観光で疲れた体を休めようとホテルに着いてベッドにごろりと横になれば、なんとはなしにつけてしまうのがテレビ。有料チャンネルだったらどうしよう、なんて思ったのは最初のミラノくらいでありまして、もうなんというか、テレビ見まくりでしたよ。当たり前のことですが、テレビにもお国柄があるんですね。ちょっと意外に思ったりしたこともあって、いや面白かったですよテレビ。言葉なんて全然わからないけど、なんとかなるのがテレビのよさだと思います。
イタリアに着いた当初は、主にニュースを見てたのですね。というのも、私がイタリアに行った時期というのが極めて情勢不安でありまして、九月にニューヨークでのテロがあってすぐ、飛行機の利用者激減もちろん渡航者も激減という、そういう時期だったわけですよ。ニュースが気になるのも仕方がないのでありまして、けれどニュースには問題があるんですね。映像だけではよく分からないのです。
朝起きて身支度する間にテレビをつけるんですね(悪い癖ですか?)。朝にはニュースと天気を見るのが習慣になってまして、イタリアでも日本と同じことする必要なんてまったくないのに、げに習慣とはおそろしいものです。けどイタリアの国内ニュースなんて見ても、前提となる知識に乏しいわけですから分かるわけがないんです。言葉もよく分からないしで、仕方がないからフランスのチャンネルなんかでニュースを見て、なんとなく分かったつもりになるんですが、なにそんなのふりだけ、ちっとも分かっちゃいません。正直、ニュースはレベルが高いです。
フランスの局にチャンネルをまわしていたもんだから、天気予報もフランスです。ああここはイタリア、実に役に立たない。けど妙に面白く感じるのはなんでなんでしょう。もちろんイタリアのチャンネルではイタリアの天気予報をやってるのですが、イタリア全土のものを見ても仕方がないし、かといって局地の天気を見ても、やっぱりよく分からないのですね。
イタリアの朝のテレビでは、画面の一部に字幕スーパーみたいにして天気予報を伝えていたんですね。表示する順番なんてのは決まっているに違いないのですが、なんといってもこちらは地理的知識に乏しいわけで、しかも毎日点々と居所を変えているわけですからいけません。気がついたら自分の今の居場所が終わってたりなんかして、けどなんとなくは分かるんですよ。なんとなく晴れだとかそういうのだけ諒解しておいて、大ざっぱに現地と目的地の状況をつかんでおくといった具合でした。慣れない土地で慣れない表示で、うまく読み取れない恨みはありましたけど、結局一度も降られなかったので天気予報に振り回されることはありませんでした。幸運でした。
ミラノ、ヴェネツィア、フィレンツェでは社会派ぶってニュースなんて見てたというのに、ローマに着いたらアニメに大はまり。いや、もう疲れちゃってたんですよ。フィレンツェからサン・ジミニャーノとシエナを経由してバスでローマ入りしたんですが、私は乗り物に強いほうじゃないんですね。ちょっと酔ったみたいになってしまいまして、ホテルに着いたらもうベッドに倒れ込むかのようでした。
けど気晴らしというわけじゃないですが、こんなときにもテレビをつけちゃうんですから、まさにテレビっ子世代であるというほかないですね。
倒れ込むようにしてつけたテレビで、日本のアニメが放送されていたのでした。これは今年になってから仕入れた知識ですが、イタリアは日本のアニメを輸入することにかけてはヨーロッパ一なんだそうです。そのおかげで日本の懐かしアニメをたくさん見ることができて、もううはうはでありました。
荒野の少年イサムでしょ、いなかっぺ大将でしょ、キャット忍伝てやんでえ(サムライ・ピザキャットらしいです)でしょ、そして極め付けは女王陛下のプティアンジェ! いや、慌てて話すのはやめましょう。順番に、順番に話していきます。
荒野の少年イサムなんて記憶の片隅にもなくて、当時親が姉のために録音したカセットテープにその痕跡を思い出す程度だというのに、画面を見て物語を見てみれば、ああこれ荒野の少年イサムだって分かるんですから人間はすごいです。いなかっぺ大将はさんざんテレビ大阪で見たし、キャット忍伝てやんでえは、本編を見たことはなかったけど名前と絵だけ知ってた。で、それで、ピザ屋なんですね、あの人たち。主題歌でピザキャットーって歌ってるのを聞いて、ああこれはさぞ受けるだろうなと思いましたよ。だってピザですし、ここはイタリアですしね。
さて、私が驚かされたのは、女王陛下のプティアンジェでした。実は私、このアニメ、一度も見たことありません。それどころか知る人ぞ知るといった幻のアニメ扱いされていたくらいのものでして、私も知識として名前を知っていた程度だったんです。なのに、物語を見ていて、ああこれプティアンジェだと分かるんですね。これ、実に不思議なことだと思うんですが、分かったのですから仕方ありません。ある意味、運命の出会いなんじゃないかと思ったものでしたよ。
プティアンジェはイギリスの物語で、イタリア語で話してるのは本当は変なのですが、けど映像の雰囲気に言葉の響きが妙にはまって、なんだか素敵でした。他のアニメにしても一緒で、それなりにマッチして雰囲気を作り上げている。アニメの吹き替えというのはすごいなと思ったのですよ。
思えば、私たちも日本語でトムとジェリーやスーパーマン、スパイダーマン、ピーナッツを見ていたのですから(見てませんでした? ガジェット警部のほうが例えとしていいかな)、吹き替え作業さえしっかりしていれば、しっくりといくものなのかも知れないと納得しました。
けどさ、さすがにいなかっぺ大将はちょっと面白かった。やっぱり日本での印象(特に愛川欽也の)が強いものは違和感あるんでしょうね。
直接見たわけではないけれど、他に放送されていたアニメは、シティハンターとかポケットモンスター、あと忘れてはならないエヴァンゲリオンがありますね。特に後者ふたつはイタリアでも大人気のようでした。
どこに行ってもポケモン(のばったもん)のUFO風船が売られてるんですよ。絵柄がシンプルで、それっぽいけどちょっと違うキャラクターを作りやすいためなのでしょうか、ぱっと見はピカチュウだけれどよくよく見ればまったくの別人というのがごろごろいて、あからさまにポケモン人気に便乗している。どこでもばったもん商売というのは成り立つのだと感心しました(けど大聖堂の真ん前でそういうのは勘弁して欲しかったなあ)。
エヴァンゲリオンに関してはもういうまでもないでしょう。日本で大ブレイクして欧米各国に飛び火、一大おたくカルチャーを築きました(もちろん欧米だけじゃなく香港とかでも放映されてたみたいですね)。番組番組の合間に流される短い番宣で、とりわけエヴァンゲリオンを目にする機会が多かったのです。おそらく青年層あたりを狙ってるのだと思いますが、MTVチャンネルみたいな局で放送されていたみたいで、他のアニメとは一線を画した扱いがされていると感じました。正直ちょっとみたいと思ったのですが、なにしろアニメにせよなんにせよ、行き当たりばったりの出会ったところ勝負みたいな旅でしたから、見ることはかなわずちょっと残念でした。イタリア・エヴァンゲリオンがどんな雰囲気か見てみたかったんですけどね。
雰囲気といえば、シティハンターがなかなか独特の雰囲気を醸し出してましたよ。といってもこれも番宣しか見てないんですが、その短い宣伝で使われているイタリア版主題歌がなかなかいかしてまして、お国柄なんでしょうか、シッティーハンターシッティーハンターって連呼してるんです。日本のちょっとおしゃれぶったような雰囲気はまったく消え去っていて、あの漫画のラテン系のノリ(といってもいいかどうかわからんけど)をイタリア人が解釈するとああなるのかなと、ちょっと疑惑半分で思ったりなんかしたんですね。けれどシティハンター自体はイタリア人に合いそうな気がします。とまあこれは偏見でしゃべってるんですが、なんといってもルパン三世が人気という話ですから、多分シティハンターもいい感じに受け入れられてるんじゃないかと思うんですよ。主人公が色男ですしね。
帰国後の調査によりますと、イタリアのエヴァンゲリオン主題歌は日本のものをそのまま使っているようです。ちゃんとローマ字で字幕も出ていて、よりオリジナルなものを求める日本アニメおたくへの配慮なのかも知れません。こういった傾向はイタリアだけでなくアメリカとかでも同じだそうで、キャラクターの名前を日本名そのままにするだとか、主題歌もオリジナルの雰囲気を損なわないようにするとか、おたくたちの求めに応じて変化してきてるのだそうですよ。
こう書いちゃうと語弊がありますが、一体なにかといいますとイタリア版の『クイズ・ミリオネア』です。へー、イタリアでもミリオネアやってるんだ、というとちょっと正しくないですね。日本でもミリオネアをやってるというほうが正しいです。『クイズ・ミリオネア』のオリジナルは、Wikipediaの記述によりますとイギリスのテレビ番組、Who Wants to Be a Millionaire?でありまして、つまり私たちが見てるのはミリオネア日本版というわけです。
さて、イタリアのミリオネア。セットやなんかは日本のものとおんなじで、そのおかげでぱっと見たときにミリオネアとわかったのですが、どうもイタリアではこれを普通にQuiz Showみたいな名前でやってるんでしょうか? ミリオネアのような表示はなくて、画面すみにQuiz Showって書いたあったような覚えがあります。
さて、番組の流れは基本的に日本版もイタリア版も一緒。イタリアのみのもんたはというと、若い饒舌な男性で、クイズを出す、回答者が答えを選ぶ、その後司会と回答者がべらべら会話をしていて、気がついたら正解ランプがついているというそんな雰囲気でした。イタリアではファイナルアンサーってどういってるんだろうと思って、食い入るようにして見てたのですが、どうもそういうのいってないみたいです。もしかしたらいってるのかも知れないけど、普通のディスカッションに埋もれてしまっているのか、それらしいものには気付きませんでした。
しかし、イタリア版はよくしゃべります。なんか日本のみたいな緊迫感をあおるような演出はなくて、穏やかな中に進行しているという印象でした。まあ、大金を手にするかどうかかかっている回答者からしたら穏やかなんてことは絶対にないんでしょうけど。
言葉がわからなくてもそこそこ楽しめる番組というとなにかというと、やっぱり音楽番組になるのではないかと思います。多分MTVあたりがイタリアでもやっていて、基本的にビデオクリップが延々流されるという類の番組ですから言葉がわからなくても問題なく楽しめます。ほら、洋楽聞くときにいちいち歌詞を確認したりしないで、のりで聞いていたりするでしょう? そんな感じ。
そこでひとつ妙に気になった曲がありました。レオタード着た女性を中心にして何人もで踊っているところを横から映したものなのですが、この曲が変に気になってしまいまして、イタリアで流行っているんでしょうか。けど、これを探そうと思ってもちょっと難しい。だって歌手の名前も歌のタイトルも見ていなかったのですから、手がかりといえば耳に残る音楽、それしかないのです。
日本に戻ってから調べた結果。Kylie MinogueのCan't Get You Out Of My Headということが判明しまして、カイリー・ミノーグったらオーストラリアの人ですね。でも、あの時の曲がカイリー・ミノーグのというのがわかったのは、本当に偶然や運の力が大きかったと思っています。ほんと、ラッキーでした。
そして音楽以外にも言葉によらない面白さというのがあります。それはコメディ。それも体当たり系の馬鹿な奴。イタリアで見たのはjackassという、それこそ悪乗りの集大成というような番組だったのですが、これが面白かったのですよ。私が見たのは、自転車に乗った男性二人がバケツやらなんやらを鎧兜に仕立てて、棒を手に延々ぶつかり合うという悪ふざけ。トーナメントですね。ほら、中世の槍試合。馬に乗った重装の騎士が、ランスを手にぶつかりあって、馬から落ちたほうが負け。これを自転車でやってるんですよ。
公園で、道端で、フットボールスタジアムで、とにかくそんなとこで? という場所をわざわざ選んで二人の男が自転車で突進。どっちかが落ちるなんてものじゃなくて、どっちももんどりうって倒れるという馬鹿馬鹿しさで、二人を遠巻きに見るまわりの人間ははやすでもなく笑うでもなく、本当に冷たい視線を投げ掛けていて、けどこういう馬鹿馬鹿しさも真面目に取り組んで、何度も何度も繰り返すとめちゃくちゃ面白くなるんですね。もう、本当、最高でした。
この番組は、明らかにイタリアのりではありません。多分、イギリスなんじゃないかな。あるいはアメリカ? 調べてみたらアメリカでした。
jackassについてはjackass (MTV)というサイトが詳しくて、ここのレビューを観ると、私の見たのはシーズン1・第6回である模様です。「チャリで槍試合」から「サメとハグ」くらいまで見ていて、「荒くれ野郎ポンティアス」も面白かったなあ。言葉わからなかったけど。「サメとハグ」はなんかネイチャー番組風で、サメと戯れる様はそこそこに面白かったんだけど、ちょっと冗長で退屈。なのでここでテレビを消して寝てしまったのでした。
イタリアのテレビを見ていて、ふと気付いたことがありました。それはコマーシャルのこと。広告収入でもってテレビ局が運営されているのは日本もイタリアも同じですから、もちろんコマーシャルはイタリアでも入るわけです。でも、見ていてですよ、ほとんど気にならなかったのです。なんでか? 言葉がわからないから? いや、そうではないんですね。コマーシャルが気にならない理由は単純で、テレビ番組途中に頻繁にコマーシャルの入る日本とは違い、イタリアではそもそもそのコマーシャルの頻度自体が非常に少ないのです。
アニメなら途中に一回はいるところは日本と同じですが、歌と番組の間にはコマーシャルがなかったりと、そんな具合なんですね。もちろんこれは他の番組でも一緒。音楽番組なんかは、延々歌を流して、思い出したようにコマーシャルが入るけど、それもそんなに長くなかった。顕著なのはクイズ・ミリオネアですね。日本だと、ファイナルアンサーっていって、ドラムが低音でどろどろいってる途中でコマーシャルに入って、コマーシャル明けにまたファイナルアンサーから見せられるといった感じですが、イタリア版はそんなことはもう全然なく、ひとりの挑戦者が一通り答え終わるまでコマーシャルが邪魔するというようなことはないんです。だから、落ち着いて見られます。なんか、番組の合間にコマーシャルがあるのか、あるいはコマーシャルの合間に番組を見ているのかわからないなんてようなことは、ことイタリア旅行中にはなかったのです。
じゃあコマーシャルはいつやるのかというと、番組が終わって次の番組がはじまるまでの間なんですね。この時間だけは本当にコマーシャルを見せられているという感じで、一体次の番組はいつはじまるんだろうって思うほどしっかりコマーシャルをやっています。日本だと視聴者がチャンネルを変えてしまうに違いないからという理由で、こういうやり方は絶対とらないでしょうね。でもイタリアはもともとがおおらかなのか、いや、おそらく日本とイタリアにおけるテレビの位置づけが違うのだと思います。日本ではあまりにテレビの影響が大きいからコマーシャルの加熱もすごいけれども、きっとイタリアでは日本ほどテレビは見られていないから、そこまで加熱することのない、いうならば雑誌や新聞の広告と似たようなポジションにあると思うんですね。
日本とイタリアのやり方、どちらがいいかといわれると簡単には答えられませんが、ことコマーシャルの扱いに関しては、イタリアがうらやましいかなと思いました。少なくとも、落ち着いて番組を見ることができます。でも、番組の扱いはというと、神経質あるいは強迫神経症といってもいいくらいに頭から最後まできっちりと放送する日本とは違って、イタリアはやはりおおらかであると感じます。アニメの歌なんて途中で切れるし(昔、テレビ大阪の再放送アニメとかがそんなでしたっけ)、どこで番組が終わったとかわかりにくいものさえありますしで、だから一長一短なんかなと思います。
けど、テレビ大好きだった昔ならともかく、今、テレビに距離を置いている自分としては、やっぱりイタリア程度の扱いで充分なんじゃないのと思うわけでして、かくも人は変わるのかと驚きます。でも、私の子供の頃のテレビってそんな程度だったと思うんですよ。日本のテレビは無闇に持ち上げられることで、逆に宣伝に支配されているとそんな風に思わないではおられません。