少ないながらも多少の旅の経験のある私でありますが、まさかこういう(半)パック旅行で午前六時起きというのがあるとは思いも寄りませんでした。いや、まったくないとは思っていません。けどやっぱり朝六時起きというのはつらいよ。でも中国と日本の時差は一時間、六時起きとはいいますが、実質日本時間で見れば朝七時起き、まあそう考えると大丈夫か、――いや前夜、寝たのが一時とか二時とかだったから、きついことはきついよな。それにその前は、三時寝の四時起きだったっけ……。
なんでこんなに強行スケジュールなのかといえば、到着するまでに時間のかかる九寨溝に、実質五日で行って帰ろうというのが原因です。全五日のうち、初日と最終日は実質的に移動日で、なのに観光もしようとするから強行軍になるのです。ほんとは、七日くらいかけるのがいいんじゃないかと思いますが、なにぶん時間がない中での旅行ですから、しかたがないですね。
本日の行程おさらいします。午前は移動、空路にて九寨溝へと向かい、午後には黄龍観光です。
成都の朝、朝食はバイキング形式で提供されます。ということで、いきなり写真を公開。なお、一枚目はフラッシュに指がかかってしまって、影が落ちております。けど、そのおかげで目玉焼きが白飛びしなくてすみました。なので公開です。
メニューの詳細、説明しますと、大皿にはチャーハン、野菜の油炒め、肉、白い野菜のなんかがのっています。副菜に目玉焼きがきて、これ、ターンオーバーですね。おっちゃんが小さなフライパンで、フライ返しも使わず器用にくるんと裏返して焼いてくれたものでして、ちょっと豪華気分。スクランブルエッグをお願いすることもできたようですが、目玉焼きにしました。
ご飯物はすでにチャーハンがあるというのに、お粥があるというのも変な話ですが、調理方法が違うからまあいいんです。 右手にカップがありますが、この時点では空です。左手グラスにはオレンジジュースが入っています。
この様子を見ればおわかりのように、私はあんまり肉を食べません。蛋白質も必要だよなとは思うのでちょっとは食べますが、基本的に野菜中心。あんまりに肉食過多になると決まって体調崩すので、自由にメニューを選べる朝食で野菜を大量摂取するようにしています。
しかし、中国のありがたいのは、選べる野菜のバリエーションでしょう。以前イタリアに行ったときの話ですが、ヨーロッパではあんまり茹でた野菜みたいのがなくてですね、サラダとかが中心ですね。だから、野菜取るのが大変でした。けれど、中国では油炒めがあったり茹でたのがあったりで、野菜もののバリエーションが豊富。緑黄色野菜に含まれる脂溶性ビタミンの摂取を考えても効果的というわけで、実にいいメニューであったと思います。
食事を一通り終えて、給仕にお茶をくださいといったらば、ふんって感じで簡単にうなずいて、お茶を用意してくれて、こういう愛想の悪いところは実に中国的ですね。ここでのお茶はジャスミン茶でした。コーヒーや紅茶もあったみたいですが、ここはあえて中国茶。中国のコーヒーはひどいという印象ができあがっているので、私は頑として飲まなかったのですが、これ、偏見ではなくて実際事実であったようで、同行者によれば確かにまずいのだそうです。
朝食がすんだら、荷物をまとめてロビーに集合。これより一路成都空港へと向かいます。なお、成都を立つ時間というのが午前七時五十分。六時に起きなければならないわけです。
ロビーには七時集合。空港には七時半過ぎに到着しました。荷物をあずけ、もろもろの手続きをして、荷物をチェックしようというところで気になるものを発見。途中、廊下の片隅、全然目立たないところにひっそりと、婦警をかたどった成都警察の看板が立っていて、思わず写真を撮ってしまったのですが、同行者曰く中国もこういうキャラクターを作るようになったのかうんぬん、こういう風潮は最近のものであるようです。
手続きは手荷物のチェックやパスポートの確認等々、結構きっちりやるのですが、それでも国内線だからか割合スムーズに通してくれます。飛行機、席は窓際。小さな窓から見る外の景色は、朝もやなのか霧なのか、おぼろに煙って遠くを見通すこともかなわないくらいでした。
肝心の九寨溝が晴れてくれればいいのですが……。
地上がどんなに曇っていたとしても、一旦飛行機が飛んでしまえば、そこはもう雲の上、青空が広がっています。
機内食こそは出ませんでしたが、豆腐干なる食べ物が配られて、これ、どうやら豆腐を干したものを甘辛く味付けしたもののようなのですが、この時点では私は食べずにおきました。と思っていたのですが、同行者が早速袋を開けてしまい、その流れで私も食べるはめに。けど、まあ割合おいしいものだと思いますよ。飲み物はというと、ひとり一本ペットボトルで水が配られて、これは私はとりあえず確保だけして飲まず、というのは昨夜泊まったホテルでも一本水が提供されていたものですから、こんな具合で、行く先々で水が手に入り、飲み水に困るというようなことは一度もありませんでした。旅先で生水を飲んでお腹を壊すなんて話はよく聞きますが、こうしてペットボトルで供給される水だけを飲んでいれば、そういう心配もないでしょう。ありがたいことです。
ところがここでトラブル発生です。窓から外の写真を撮ろうとのぞき込んだファインダー内に影のようなものが入り込んでいまして、私、これをてっきり窓についた傷であろうと思っていたのですが、違うカメラで見てみるとその傷がないんです。おや、一体なんだろうと、もう一度問題のカメラのファインダーを見てみれば、下部左寄りになんだか黒い糸くずみたいなものが見えます。一体これはなんだろう?
なんだろうじゃないですね。これ、埃ですよ。慌ててレンズ面を見ても埃らしきもの確認できず、だって、レンズ面についたゴミじゃこんな風には写り込まないでしょう。じゃあ、中か。撮った写真を確認すれば、しっかり写ってますね。ズームしたり振ってみたりしても影は微動だにせず。この時点で理解しました。ああ、これ、CCD面に付着してるんだ……。しかし、なんでよりによってこんなときに……。
埃が付着したのがCaplio R4だったのはまだ幸いだったかもなあ、と思います。もし今回の主力のカメラであるGR DIGITALにこれが発生していたら、私の落ち込みようはいかほどのものであったことでしょう。いや、それでも、R4でもショックだったんです。私は今回の旅では、GRには描写力を、R4にはズームをそれぞれ期待していて、GRでは撮りきれないものは絶対出てくるだろうから、それはR4で拾おうと考えていたのです。なのに、それが、CCDにゴミ! しかも二日目にか! これが四日目とかならともかく、なんでよりによって二日目なんだ。まだ目的地にも着いていないんだよ!
この時点でプランが崩れました。約三百枚取れるGRは風景等、とにかく本気の撮影に特化させて、食事等メモなどはR4でいこうという分担が破綻。これから先は、もうR4使わない? いやそれでもR4でしか撮れないものも出るだろう。もう二度と来れるかどうかわからない場所なんだから、埃があろうとなかろうととにかく撮るしかないだろうよ。しかし、なんでこの時点でこんなトラブルが。もう、運が悪いったらないよなあ……。
九寨溝に到着して、ここはすごいぞ、なんといっても標高三千メートルだ! ってこれは本当の話でして、空港がすでに標高三千メートル。寒い。空気も薄い。人によっては体調を崩します、頭痛が出たり吐き気がしたりなどなど、高山病の症状を呈したりすることもあると散々聞かされていたのですが、確かに寒く、空気も心なしか薄いように感じます。けど、この時点では私は特に変調を感じず、空気の寒さに関しても、空気の冷たさの方がむしろ先にくるから、あんまり意識することはありませんでした。
九寨溝の空港は小さかったのでした。滑走路まわりも小さくて、ターミナルビルも小さくて、タラップから飛行場に降り立ち、白い息はきながら空港ビルへ。手続きはなんだか空港というよりも鉄道駅みたいな雰囲気。係官のそばには休憩中の係官なんでしょうか、客から丸見えのところでどんぶり飯を食べている。ああ、これはいい感じだ。この庶民的な感じはもう日本にはないかも知れないですね。
ここで、九寨溝について少しだけ触れておこうと思います。九寨溝の寨は村、溝は谷を意味するのだそうで、チベット族の村が九つあるということに由来する地名であるそうです。九寨溝とは厳密には百近い湖のある谷をさしていると思うのですが、中国人に何度か確認してみたところ、九寨溝を含むこの一帯についても九寨溝と呼んでいるようなので、ここではそのように表記しています。ですが、Wikipediaの記述によれば、この一帯についてはガパ蔵族羌族自治州松藩県が正しい呼称であるようで、州の名称からもわかるように、この地域はチベット族による自治州です。
ここにはふたつの世界遺産があります。ひとつが九寨溝、もうひとつは黄龍風景区です。今回の旅行では、まず黄龍を観光し、その翌日に九寨溝を訪れる予定になっています。
九寨黄龍空港を出て、それからは小さなバスで黄龍に向かいます。その途中の風景。
山肌斜面の道沿いにバスは走り、その時々にチベット族の住居が集落をなしているのを見ることができます。集落は点在しているといってもいいくらいに、それぞれが離れていて、また小規模で、そこに住む人たちの主な移動手段は馬あるいはオートバイという話でした。
車も使うとのことですが、実際私たちが目にしたものはというと、馬の背に荷物を積んで移動する現地の人の姿で、分厚い毛の上着、模様はカラフルに彩られていて、これがこの地域の伝統衣装であるそうです。まだ西洋が浸透していないようで、なにかこういうものを見るとほっとします。まだここには土地の色が明確であると、そうしたことへの安心ですが、でもこういうのはそう遠くないうちに淘汰されるかも知れません。
時折に放牧されている馬、羊、そしてヤクを見ることができました。これらの動物はこの土地の生活に欠かせないもので、馬は移動及び輸送の手段、羊やヤクはその毛が織物になり、そして食料となります。ちょっとかわいそうな気もしますが、人が生きるというのはそういうことでもあります。これら動物は、舗装された道の脇、草の残る傾斜地をのんびり歩いて移動していて、特に管理されているようには見えないのですが、でも私たちにはわからない方法で管理されているのでしょう。
黄龍に向かう途中、峠を越えます。この峠は標高四千メートルを数えるそうで、なにしろ高地、不調を訴える人も出始めます。空気が薄いため、途中酸素ボンベを購入、ひとりに一本ずつ配られています。
ちょっと話は前後します。食堂に到着して、私が最初にしたことはなにかというと、とにかく台でもなんでもいいから見つけて、酸素ボンベの写真を撮るということでした。なにしろ、私にとってこれが初めての酸素ボンベ体験で、だから記念に未使用状態で撮っておきたいと思ったのです。
結構背の高いボンベです。ボンベの頭についている白いプラスチックキャップは、酸素吸入時には鼻と口を押さえるマスクとして使われます。並べられた水は、このボンベと一緒に配られた水です。配られたというとまるで配給ですが、もちろん購入したものですよ。無料配布とかされてるわけじゃありません。
酸素ボンベは、なにしろ中身が気体ですから軽い。大きさこそはかさばって持ちにくいと思わせますが、軽いためにそれほど荷物とは感じません。でも、そんなこといえるのはまだ余裕があるからですよ。いずれ余裕がなくなれば――、とこの続きはまた後で。ボンベの出番はまだまだ先の話です。
黄龍にいく前に昼食をいただきました。九寨溝について最初の食事となりますが、果たしてどのようなメニューであるのか。食堂は、ごった返す人の多さで、奥の一席を確保して、その席というのは中国らしい丸テーブルに回転台の載せられたスタイル。つまり、大皿料理を皆で取り分けるというやり方でありますね。
席についておとなしく待っていたところ、出てきたのはこんな料理でした。
豆腐や野菜を中心とした煮込みであったり炒め物であったり、実に穏健な雰囲気の料理です。食べてみれば味付けも、濃いわけでなく辛いわけでもなく、わりとあっさり目。私には実に食べやすい感じでありましてありがたかったです。見た目には彩りも少なく、とにかく地味でありますが、でも私のうちの食卓というのは実際こんな感じでありますから、別に問題ではありませんでした。むしろいつもの食卓に近いものであったことの方がありがたく、この地域の料理は私には向いているとそんな気さえしたのです。
ただなにもかもが思い通りというわけでもないのが現実でして、具体的にいいますと御飯がおいしくないのです。まず米の質が違います。実際種類も違うのでしょう。その、炊くに向かないタイプの米が高地の低気圧にて調理されるものですから、場所によってはべちゃべちゃどろどろで、場所によっては妙に固くて、しかもどういう燃料なのか、なんかすごく油臭い。油というのも灯油というかなんというか、石油臭い。まずい。これには閉口したものでしたよ。
食堂、隣の部屋はと見ると、団体に予約でもされているのかがらっがらでした。お茶のタンクがあって、勝手にポットに汲んできたりして、このへんはどうも勝手にやってもいいみたい。気を使うことがなくて割合いい感じでした。また、この部屋の片隅には暖房器具があって、しっかり運転もされているのですがそれでも寒いんです。どれくらい寒いかというと、この部屋を出た廊下のすぐそこにトイレがあるんですが、そのトイレというのも決して美しいトイレではないのですが、あんまりに寒いものだから臭さを感じないんですね。これはありがたいんだかなんなんだか、けど正直私にはありがたかったなと思います。いや、そりゃもちろん美しいのが一番ですよ。
黄龍について、今一度説明をば。黄龍というのは、中国四川省にある風光明媚な土地、標高三千五百メートルという高地に流れる石灰質を多く含む清流が、独特の風景をかたち作っています。ここがこの旅での最初の目的地です。徒歩にて黄龍を観光。五時間という結構な時間が割り当てられています。なお観光の手段は徒歩。往復約七キロありますが、高低差が結構ある場所です。三キロ登って三キロ下ると考えるのが妥当でしょう。そりゃ五時間を必要とするわけです。
かなり歩くらしいということは出発前にわかっていましたので、ハイカットのトレッキングシューズを用意しました。これ、普段歩きには全然向かない(だって重いんだ)靴ですが、大雪が予想されるであるとか山歩きをすることがわかっている場合には、かなり役立ってくれます。自分は舗装路しか歩かないんだと決めている人ならともかく、そうでないなら一足くらいは持っておいてもいいタイプの靴だと思います。
今回の旅行、同行者にはかなり高齢の方がいらっしゃったので、黄龍はちょっと危険なのではないかと危ぶまれたりもしたのですが、そういう人のためにロープウェイもあるそうなのです。ただし登りのみらしく、これ、登ったはいいけどおりられないみたいなことはないのでしょうか? 事前に皆で相談した結果、危ないからロープウェイは使わないと決定しました。そのかわり、これ以上は無理と思ったらそこで引き返すこと。そして待ち合わせ場所。それだけを決めて、後は各自の判断で動くと取り決められました。
正直、私にはこれ、ありがたい取り決めでした。だって、私はきっと写真を撮るから、写真を撮ったらきっと他の人と同じペースでは動けないから。だから、気ままというわけではないけれど、自分のペースを自分で決めて動けるというのは本当にありがたいと思ったのです。
以上、このような状況で黄龍観光がはじまります。
黄龍の独特の光景を説明するにはまずは見ていただいたほうが早いと思います。そんなわけで写真:
写真一枚目に見える風景、これが典型的な黄龍の風景なんじゃないかと思います。秋芳洞をご存じでしょうか。石灰岩の大地、地下に広がる洞窟に湛えられた水が作り出す幻想的な光景。石筍が柱がごとく立ち並ぶ中に大皿が積み重ねられたかのような段々の湖。ここ黄龍には、その段々の湖が広がっています。石灰質を豊富に含む水が山肌を流れ、そして盆を重ねたような風景を形作る。その様はまさしく雄大。写真二枚目を見ればわかると思います。ひとつひとつの盆はかなり大きく、そこに水が青々とたたえられている。もしかしたら、地下洞窟においてもこのような光景があるのかも知れません。ですが、あくまでも地下道は地下道。空の下、木々に囲まれた水盤の幻想。これはちょっとよそにはない光景なのではないかと思います。
そして三枚目。溢れた水が滝となって流れ落ちる、その水がまた透明なものだから、真っ正面から撮影するとただの岩肌にしか見えない。写真には写真のよさ、写真の美があるとは諒解しますが、残念、私の技術ではこの黄龍の美を捉えることはできませんでした。
断っておきます。私は今回の旅で六百余枚の写真を撮ってきましたが、そのどれもが黄龍及び九寨溝の幻想世界を捉えられていません。黄龍はすごい、九寨溝はすごい。このすごさは目の当たりにしなければきっとわからないと思います。
写真でめぐる黄龍、往路編その一。
黄龍には板張りの順路が整備されているので、水が流れているようなところを見て回るのに足もとを濡らす心配というのがありません。そうした順路ができあがっているのを感じさせるのは、各所各所に用意された案内板です。案内板に見える蓮台飛瀑というのがこれから向かおうとしている場所、あと50メートルです、がんばれ。そして五彩池というのが黄龍の最終目的地ともいえる場所、終点最上部にある湖です。あと3200メートル。そして出口までは1000メートル。つまり一キロほど登ってきた地点であるということがわかります。
黄龍にはリスもいます。ちょろちょろしていたところを狙ったのですが、周囲が暗かったせいもあって、手ぶれ&被写体ぶれ、ひどい有り様に仕上がりました。このとき、GR DIGITALにはPLフィルターをつけていて、だから露光量が不足しがちでした。惜しいですね。なお、この黄龍は自然が豊かで、野生動物も種々さまざま生息しているようです。鳥や小動物のみならず、大物ではパンダもいるとか? ほんまかな。ちょっと信用できない感じですが看板にはパンダも描かれていました。でもこんなところでパンダに遭遇したら私は逃げますよ。写真撮ってる場合じゃないと思います。
これが蓮台飛瀑、かどうかは実はよくわからないのですが(多分あってると思う)、こうした滝もあちらこちらに見ることができます。写真ではずいぶん小さく感じられますが、写っている人のサイズに注目してください。一枚目は28mm相当の広角、二枚目は85mm相当の中望遠で撮影されています。
滝を流れ落ちる水量は少なく感じられますが、目の前に立ってみると少ないとはそんなことなかったんですけどね。白く砕ける部分がそれほど多くないので水が意識されにくい写真に仕上がっているのが問題です。
往路、こうした板張りの順路を登っていきます。板張りの下は水の流れる石灰質の斜面。流れる水はおそろしく透明で、写真にするとまるで水などないように見えてしまいます。
頭上注意の看板。ひらけたところがあれば、森の中を通ることもあり、さまざまな景色を楽しむことが可能です。
そして、彩りも鮮やかな湖。雄大で幻想的な風景をバックに、入れ替わり立ち替わり記念撮影がおこなわれて――、全然どいてもらえません。自己主張しながら、前へ前へと出ていく。そういうスタンスが要求される場面であります。
黄龍往路、早々に仲間とはぐれて私一人登山の様相を見せまして、けどそうなれば全部自分のペースで動けるわけですからいいですね。やっぱこういうのは自分の好きに動けるのが嬉しい。写真撮るにしても、ゆっくり撮れる。慌ててシャッター切って人を追いかけるというのでは、やっぱり落ち着かないですからね。
本日の装備は背中にリュックサック、この旅のすべての荷物が入っています。そしてカメラ。首にはGR DIGITALを下げ、右のポケットにはCaplio R4。そしてここ重要なのですが、左手には例の酸素ボンベを持っています。これが、これが邪魔なんだ。写真撮ろうとしたらやっぱり両手でホールドするものですから、ボンベを足もとにおいて、写真撮って、ボンベを拾い上げてという無駄な動きが追加されるわけですよ。脇にはさんでもいいんですけど、ボンベが気になってしまうので、やっぱりよくない。この日は曇り空で、しかもPLフィルターなんてつけているから、露光量が厳しいんですね。だからシャッターがどうしても低速になってしまうので、手ぶれを防ぐなら面倒でもボンベは足もとに転がす。転がすと、なにしろ円筒ですからころころ転がっていきそうというわけで、極力立てていたんですが、これもまた問題が。場所によっては足もとは地面でしてね、傾斜だったり凸凹してたり、だから缶がこける。ボンベの中身は空気だから軽く、頭には樹脂製のキャップ兼マスクがついている。トップヘビー。こける、転がる、水にはまる。最悪じゃないですか!
基本的に、黄龍では順路の柵囲いから外は立ち入り禁止です。自然を守るためなんですが、でもそんなところへボンベなんて転がしていたら問題です。というわけで、マジックハンドを持った係員がそこかしこに待機してらっしゃいまして、ゴミを拾って捨てたり、観光客の落とし物を回収したりと大活躍。なので私も、すいませーん、落としちゃいました、ごめんね、ありがとう、なんて感じで拾ってもらっていたりしたんですが、おんなじところで続けざまに何度も落としたときは、さすがに恥じ入りました。全部で四五回落としたんじゃないかな。うち一度などは、どこにも係員の姿が見えず、どうしようか思案した揚げ句、降りました。水の流れる中、浅いところ、岩の出ているところをよって歩いて、拾って、さっとあがって、行き過ぎる人があらあら大変ねみたいな感じで眺めていく。ああ、恥ずかしいねえ。
行きではボンベはほとんど使わず。それほど酸素不足を感じなかったからなのですが、でも途中で使いはじめます。使いはじめたのは、いよいよ高地にさしかかった頃、寺院が見えようとした頃からです。
寺院が見える。そう、黄龍には寺があるのです。私はまったくそうしたことを知らず、ただただやみくもにまだ見ぬ五彩池を目指して登っていたのですが、そうしたらなんと登る先に明らかに寺院と思しい屋根が見えるではありませんか。
後で知ったことですが、この寺は中寺といって、黄龍の七合目くらいにあたるのでしょうか、結構上の方にある寺なのです。けど私はそんなこと知らなくて、だから、へーっ、寺があるんだみたいな感じで驚いて、そしてちょっと興味を覚えたのでした。
一体どういう寺なんでしょう。チベット民族の土地だからやっぱりチベット仏教なのだろうかなどと思いながら、ここで登るペースを徐々に速めていきます。面白そうなものを見つけたからというのもあるんですけど、ちょっと戦略を変えたのです。私はこれまで酸素は使わず登ってきて、つまりスローペースで体力を温存しながら歩いてきたということです。ですが、ここに来て同行の誰にも出会えないことにちょっと焦ったのです。だから酸素を少しずつ吸いながら、ペースを上げようと決めたのです。
というわけで、寺はどんどん近づいてきます。徐々に目の前に迫ってきます。
左手にほこらがあったので行きがけに撮影、パチリ。石組み? 屋根の跳ね上がり具合や四隅の飾り? の彩りなんかは、なかなか日本では見られん感じです。ただ、これがどういうものなのかはわかりません。倉庫とかじゃないよね?
そうして、中寺に到着。まずはその正面を撮影:
こうして見ると確かに寺なんですが、けどやっぱり日本で見る寺とはちょっといろいろ違いがあります。正面にはポールが一本立っていて、これもおそらくは宗教的な意味を持っているのでしょう。左右にもうもうと煙を上げる香炉、そして奥に本殿が見えます。この本殿は割りと簡素で、中に進むと正面に本尊、左右にも仏様なのかな? がおわします。そして、ここが日本と違うのですが、その三面に向かってクッションが据え置かれているんですね。ここにひざまずいて祈りを捧げるわけです。実際そうしている人たちもみえて、ああここ黄龍は観光地ではあるものの、宗教的な場所でもあるのだなとちょっと思いを新たにしました。
本殿の中は写真がありません。これは私の癖なのですが、宗教的な対象や芸術の対象はどうも撮影しない癖があるのです。建物は撮りますが、仏像や絵画は撮らない。畏れなんでしょうか、あるいは敬意? いずれにせよこうした性質がたたって、寺、寺院の内部は写真がありません。興味をおもちの方は、ぜひ実際に訪れてみてください。
寺の内部の写真がないので、もう少し外側の写真など。
本堂の両脇、そしておそらくはその裏側に金色に輝く車が取り付けられています。これ、一体なにかといいますと、チベット仏教に特有のマニ車といわれるもので、この中にお経が収められているのですが、一度回すごとに経典を読んだのと同じ功徳が得られるという、そういうシステムです。イスラム教におけるコーランなんかでもこういうものはあります。また、真言宗など密教系、古いかたちを残す仏教にもこうしたものは見られて、例えば高野山なんかにいくと建物の中に大きな車があるという、そういうものもあるのです。
ついでは、登りざまに撮影した寺の二階部分、そして屋根の先端につけられた黄色い魚の意匠です。二階に見える窓が、実際の窓ではなく描かれているだけというのはちょっと驚きでした。魚はしゃちほこみたいなものでしょうか、宗教的意味うんぬんに関してはよくわからないのですが、ちょっと痩せた感じの魚が精いっぱい身を伸ばしているように見えるのがいい感じかなと思います。
中寺を越えて、ここからは少し急ぎ足、いよいよ標高も高く酸素は薄く、けれど時間の配分を考えると少し急ぎ足でいかないと集合時間に間に合わなくなりそうな気配がするのです。気配? そう、気配。実はこのとき、私は時計を持っていなかったのです。適当にぶらっと登って、ぶらっと戻ったら大丈夫かなと思っていたのですが、それが思わず時間のかかる行程で、やっぱり写真を撮っているというのが時間のかかる理由なんだと思います。
中寺に着くまでは、水の流れが印象的な場所という黄龍でしたが、ここまで上って見ると水はさほどの印象を与えなくなり、むしろ普通の山のような表情を見せます。例えば緑。
山は霧か霞にぼうっと覆われていて、自分が今歩いている順路にしても、冷たく湿った空気に取り巻かれています。九寨溝についてからというもの、ずっと空気の冷たさは感じていたのですが、ここ黄龍は格別で、登りはじめもそうなら、これまでかなり歩いてきて、これが普通なら汗でもかいてもおかしくないような時期だというのに、まだ寒い。あまりに寒いのでタオルをぐるぐるに巻いて、帽子もかぶって、それでも寒い。九寨溝はそんな土地です。
さて、山道を登っていたところ、左手から合流する別の道に出くわしまして、そちらから人が次々と歩いてくるのを見て、ああ、これがロープウェイだかケーブルカーだかからの合流地点なんだと思い至りました。思いのほか高所で降ろされるのですね。
しかしここまで連れてきてくれるのはいいとしても、その道のり、ずっと向こうを見てもロープウェイどころか乗降施設さえまったく見えないというのは驚きです。景観に配慮して、よっぽど遠くに設置されているのでしょう。実際、これまで歩いてきた間に、そうした施設の気配に気付いたこと一度もなく、だからこの人たちは、いきなり高所に放り出されて、結構な道のりを歩いてきたんだろうなと思ったわけです。
でもそれでも、多分山道を歩いて登ってきた私らよりも疲労はないはずで、けどこの人たちも帰りは山道。私らと同じ道のりを歩いて降りることになるのでしょう。
黄龍を登るロープウェイが頂上までいかず、なぜ少し低い位置で合流するように設計されているのか。それはおそらく黄龍古寺に参詣しようという人のために設置された設備だからなのだろうと思います。黄龍古寺はここ黄龍の一番登りきったところに建てられている寺で、おそらくはこの地の礼拝の中心となる施設なのでしょう。
今回の九寨溝ゆきに際して、私はまったくすべてを人任せにしていたものだから、九寨溝という土地が一体どういうところなのかほとんど知らないままに来ていたのです。ましてや黄龍については知識皆無といってよく、せいぜい独特の風景に恵まれた自然豊かな場所なのであろうと、それくらいにしか思っていなかったのです。それが、思いがけず信仰の場所となっていると知れて、ちょっと驚いたのでした。しっかりとした寺が建てられていることに驚き、その驚きは中寺の時点ですでに発していたのですが、それが黄龍古寺となればより一層でした。急な山道、階段を登りきったそこに立派な寺院がどっしりとしている。うわー、すごいなー。これが私の正直な感想でした。
寺院は、日本の寺に見るような古色蒼然という雰囲気とは一線を画した、華やかな色合いの見られる異国風のいでたちで、そうした印象は色合いだけでなく建物の造りからも同じく得られて、そういえばこういう雰囲気は確か以前香港、マカオにいった時にも感じたように思います。でも、ここはもっと質素な感じがします。質素というのとはちょっと違うか。静謐というといいのかも知れません。香港マカオの寺院では生命の沸き起こりが生々しく感じられた、そういう印象でありましたが、黄龍古寺は枯れたような落ち着いたような、しんとした静まりを感じます。あるいはそれは寺院を取り巻く空気の冷たさのせいだったのかも知れません。
黄龍古寺と大書された額をいただく山門通り抜ければ、そこは意外にも中庭という風情で、その中央には香炉が煙を上げています。
私はまずは中庭を過ぎ、本堂に入って三面に静かに拝礼。例によって私は本堂内では写真を撮らなかったのですが、ここでも三面にそれぞれ仏様をいただいて、その前には先ほどもいっていましたクッション。一体これまでにどれだけの人数がひざまずいていったものか、実際その時も私の目の前でひざまずき祈りを捧げていく人は何人もあって、ですが私は慣れないことはしない主義です。いつものように、ただ黙然と立礼をして本堂を後にしました。
そして本堂から中庭に戻る途中、香炉に線香を立てる人を撮影。いやしかし、この線香が大きくてですね、日本では十センチと少々色は緑というのが一般的なサイズだと思うのですが、中国ではそういう日本の常識は通用しないのだと思わされるサイズです。長さは三十センチくらいありそうです。色は赤。それがもうもうと煙を上げながら、さらには炎も上げたりして、いやすごい、ダイナミックの一言です。
日本では、線香の煙を浴びると無病息災なんて話があったりしますけれども、ここではどうなのでしょうね。けど、あえてわざわざ煙を浴びにいかなくても、普通にそばを通るだけでもうもうと煙を浴びまして、だからもしここの煙にそういういわれがあったとしたら、私もご利益に与れるのではないかと思います。
黄龍寺の前庭に五彩池に続く順路の案内を見つけました。案内板によると池は寺の裏に広がっているようで、ぐるり一周をして戻ってくるようです。
五彩池はここ黄龍敢行の中心ともいえるスポットです。黄龍の登り始めの頃、大皿を何枚も連ねたような段々の池を指して、ガイド氏が五彩池はこういう感じの風景ですといっていたのですが、確かに五彩池の景観は最初に見たものに似ています。けれど、規模が違う。目の前一杯に広がっているといえばいいのでしょうか、澄んだ水をたたえた大皿が、一体どうすればそんな色になるというのか、トルコ石の青を思わせる深く不思議な青に沈んでいるのです。
近く、水をのぞき込めば底がすっと見通せるほどに透明で、石灰に覆われて真っ白になった木の枝が沈んでいるのがわかります。
そして振り返れば、水の向こうにさっきまでいた黄龍古寺が煙る霞に浮かんで見えて、その手前には青く沈んだ水があり、場所を変えれば、五彩池とはよくいったものです、深い黄土に色を違えていて、しかしそれでも水は澄みきっているのです。
こうして写真にしても言葉にしても、あの場の不思議さは伝えられないと思います。実に、他所にはない特別な場所であるとそのように思われてならない景色でした。
むやみに幻想的だ幻想的だとあおっちゃうのもなんなので、ここいらでちょいとカメラを引いて見ましょうか。題して、黄龍の真実、ってほど大げさな話じゃないんですが、上の数枚、実はこんな場所で撮影しています。
五彩池というのは意外に小さいのですよ。しかもぐるりを順路が取り巻いていて、頭巡らせれば人の姿が目に入るという、まさしく観光地然とした場所でもあるのです。ここで写真を撮るときは、まわりの観光客を押しのけるようにしてずいと半身乗り出し、そこかしこにみえる人影をフレームからけり出してやる必要があるのです。
その辺あんまり気にせず撮ると、こんな感じに人の姿が入ってしまいます。
これはこれで現地の雰囲気を表して面白いとは思うんですが、でも自然を売りにしている場所ですから、人のいない写真なんてのも撮りたいわけです。でもまわりの観光客にどいてもらうというのも無理な話ですから、フレーミングを工夫したり、あるいは一瞬の人の途切れを狙ったり、まあこのへんはどこで撮るにしても要求される話ではあります。
ただ、今回の旅行においてはもうちょっと問題は複雑で、いや、旅行が問題なんじゃないな。問題は、ほら、カメラに混入した埃ですよ。注意して見るとわかるのですが、ばっちり埃がうつり込んでいます。もうー、すごくショック。けど、だからといって撮らないのも馬鹿馬鹿しいから撮るのですが、その際にはなるたけゴミが目立たないようにフレーミングを工夫したり、カメラの上下をひっくり返してみたり、とにかく明るいところにくるとすごく目立つから、暗い部分に押し込んだのでした。
やらんでいい苦労をしながらの撮影行。五彩池を一回りしたら黄龍古寺へといったん戻り、いよいよ復路です。
五彩池も見た、後は降りるだけとなって、いよいよ復路。しかしここで問題が、ってもう時間がないのですよ。きっと途中で同行の誰かに会えるだろうと踏んでいたところが、まったくもってすれ違いもしないという予想外れ。危ない、もしかしたらこの時点で人を待たせているかも知れない。気ばかり焦るのもなんですから、近くにいた日本人に時間を訪ねたのが黄龍古寺でのこと。それがもう危ない。約束の時間まで後三十分なんて! だから、くだりは強行軍となりました。いやあ、走ったね、くだりを駆け降りましたともさ。
でも、写真は撮っています。
500mと書かれた路傍の縁石。果たして登ってきてここが500mということなのでしょうか? もしここが500m地点だというのなら、なんとか時間には間に合いそうな気がします。
中寺が見えてきました。ってことは、さっきの500mってなんだったんだー!
中寺までかかった時間を考えると、予想以上に状況は悪いと思われます。とかいいながら、マニ車を回転させる人を撮影。
この時点でかろうじて希望らしいものがあるとすると、さっき聞いた時間というのが日本時間だったら? というその一点です。日本と中国の一時間の時差があるとすれば、なんとか急ぎ足くらいで時間に間に合うんじゃないか。いや、きっとそのはずだ。と思いながら、すれ違った中国の人らしい二人連れに時間を聞いてみました。
わお、十五分前!
だ、駄目だ、急がないと、とはいいますが標高三千メートルの土地で思うように走れるものではなく、片手でカメラを押さえながら、もう片手では酸素を適宜供給して、急ぐ急ぐ。そして途中休憩をかねて写真を撮る。もう、一体どんなトレーニングなんだこりゃ、ってな状況でありました。
道はうっそうとした森を抜けて、行きすぎざまに、ベンチに倒れている人や、自分たちの記念写真を撮っているゴミ拾いの係員を眺めながら、でもここで余裕はありませんでしたね。急ぎながらも息だけは整えながら、ここがとにかく寒い場所というのは助かりました。
そして、森を抜けて、黄龍の確かに登りしなに見た案内板を見て、ああようやく降りてきた! と実感することころにはもうくたくた。でも、なんとか間に合ったんじゃないか。せめて数分から十分程度の遅れであってくれよと祈りながら、待ち合わせのロビーへと重い足を叱咤して急ぐのでありました。
駆け込むようにして入り口をくぐりロビーを一瞥すると、並ぶテーブル、一番手前に見慣れた顔があって、よかった、おいていかれていない! まずは一安心したのでした。息切らせながらテーブルへ、そして最初に聞いたのは時間、今何時ですか? 差し出された時計を見れば、ぎゃーす、三十分オーバーじゃんか! ああう、もうだめだ。
けれど、話を聞いてみると、私が最後というわけではなかったのです。いや、むしろ早いほう。メンバー過半がまだ戻ってきていないと聞いて安心。ガイド氏が携帯電話で未帰還のメンバーに連絡を入れて、じきに戻るところというのが確認されてまた安心。いやはや、よかった。とにかく待っている人たちに焦りやなんかがなかったのが一番よかったところだと思います。いや、もしかしたら私時間オーバーしてなかった? いずれにしても安心でした。
安心したらどっと疲れが出たようで、とりあえずここで酸素ボンベを使い切る方向へシフト。酸素吸いまくって、少しでも呼吸を調えようとするのですが、もう酸素も残り少なく、それどころか回復しそうにないというまさに逆境。やばかったかなあ。けれど息は落ち着いてきました。飲み物は、水を確保していたのでそれでなんとかしのぎました。
残りメンバーを待つ間、五彩池までいってきましたと報告。先着のメンバーは、無理をせず途中で下山したとの話で、だから撮影してきた写真をざっと見てもらって、簡単に説明して、こういうときにデジタルカメラは便利ですね。ぱっと写真を確認できる。どういう場所だったかというのを、印象が鮮やかなうちに見てもらうことができる。特に最近のデジカメは液晶が大きいから、効果はなおさらだと思います。
と、ここで残りメンバーが帰還。ガイド氏、全員が揃ったことを確認して、車へと移動します。本日の観光予定はこれにて終了。本日投宿のホテルへと向かいます。
九寨黄龍空港から黄龍へ向かう道々、私は実は少し後悔していたのでした。それはなぜかというと、座った席の問題です。この地域にはチベット族の集落やなんかが点在しているのですが、車窓からそうしたものを見るたびに、ああなぜ反対側に座らなかったんだろうと思った。そうなんですね。私はそうした風景が見えない側の席に座っていたのです。いや、でも初めての場所ですから、どちらになにがあるとかそういうのわからないじゃないですか。だからこういうことも致し方がないとしてあきらめるよりないのです。けれど、行きが駄目なら帰りこそと考えるのが普通でしょう。そう、黄龍からホテルへと向かう道々では、なんとしてもチベット族の集落や草を食むヤク、馬、羊の類いを写真に撮ろうと決めていたのです。
ですが、一枚も写真ありません。なんで!? 単純な話です。寝ていたからです。眠ってたんじゃないですよ。事態ははっきりいってかなり悪かった。体調を崩したのです。それでぐったりとして横になっていた。もう、写真を撮るどころではなかったのです。
最初はしんどいと思いながらも我慢していて、けれど途中でどうしようもなくしんどさが込み上げてきたものだから、ビニール袋を用意、少し戻しましたね。この体調不良、原因は明らかでしょう。高度です。高地の酸素の少ない山で、駆け降りるような真似をしたのが悪いと知れました。吐き気むかつき、少し頭痛もします。症状としては脳貧血ですね。脳に酸素が回っていない時にこういう症状が出て、割となれているとはいえここ数ヶ月はそういう症状に見舞われていなかったから、正直なところをいうときつい。戻したのはいいとして、脳貧血になるとお腹も壊れます。これもやばい。すごく悪い状況です。
とりあえず車から降りて少しでも寝れば回復するはずなんですが、さすがにそれは無理でしょう。私一人のために車を停めるわけにもいけません。それに悪いことに車はさらに高地へと移動して、だって峠は四千メートルだそうですからね。それはあかんわ。正直持たないですね。
私は長イスに横になってぐったりしながら、他の人たちが車窓に見つけたいろいろで盛り上がってるのを耳にしてちょっと悔しかったです。体調さえよければ写真を撮るのに、いや体調が悪くてもなんとでもなるかも知れない。と思いながらも、悪化してはいけないと思いますからじっとしていて、だからこの移動中の写真はないのです。
ただ、この体調不良のおかげで貴重な体験もできまして、それはなにかといいますとトイレです。中国のトイレは世界的に評判が悪いですが、それじゃいかんと危機感感じた中国政府がきれいなトイレを整備するよう号令発しているから、観光客が利用するような場所、とりわけホテルやなんかになるとちゃんとしたトイレがほとんど。ドアなしトイレみたいなものは徐々になくなっているといいますね。
だから、私もそうしたトイレを使うことはないわけで、そしてこれからもきっとないだろうと思っていました。ところがこの体調不良。さっきもいっていましたがお腹が壊れています。トイレにいきたいわけですよ。けど、せっぱ詰まってからでは手遅れになるかも知れないわけで、だからちょっと早めの段階で、トイレにいけないかと打診しておいた。そうしたら、途中、ガソリンスタンド兼雑貨屋? 食堂? なんですかね、間違っても観光客用ではない、あからさまに現地の人が利用するような場所に寄ってくれまして、そしてそこのトイレを使うことになったのです。
最初に断っておきますが、写真はないですよ。以前、イタリアにいったときにトイレの写真を撮ったのですが、これがなんだかあんまりいい感じではなくて、ちょっと後悔したということがありまして、まあそれでも資料ですから使ったんですが、そうか資料となれば撮ってもよかったのかも。いや、さすがにそんな余裕はありませんでした。
イタリアのトイレは有料だなんていっていましたが、中国のトイレにおいても同様、チップが必要なケースがあるようで、このトイレを使うために小額紙幣だったかをもってバスを降りたのでした。山道沿いに結構スペースをさいて作られた駐車場。トイレはこちらですと案内されるままに入ったそこは結構広くて、奥の壁にずらりと扉が並んでるのが一望できて、そうかここのトイレには扉があるんだ。妙に扉の背が低かったりするのはなんですが、とりあえずドアなしトイレを体験する機会はどうやらもうなさそうな模様です。
けれど、このトイレにはやっぱり日本の常識は通じなくて、なにがすごいといっても便器がないのですね。じゃあなにがあるのかというと、溝です。一本の、それこそ日本なら道路の脇にあるような溝、それが複数の個室を貫いて通っているんです。使用の方法は単純ですね。実にわかりやすい。だから書きません。
ここのトイレはただの溝であるとはいえ、それはすなわち水洗ということなのでしょう。だいたいにおいて湿度の高く少々じめじめとした気候の土地でしたが、それだけでは説明のつかないような感じがあって、床が全体に水に濡れたようになっているんです。これ、ある程度の期間をおいて一気に流すんでしょうね。幸いその時の利用者は私一人だったから流されはしませんでしたが、使用中にどどっと水を流されるとちょっとパニックになるんじゃないかと思います。溝は思いのほか深いのですが、けれど容積は有限ですから、トイレが混んだりなんかしたらおそろしいことになりそうな予感がします。幸い私の入ったときはきれいに清掃された後だったから、正直助かったと思いました。またこの土地の寒さ、空気の冷たさが匂いの発生を抑えているから、そのへんも実に助かったと思いました。まあ、尻が寒いのが難点といえそうではあるのですが。
トイレを出て、水道で手を洗うその水の冷たさ。おそらくその施設の関係者だと思われる人に軽く挨拶、お礼をいってバスに戻って、後はもうホテルに着くまで寝てればいいや。とりあえずなんとかなりそうだという予感があって、最悪の事態は避けられたとほっと安堵する思いでした。
体調を悪くして、ホテルへと向かう車内、ずっと横になって、考えることといえば早くつかないか、早くつかないかとそればかり。時にうつらうつらとしながら、また込み上げる吐き気やどうにもやり切れない不快感にぐらぐらと揺さぶられ、何度もうあかんと思ったことか。けれど、バスは順調に走って、ついにはホテルに到着。よかった。必要以上の醜態をさらすことなく無事にホテルに着いた。ほっと安堵なんてものではなく、九死に一生を得たといってもいいくらい。転がり出るように車外へと出ると、ホテルロビーを一瞥。とにかく座れる場所を探して、いやなに椅子がなかったとしてもへたり込むように座りますから。まあ、実際へたり込んでたんですけど。倒れ込むようにソファーに沈んで、ガイド氏の話なんて聞く余裕なんてなくて、とにかく早く部屋へ案内してくれと、部屋番号を教えてくれと、そればっかり考えていました。
本日の今後の予定、食事とそれからチベット民族ショーについてが簡単に案内されて、そしてカードキーが渡されます。部屋は一階。助かった。とりあえず部屋にたどり着くまでの障害は少ないにこしたことないわけで、解散後一目散に部屋に向かったのですが、オーマイ、なんてこと、鍵持った人がこない。耳を澄まして確認すると、どうやらこのホテルが提供するマッサージのサービスについていろいろ案内を受けているようで、すまん、マッサージは自由に受けてもらって構わんから、とりあえず部屋を開けてください。待つに待ちきれず、扉の前でへたり込んでいる私を見て別の同行者が鍵持ってる人をせかしてくれてありがたい。で、部屋はどこだっけ、って、ここ。へたり込んでる、まさにここ。かくしてようやく部屋に入ることがかなったのでした。
とりあえず誰がどのベッドを使うか決めまして、夕食まで寝て体調整えますといってベッドに潜り込んで、さあ本当に夕食までに回復できるのか。請うご期待。
かくして、夕食の席に私の姿はありました。お、回復したのか! というと、残念、回復なんてしていません。けど、自分の置かれている状況を見れば、だいたいどうすると回復方向に持っていけるかもわかるわけで、つまりこれまでの経験上から判断しているのですが、このときの症状というのは脳貧血及び低血圧だろうと決めつけた私は、こういう場合には血糖値を上げて寝るというのがよさそうだと考えて、とにかく夕食をとろう、なんでもいいから口にしようと、夕食の席に着いたのです。
テーブルの中央にはコンロがあって、そこには壺がのっかっていました。これ、スープですね。次々と運ばれてくる料理は野菜が中心で、味付けはさっぱりとして食べやすいというか、人によってはむしろ物足りないと感じる、それくらいの薄味です。私は野菜を少々と、中身の入っていない饅頭をもそもそと食べて、ここでギブアップ。いやあ、やっぱりきついですよ。食事がきついんじゃなくて、体調があまりにも悪くて、全然のど通りません。けど、食後にはチベット民族ショーがあるから、なんとか体力を回復させたい。となると、簡単に血糖を上げることのできそうな手段を選んで、ええ、この食卓にはスプライトがあったのですが、それをコップで二三杯、こいつは砂糖水みたいなもんですから、きっとよく効くことでしょう。
砂糖水をあおって、ちょっと寝てきますと退出、ベッドに潜り込んで三四十分ほど仮眠をしました。うとうと程度でも、寝ればなんとか回復するだろうとの腹で、学校なんかでいえば、一限だけ保健室で休むというか、そういう感じ。とにかく、まわりの人を心配させたくないという思いもあったので、ちょっとでも回復させてそれほど深刻ではないということをアピールしたかったのです。
三四十分ほど仮眠というのには理由があって、それはさっきから散々いっているチベット民族ショーのためなのですが、実はこれは成都に到着した時点ですでに予約が入っていて、お金ももう払っているのです。キャンセル不可とのことなので、まあいかなかったらいかなかったでお金が戻ってこないだけということなのですが、けれど金の問題というよりも、せっかく九寨溝というめったにこれないところまできているのに、催しを見逃すというのは悔しい。そんな理由で、とにかく三四十分の仮眠で回復させたかったのでした。
そして、私は見事回復、再びこの食事の席に着くことができたのです。やったー、さすが金の亡者、って、いや別にそんなわけじゃないんですが、でもごくわずかでも状況の改善が見られたのはよかったですよ。いやはや、席に戻ると、大丈夫か大丈夫かとずいぶん心配していただいてですね、本当に申し訳ない。けどずいぶんと顔色なんかもましになっていたようで、とりあえずスープだけでも食べ、と、さっきの写真、食卓の中央にでんと置かれていたスープをよそってもらいまして、一二杯口にして、スプライトも残っていましたからそいつも少しやりまして、少しでも体力の回復をはかるのでした。
食後には、お待ちかねのチベット民族ショー。ショーは、このホテルの一階奥に用意されたステージにておこなわれます。でもこんなときに私はというと、もうぐったりと疲れ切っていて、いや、そりゃあね、さっきまで寝込んでいたわけで、なんとか持ち直したとはいえ完全回復なんてあるはずもなく、正直靴を履くのも辛い。なので、足もとはぺらっぺらの使い捨てスリッパだ。なんだかなあ。みっともないよなあ。でも、仕方ないよね。
ステージは、土産物売り場を少し奥に行ったところにあるらしく、そこには民族衣装を着込んだ兄さん、姉さんたちがお出迎えです。
手にしている白い布をショーを見物にきた私たちの首にかけながら、口々に皆のいう言葉、シャーシントローというのが、写真撮ろうという日本語であるというのはついぞ気がつきませんでした。いや、現地の挨拶かと思ってたんですよ。
観客席にどやどやと進むと、そこはいわゆる雛壇のない、スタジアム形式のステージでした。真ん中にステージがあり、それをすり鉢の底にするように、観客席が四方を取り囲んでいて、そのうちの一方に演者の出入りのための口が開いています。
私たち日本人組は結構最初の方に入場したので、いい感じにいい場所を占めることができまして、まさしくステージ真っ正面の二列目。一列目には別の国からいらっしゃった方々がすでに着席されていました。
さて、各席を見れば前に小テーブルがあって、そこには金属の器にお酒? お茶? がはいっていまして、これなんだろう。どう見ても飲んでくださいって感じじゃなくて、よくわからないからそのままにしておいたのですが、あと、なんだろう、妙に席が濡れてるような気がする。いぶかしがりながら席に着いたのですが、これ、ショーが始まってから理由がわかります。
会場が暗くなって、いよいよショーが始まります。大音量で流される音楽はシンセサウンド配合の民族色溢れるもので、こういうところに伝統一色ではあれない観光客相手のショーの割り切りが感じられます。そしておどろおどろしい赤色ライトのもとに現れたのは、面を付け着飾った数人の人影。わあ、なんか伎楽みたいだな。伎楽は日本にも伝わっている仮面を用いる芸能なんですが、こうした仮面劇は東アジア方面に広く分布しているようで、それぞれの地域に応じた発展を経て土着したのか、おおらかな大陸風の風貌、エネルギーに満ちた表情等々、なんだか面白いなあと思います。このショーに出てきた面たちは動物をかたどっているようですが、それぞれがどういう背景を持っているとかなにを象徴するであるとか、そういうことをまったく知らないものだから、ちょっと残念かな、そんな風に思います。
しかし、音楽に合わせ踊る面たち、楽しいなあ。
最初のステージが終わり、司会者が登場。
残念ながらここは中国。お集まりの皆さんにお礼をというような感じだと思うのですが、そのしゃべってる内容がわかりません。司会者の兄さんはグループ単位で集まって座っている観客が、それぞれどこからきた人たちかということを説明しているらしく、なんでこういうことがわかったかというと、私の隣に座っていた別のグループの女の子が、その説明が終わって拍手が巻き起こるその時に、私に向かっていらっしゃいませーといったからなのです。いらっしゃいませ! 多分その人が知っている日本語がそれだったと思うのですが、じゃあ彼女は中国の人? と思ったらそうではないらしく、どうも台湾からきた観光客であるようです。
そして、ここで謎の器の謎が解明されたのでした。これ、旅の無事と幸運を祈る儀式、だと思うんですが、あるいは歓迎の儀式? そういうのに使うのです。司会者に呼びかけられるまま、観客は器を手に起立して、そして司会者の合図で中の酒に浸けた手をぱっと宙に、そう酒を振りまくのです。わお、カメラにかかったら大変だ! けど、これでわかりましたよ。なんで席が濡れているのか。これです。これでもって跳ねた酒が座席を濡らしていたのでした。
けど、こういう儀式があるというのは悪い感じじゃないですね。こうした所作の裏に人の幸せを祈るという、その心意気が嬉しいじゃないかと思ったのです。
そして、ステージはなおも続きます。舞台、ショーの基本はというと歌と踊りが相場であろうかと思いますが、それはここ九寨溝においても同じであるようです。独唱あり、デュエット、トリオあり、歌も多才ならば、踊りに関しても、女性による群舞、男性による群舞、そして男女一緒に踊られる演目もあり、多彩で飽きさせないものであったと思います。観客も輪に入って一緒に踊るようなシーンもあり、まあ私は半病人でしたから参加しなかったのですが、踊っていた人たちは一様に楽しそうでした。観客参加型のイベントはこの他にもあって、腰に紐を結びつけられた二人が四つんばいになって引きあうという、そういう出し物もありまして、どうもこれは婚礼に関連するものみたいですね。勝ったほうは派手な衣装を着せられて、着飾った女性とともに入場して、なんか婚礼の儀式っぽいことをしていました。参加させられた人はちょっと大変そうだったけれど、けど同時に面白そうでもありました。実にショーらしい、観客を楽しませることを第一に考えてプログラムが作られているものと思います。
と、言葉でいくらいってもショーの雰囲気は伝わるものではありませんから、ここに写真を何枚か紹介しまして、おしまいにしたいと思います。
しかし、きれいなお姉さんもイケメンお兄さんも多くて、いいショーだったと思います。面白かった。