、中国は今好景気に沸いています。富裕層が日本にやってきているというのをひしひしと感じる瞬間でありました。しかし、田園風景の中自転車でツーリングというのは気持ちよさそうだなと、ちょっとその軽快さに嫉妬したのでありました。
お次は北西の丘展望台に向かいます。といっても、展望台とかなんとか関係なしに辺りの景色は充分きれいで、それだからこそ人工的に感じられる展望台云々にはあまり興味が湧かないのですが、まあいくだけはいってみるわけです。北西の丘展望台、田園風景に三角形のピラミッドみたいな人工物が現れて、少々ぎょっとさせるタイプの展望台です。
展望台の周りには公園(?)もあって、多分春夏には花が咲いて目に美しいのではないかと思います。ということは、つまり秋から冬に向かう時期には花が咲いておらず、地面に株がずらり整然と並んでいるという、けれどそれはそれで季節感があって悪くないです。
展望台に上ってみれば、周囲三百六十度見回せて、やはり穏やかな風景、ちょっと肌寒い風に吹かれてなに思うでもなくぼんやり、こういうぼんやりが美瑛での贅沢なんではないかと思います。公園は花壇を見下ろせば、遊歩道の幾何学模様がちょっと面白く感じられて、けれどここはなにも装わない田園風景の方が面白いです。区画されたそれぞれに、ちょっとずつ色合いが違っていて、収穫がすんだからなのか、丸く積み上げられた緑の塊が点々と並んでいてなんだか可愛いのです。
展望台の向かいには売店や写真展をやってる小さな建物もあったりして、覗いてみればさっきの緑の塊はニオというようです。しかし雪の季節にせよ、真っ赤に焼けた夕方の空にせよ、こうした説得力のある写真はロケーションをよくよく理解して、はじめて撮れるようです。と、ここで自分の写真のまずい言い訳をしておくわけです。
今北海道で色づいているのは、他でもなくナナカマドでしょう。赤い実がなって、葉も端々に赤く紅葉しています。こうした木々を眺めながらぶらぶら歩いて、駐車場に戻れば、今度はロシア人の観光客がシャッターを押して欲しいと頼んできました。男二人女一人の若い三人組で、レンタカーの前でポーズをするその様もちょっとかっこいいのは、なんというか慣れてますよね。私には無理なことです。
もしかしたら間違ったことを書いてるのかも知れませんが、というのも、私はどこからどこまでがパッチワークの路と呼ばれているのかわかっていません。なので、もしかしたらもうとっくの昔にパッチワークの路を後にしているのかも知れないのですが、まあ細かいことをいっていても仕方ないから、先に進みましょう。
美瑛の丘に、タバコにまつわる木があることはもういいましたね。セブンスターのコマーシャルに使われて有名になった、セブンスターの木です。そして美瑛にはもう一ヶ所、タバコのコマーシャルにまつわる場所があるのでした。
それはマイルドセブンの丘でして、丘の上、横一線に木が集まっている特徴的な風景です。じゃあ次はこれを見に行こうということで車を走らせて、けれど今は秋、冬枯れがすでに始まっています。この点を考慮に入れておく必要があったのですね。ああ、ここだ。マイルドセブンの丘だと思ってみた場所。丘の上、横一線に木々が立ち並ぶ特徴的な風景が、まさかまったく違う場所だっただなんて、いったいそのとき誰が考えたでしょうか。
私の見たのは北瑛の丘でした。あの木が横にずらりと並ぶのは、防風林なのでしょうか、結構特徴的な姿で、いろいろあちらこちらで目にすることができました。けれど、この北瑛の丘は、ずらりと立ち並ぶ木がいったい幾本あるのか、とりわけ特徴的と感じられました。耕されて荒くれた畑の向こう、丘の上青空を背負って木々が並ぶ姿。空が広いです。北海道の土地は、その遠くまで見通せる広さが魅力で、こういう場所で育まれる心は、きっとすがすがしく遠くまで思いを届かせる強さを持つのだろうなと、そんな景色でした。
北瑛の丘を後にしてからも、田園の風景はずっと続いて、牛の横断注意の標識まで見付けて、ああ北海道です。遠くまで見通せる緑の大地はなおも続いて、遠くにヒマワリの黄色の帯を見付ければ車を停めて、なんかここでは日常の些事が洗われたように消え去るのですね。暮らせば苦労も面倒もきっとあるはずで、ユートピアなんてないと頭ではわかっていても、せせこましい気疲れとは無縁の場所と感じて、でも多分これは私が気楽な旅行者だからでしょうね。
昼食をどこにするかとかまったく決めずの気ままドライブで、そんなもんだから適当なところを見付けたそこでお昼という、本当に行き当たりばったりな決め方をしたのでした。本日のお昼は、道沿いの看板に導かれるまま、ファームズ千代田内にあるビーフイン千代田でいただくと決定です。
けれど、いったタイミングが悪かったですね。ビーフイン千代田には団体客が入っていて、店内はもうてんてこ舞いの様相を呈していました。うわあ、これはちょっと待つくらいじゃすまないなあ、と思っても他にレストランがあるわけではなく、したがありません。団体客が去るのを待ちましょう。
けれど、レストランでじっと座って待つんではないんですね。ビーフイン千代田の前には、ファームズ千代田のふれあい広場が広がっていて、いろいろな動物がいるみたいじゃありませんか。ああこれはちょうどいいや。食事の前に、まずは動物たちとふれあってみましょうか。おなかを空かせたほうがお昼もおいしくなるだろうから、悪くない提案ですね。
ふれあい広場といっても、動物は放し飼いになっているわけではありません。ちゃんと柵で区画された中に、馬なら馬、羊なら羊、山羊なら山羊といった風に、動物ごとに集められているんですね。兎もいました。カモシカもいました。カモシカは白くて角も立派なんですが、どうももとからそういう動物なのか知りませんが、落ち着きがないんですね。柵の合間からレンズ向けて狙うんですが、全然いいポジションに来てくれないし、やっときたと思ってもじっとしてくれないから取り逃してばっかりで、ああもういいや、鹿なんか撮らんもんね、と写真撮らず見ておくだけにとどめたのでした。
広場のあちこちには、動物の餌を売っているポストがあって、もちろんその餌は動物たちに手渡しでやってもいいのです。けど私は買わなかったなあ。だって、よだれで手がべたべたになっても困るし、なにしろカメラを持ってるからハンドリングの悪さも手伝って、もう見てるだけ。知らないお姉さんが、勇敢にも馬に、羊に、山羊に、鹿に、牛に餌をやるわけですね。それを横から見て、ああ楽しそうだなあ、と思って。
けど、楽しそうと思いながら参加しないというのが私です。いやあ、傍観者という立場もなかなかいいもんなんですよ。
仔牛の二頭いる小屋がありまして、そこでも写真を撮ろうと狙ったのですが、残念ながらうまく露出の都合がつかなくて断念です。牛も大きくなればのんびりとどっしりと、日に浴びて寝そべるままのゆうゆう生活を楽しむようになるんでしょうが、やっぱり子供のうちは落ち着きなく、いろんなものに興味を示してうろうろするんですね。人間とおんなじです。しかしそうだとすると、私は子供の牛なんだろうか、もう大人の牛なんだろうか、そのへんよくわからず、でもまあいいや、その時その時の思うところで生きてみたいものだと思います。
一通り動物を見て回って、もうそろそろいいだろうとレストランに戻ると、おお、また違う団体客が入っている…… フロアの半分ほどに熟女の団体さんがはいって、ウェイトレスさんたちはやっぱり右往左往するほど忙しくて、けどもう待てません。次から次に団体客が来るでは、待っても待っても無駄ですからね。ちょうど空いた席が出たのを見逃さず確保して、まあこういう喧騒も活気があっていいではありませんか。料理が出てくるのも、のんびり待てばいいのです。
メニューを見れば、多分メインはステーキなんだと思いましたよ。実際待っている間にも、じゅうじゅうと音を立てて大きなステーキが運ばれていきます。ああ、あんなの食べたらきっとおいしかろう、――と思うのですが、多分私は半分ほどで食べ疲れしてしまうので、ステーキとかは向かないんです。だけどここにきてカレーというのもなんだし、かといってハンバーグというのもそれほど好まない。うん、ライス付きというビーフシチューにしましょう。ビーフシチューならきっと食べ疲れもしませんし。
ちょっと待ちましたね、やっぱり。ウクレレは持ち歩いてたので、待ってる間ガレージで弾こうかとまで思いましたが、そんなにゆとりなくせせこましいのも嫌なので、まあじっと我慢の子です。そうして何分待ったでしょうか(計ってないから覚えていない)、ビーフシチューが運ばれてまいりましたよ。
ビーフシチューは濃厚です。食べると口いっぱいにとろりとしたデミグラスが広がって、うわあこれはちょっと濃すぎですね。でも一緒にご飯も食べるから、まあちょうどいいという感じでしょう。サラダもついていました。けどサラダはちょっとあっさり過ぎ。ご飯もあっさり、ビーフシチューだけがこってり、ちょうどいいバランスだったのかも知れません。
大きくごろりと入っているじゃがいもがおいしいですね。スプーンで押すとほろりとくずれて、それをシチューと一緒に食べる。おいしい。肉も大きなのがいくつも入っていて、やっぱり牧場のレストランだけあっておいしい。食べごたえのあるシチューでありました。洋食はあんまり食べない私にとって、間違いなくご馳走でしたね。
拓真館は、美瑛富良野を拠点とした写真家前田真三の写真を中心にしたギャラリーで、美瑛の人気スポットであります。入館料は無料というのもすごいと思う。しかしなによりすごいのは、前田真三氏の写真の力強さでしょう。
写真のことを言葉で説明するのも馬鹿馬鹿しいので、ここはカルビーポテトネットに公開されている前田真三ギャラリーを紹介しておきましょう。美瑛の風景が持つ魅力を、余すことなく一枚の写真に凝縮させていることがわかると思います。春なら花、夏なら夏の緑、秋の穂麦、冬には雪に白く覆われた大地が、どれも静かにたたずんで、繊細で穏やかなのにどっしりしてる。ああ、私は写真撮る必要ないなあと思いましたとさ。
カルビーポテトでは紹介されていないのですが、秋の麦畑が真っ赤に染まっている光景というのがひときわ鮮烈で印象深いのですよ。果たして景色がこんな風に見えるものだろうかと思うくらいに非現実的な色をしていて、けれどそれは間違いなく現実の風景だったのです。解説によれば、前田氏は麦畑が燃えるように色づくことを知っていて、その時期、この景色を狙って撮ったとのことです。ああ、やはり写真はロケハンが命、その一瞬の光線が真実なのです。私たちが普段なにげなく看過してる世界を、まるで違った視点から再発見し、ほらこんなにも素晴らしいところに私たちはいるのだと告げる。素晴らしい写真とはえてしてそのようなもので、やっぱり前田氏の写真はすごいですね。こんなにも魅力的に世界を切り取る視線とは、どれほどのものだろうと圧倒されました。
麦の赤があまりに強烈だったせいで、やっぱりそれを現実のものと思わない人もいるようでして、ちょうど拓真館を出ようと思っていたところですれ違ったおっさんが、まさにそんな人だった。これは色を塗ってるよ、こんな色になるわけないじゃないかー、と大きな声で話すおっさんを見て、まあこの人は冗談で言ってるんでしょうけど、私はちょっと恥ずかしかった。身内にいたらいやーなタイプだなと思いました。まあこれは余談です。
拓真館では、写真集やビデオ、ポストカード、カレンダーなんかも売っています。道を渡ったところには土産物屋もあるので、ちょっとした休息にもいい場所。けど、そういったのよりも、なによりも写真、写真の素晴らしさにつきますね。
美馬牛小学校にいくというのを聞いて、私はてっきり廃校になった旧校舎とかを想像していたんですね。ほら、よくある、御雇外国人とかが設計建設した擬洋風建築のうんたらかんたらみたいのを勝手に思い描いていて、ついてみたらものすごく新しい、なんだかモダーンな校舎があって、その真新しさで逆に驚きました。なんといいますか、校舎の真ん中にたっている塔が有名なんですってね。私、全然知らずにいましたよ。
美馬牛小学校は、もちろん現役の小学校なので、さすがになかに入っていくようなことはしません。遠くから眺めるだけ。校舎前に緩やかな自然のスロープがあって、ちょっとした木立があって、そこでのんびりぶらぶら休息しながら、校舎を見れば青空がすごくきれい。よく晴れた秋空で、本当に天候に恵まれたと思いますよ。
帰ってから調べてみると、この塔はさっきいった拓真館の前田真三氏の写真でも有名だそうで、ああそういえば、塔の写真もあった、ありました。確かに印象的な塔の写真があったのを覚えています。私は、なんかドラマか映画かの撮影に使われてとかで有名になったんだと思っていたんですよ。ほら、ちょうどマイルドセブンとかセブンスターの木、ケンとメリーのポプラみたいにですね。けれどこの塔に関しては、美瑛の風景に組み合わさることでひとつの風景になるという、そういうところに魅力が見いだされていたんですね。
ところで、学校の塔にはよく見ると拡声器が付いていて、ちょっとそういうところは面白いですね。それと美馬牛という地名、この「びばうし」というのは、土地の言葉なんでしょうか。面白い響きに、また面白い漢字が付いていると思いました。あるいは、ここの牛馬を讚えてのことなんでしょうか。いずれにしても、魅力的な名であると思います。
十勝岳にはしっかり道路が通っていますので、誰でも簡単に登れるんです。いや、もちろん途中までですよ。そんなわけで、時間に余裕があったからか、十勝岳行きが決まっていました。私の知らないうちに。やたら郊外に向かうなあと思っているうちに寝てしまって、次に起きたらくねくね折れ曲がる山道ですよ。てっきり展望台みたいなところいくんだとばかり思っていたもんだから、いやあ、びっくりしました。まさか車で山に登るとは思っていませんでしたからね。
そういえばナビで十勝岳温泉だとか白金温泉だとか、そういうのを入力した覚えがありましたっけ。私、知らなかったんですが、十勝岳温泉凌雲閣というのは標高1280m、北海道で一番高地にある温泉宿として知られてるんだそうですね。それだからこそ驚いたんです。山上の駐車場、車から降りればまるで今までと違う光景で、さらに高地に向かう山道なんてのもあって、クマ出没注意と書かれた看板は、なにしろ熊被害が日本中で問題になっていた時期だったからなおさらリアルで、ちょっと腰が引けた。温泉旅館も確かにあって、その横手から望む谷もなかなかの絶景。もちろん、1280mの高さから見る十勝平野も美しかったですよ。
今年の夏は暑かったとはいえ、さすがに北海道、その上山を登れば空気は冷たく厳しく、身が引き締まりますね。けれどこの寒さのなかつかる温泉は、きっと格別なんだろうなと思うんですね。もしこの先機会があれば、一度逗留してみたいところであります。
十勝岳をくだり、次はファーム富田に向かいます。ファーム富田というのは、ラベンダー畑やなんかで有名な農場で、けどちょっと日が落ちそうだから急がないといけない。なにしろ終了時刻とか知らないんですから、とそんなことをいっているうちにどんどん空は朱けに染まってきて、うわあすごい夕焼けだ。運が良かったのだと思います。日が沈んで数刻の一番夕焼けが美しい時刻にファーム富田の駐車場について、けれどなにが残念かというと、写真で撮ってもあの雰囲気は出ないんです。いや、そりゃ腕がありゃ写るさ。けど、私には夕焼けは捉えられませんでした。
ファーム富田もまだかろうじて営業中で、中をぶらり一回りするんですが、さすがに花らしい花は咲いてないですね。途中売店でラベンダーのソフトクリームを買って、ラベンダーとミルクのミックス。これでないとラベンダーが強すぎて食べにくいのだそうです。日が落ちてきて寒いのにソフトクリームだなんて随分モダーンな話ですが、震えながらでもおいしいものはおいしいですよ。
園内には香水や石鹸やなんかを売ってる店があるのですが、さすがにもう閉まるところだったのでよらずじまいでした。あたりもすっかり暗くなっていて、ちょっと足下もおぼつかない。周りを見回しても、観光客はいるかいないか。寒々と寂しくなってきて、もうペンションに帰ろうかと車に向かいました。
おそろしいことがありました。車に乗りつけない私に、ちょうどいい機会だから運転させようという話になって、はじめての場所で、はじめての車で、なんという命知らずな話だろうかと思いました。しかし、こういうこともあろうかと眼鏡を持ってきていたりもするので、ここは自分も覚悟を決めて運転といきましょう。
ファーム富田からペンションジャガタラへ向かうのですが、この道のりはほとんど一本なので、高度な運転技術は必要ありません。こうした状況だからこそハンドルをまかされたということもあるのでしょうが、しかしもう夜ですよ。だんだん薄暗いから暗いに移行している時間帯に発車して、明るかったのなんて最初のほんの数分。あっという間に夜間運転に入って、制限速度は五十キロ。いやあ、怖いですね。後ろに車が来ると、ああさぞやいらつかせていることだろうとはらはらしますね。だって、北海道では一般道で七八十キロは普通ですよ。それを制限速度ちょうどで走らされるのですから、いらいらもすることでしょうて。
しかし道交法を楯にとって、理はこちらにあります。のんびりとはいきませんが、制限時速でドライブです。途中追い越せるところは追い越してもらうとして、けれどほとんど初心者の私がまったく知らないところを走っているのに、助手席が全然アシストしないってのはどういうことだい。信号にせよ標識にせよ、それはそれは注意して走りましたが、ときには迷うことがあります。優先判断だとか車線の変更だとか、そういうときにアドバイスを求めたいのに、なんにも見てない。もう全部自分で判断していかんといけなくて、もう神経が細りましたね。
実は追越車線で失敗したのでした。途中上り坂に入って、道路の左になんか白線と道一本分くらいのスペースがあったんですね。これはなんだろうと思っていたら、なんてことはない登坂車線ですよ。気付かず追越車線を走り続けて、クラクションを鳴らされてしまいました。
こういうときこそ、隣にいるのが注意すべきではないのかとちょっと頭にきましたが、運転中にいろいろ考えると危険なので流してしまいました。というか、本当はまだ怒ってますな。運転した回数が二桁に達しない人間をほったらかしで運転させるとはえらい度胸というか、しかもどこの道で右折の左折のとしゃべるのは紛らわしいので止めて欲しい。ナビゲーションしているんじゃないんですよ。以前北海道に来たとき、どこで右折してどこそこにいったという話ですからね。もしそれを勘違いして曲がってしまったらどうするつもりだと、やっぱり頭にきていたのでした。
いろいろ腹を立てながらも、怒り心頭という状態になるまでにペンションに帰り着けたのは僥倖です。ペンションに向かう道の曲がり具合に翻弄されながらも、また駐車時のバックの感覚のつかめなさもなんとかクリアして、無事車を降りることができたのです。
しかし私は一言いいたい。運転は私には馴染みません。電車の方がいいです。
慣れない車の運転をしたせいで妙に疲れてしまい、じゃあまずは風呂にでも入って体を暖め、心を落ち着けようと入浴。こういう、いつでもはいれるお風呂というのはなかなか日常にはないわけでして、これだけでも旅行に出た値打ちがあるように思えます。ええ、風呂、好きなんです。風呂から上がれば、食事の時間までウクレレでも弾いて、ああでも疲れて眠いから、あんまりしっかり弾けないや。天井見ながら寝そうになります。いっそ寝ちまおうかという気にさえなります。
食事の時間。今夜のメニューは昨夜とは違い、グラタン、スープ、そして副菜といったちょっと簡素なもの。ジャガバターとかゆでトウモロコシもあって、ああこういうのが嬉しいですね。普段肉やなんかを食べ付けない私には、こうした菜食っぽいのが好きです。とはいっても、やっぱり肉系もしっかりあるんですけどね。いや、食べますよ、肉も食べます。でも植物性がおいしい、乳製品もおいしい、北海道とは食べ物の豊かな土地だと思うのでした。
食事が終わっておなかがこなれたら、また風呂にはいります。長湯をするとあたるから、軽く十分程度つかって体を暖めるだけにします。上がればもう眠くて仕方がない。本当はもっとウクレレを弾きたかったんだけど、どうにも弾ける感じではなかったから、今夜も早々に寝てしまうことにしましょう。昨夜もそうでしたが、午後九時過ぎですよ。九時過ぎに布団にはいって、それでも眠れる。北海道の、旅先の魔法かもしれません。