グレン・グールドの音楽思想

20世紀後半における音楽受容の一局面

第五章 グールドの音楽における自己投影的性格

 グールドには身体というものを忌避していた節がある。それは彼の食事に関する逸話や彼の子ども時分の逸話からもうかがい知れるが、そもそも彼のコンサートを否定しレコーディングに打ち込んでいくその傾向からが彼流の身体の否定であった。彼がピアノ演奏ひいては音楽に求めるものとは身体や現実というものを超えたところにあるエクスタシー体験であるし、そのエクスタシーを求めるプロセスとして現実の出来事や時間性を乗り越える試みであるレコーディングスタジオでの活動、テイク・ツーネス、編集が選択された。

 しかしその身体を忌避しているという半面、彼がその身体というものから脱することはかなわなかった。それは彼がチッカリングやCD318というピアノに固執していたことと彼が特定のピアノにこだわらざるを得なかった理由としての、触覚というものがある。

 第五章はこの相反する傾向を考察することを通し、グールドにおける音楽とはいかなる体験であったかを明らかにするものである。

第一節 グールドの自己否定的傾向

 グールドの食事はかなり奇異なものであったという。彼の有名な録音必需品の中にはアロールートビスケット(くず粉でできた幼児用ビスケット)やスキムミルク、ポーランド水と呼ばれるミネラルウォーターの瓶が含まれており1、彼はレコーディングの際スタッフに差し入れられたサンドイッチを突き返してかわりにそれらを食べていたとの証言が残されている2。彼は一旦仕事にはいると食べ物をほとんどあるいは全く口にしないで長時間の録音をこなしたというし3、1973年の書簡によれば「この十年間でほぼ菜食主義者に」なり彼自身「食べることにほぼ完全に無関心」であった4。彼は年をとるに従って食事はそれほど必要でなくなってきたといい5、晩年の彼が食事を取るのは日にたった一度6、実際に彼の冷蔵庫には「食べ物が入っている」というにもかかわらずフルーツジュースしか入っていなかった。それにしても、グールドのこの極端な食に関する無関心さは一体何を示すのだろうか。

 グールドが食に関して無関心だったと書いたものの、実際のところは決して無関心であったわけではない。むしろそれとは逆に彼は食に関しては関心を持たなかったどころか、意識せずにはいられなかった。グールドがカズディンに「断食状態に置かれていれば頭の働きも精神の集中力も一層鋭くなる」と語ったということ7や「時差や食事や水に適応することに執着していた」8ことからも推測されるように、彼にとって食というものは彼自身の身体に直結してしまうものであり、グールドは自身の身体というものを食に関する事柄を抑制することを通じて抑制しようとしていたのだ。

 グールドにとって身体は彼を束縛するものにすぎなかった。彼の子ども時代のことである。従弟たちが外でおはじき遊びをしていたところへグールドがやってきてその遊びに加わろうとしたところ、その地面の冷たさに手が感じすぎ手を引っ込めてしまった。結局グールドはその自分の触覚の敏感さのために、やりたくてたまらなかったおはじき遊びの仲間に加わることは出来なかった9。この事例は次のことを物語らないだろうか。つまり彼、グールドが望むものに対して身体、触覚というものがとかく邪魔をしていたということ、彼にとって身体とは彼の希望することにいちいち立ちふさがってくる邪魔者でしかなかったのではないかということ、である。子どもの時分からのこうした敏感さに代表される身体感覚に阻害されてきたことは、彼が彼を邪魔する身体を屈伏させる手段として様々な薬物類を服用し続けたことの原因になったといえるだろう10

 グールドと彼のピアノとの関係に目を転じてみよう。ここでも彼と彼の身体との微妙な関わりを見て取ることが出来る。グールドが自分のピアノ演奏について説明するときに引き合いに出すお気に入りの例に「蜘蛛とむかで」の物語があるのだが、この物語はグールドがピアノを演奏する際に現実的な技巧、技術の面、ひいては身体的な面に対していかに意識をしていなかったかということを物語っている。もともとグールドはたぐいまれなピアノ演奏技法を身につけていたが、それは先天的ともいえるようなものであったらしい。ジョン・ロバーツは「彼は正しいキーを叩こうと特別に意識したことも、その種のことで気を病んだことも、まったく」なく、またどのように演奏しているか説明できず話題にすることも嫌ったと回想している11。カズディンはグールドがむかでの例を引き合いに演奏技能や方法については理解、説明も出来ないし話題にもしたくないことを説明したとの証言を残しているし12、またマックルーアとの対話において演奏時に歌う癖についての説明を求められたグールドはその問を「それはムカデのような質問」だといい「何か切迫させるようなものが」あるため答えられないとした13

 彼にとってひじょうに自然な行為であったピアノ演奏は彼に身体を意識させることはなかった。彼がピアノ演奏の技術を得るために猛烈に練習するということがなかったことは技術的な問題を意識することが少なかった証拠であろうし、練習は血行の悪化を招くとして積極的ではなかったことは身体的なものを意識させないように自らつとめていたということであろう。しかし彼がそうしてピアノ演奏の技術に対して不自由なく育ってきたことが、様々な偶然的な要素や変化――空調や温度、彼が普段用いているものとは異なるピアノのアクション、から得られる違和感というものを極度に感じさせる結果となったのだとすれば皮肉である。もともと感じやすかった彼に無意識的であらねばならないピアノ演奏を意識的にさせるこれらの刺激は、ことさら彼をおびえさせた。もしこの様な現実的な因子が彼に働きかけその技術的なこと身体的なことが彼の演奏に影を落としたならば、彼はこれらの意識を消しさるために現実の音から離れ、ついには問題となる因子を追い出すのだった。

 彼はその手段としてノイズを積極的に利用している。現実に鳴り響く音を掃除機やラジオ、テレビからながれる雑多な音の重なるノイズによって消し去ることによって彼は現実を超えたところに響く、意識において響く音に肉薄することを可能にし、ひいては現実的な問題に対する意識を消し去るのだ。この実例として、彼が十九歳のときのベートーヴェンのピアノソナタ第30番作品109の事例をあげることが出来る。この曲には一箇所「恐怖で顔がひきつる」ような困難な部分があり、彼はこともあろうにその部分をさらうことから練習を始めてしまったため、その部分をどうしてもうまく弾けなくなってしまった。その「恐怖で顔がひきつる」瞬間を明確に意識することから始めてしまったためである。その部分に近づくたびに彼はおびえからこわばってしまい、それは演奏にならないほどだったという。結局彼はその意識過剰からくる技術的問題をボリュームをいっぱいにした二台のラジオを用い「失敗の聴覚的証拠」を締め出すことによって、つまりは失敗しているということを意識しないようにして克服した14

 また同様の例として、彼がテル・アヴィヴツアーにてそれこそ最悪の楽器とであったときの逸話を引くことも出来るだろう。その最悪のピアノでの演奏を可能にするために、彼は砂漠に出かけ遠く離れた自宅にあるチッカリングの触感と音を思い出しながら指の動きを伴わない意識だけでの練習をした。その晩のコンサートではその最悪のピアノを昼間の砂漠で練習したとおりチッカリングと思い込みながら弾くことによってようやく演奏を可能にしたのだった15。彼にとってピアノ演奏とは現実と関わらない、関わってはならない出来事だったのである。

 とにかくここまで見てきたとおりグールドにとって現実や身体的なものと折り合うことは困難であり、次第に彼はそれらを退けたいという意識を強めていった。この意識が、徹底的に管理することが可能なレコーディングスタジオでの作業に彼の目を向けさせることになり、ひいてはままならない現実に邪魔され不完全に終わったものを切り捨て、思うさま自由に自分の意識をふるい反映させることを可能にする、編集その他のテクニックを用いること――テクノロジーを彼に選択させ、コンサートを捨て去る決意を抱かせるにいたったことは想像に難くない。

 思い出してみよう、グレン・グールドは夏でもコートを着用し手袋をはめていた16。外界からの刺激、環境の変化に対して極端に防御する必要を感じた彼はそれらで彼自身を包み込んだのだった。すなわち彼にとってレコーディングスタジオとは自身の身体を開かれた外界から護るためのコートやマフラー、手袋に通じるものであったし、テクノロジーとは彼の意識を阻害する偶発的な出来事や思うようにいかない現実を黙らせ克服するという意味において、彼の身体を黙らせ屈伏させるための薬物に同じなのだ。

 この身体の忌避、現実の忌避という結論はグールドにとっては望ましいものではなかったようで、そのため彼は様々な抜け道を用意した。それは彼にコンサートを否定しレコーディングというテクノロジーを賞賛する論文を書かせ、彼のいう匿名性、プレルネサンスにおける音楽主体への回帰へと向かう論陣を張らせることとなった。

 彼の匿名性に関する論理はもちろんそれ自体意味あるものではあるが、彼がその匿名性を求めた本当の、第一義的な理由とは自己の身体を消し去りたい、自己自身さえも消し去りたいという、自己否定の欲望にほかならなかった。彼は自分ではない自分に、ここではないどこかに対する憧れを終生抱き続けていた。前者は彼に若くは作曲家に老いては指揮者に対しての願望を抱かせ自分のピアニストとしての側面をことさらに否定させる17。さらにそれだけには飽きたらず意識的な多重人格的見せ物――「グレン・グールドによるグレン・グールドへのグレングールドに関するインタビュー」、ヘルベルト・フォン・ホッホマイスター博士名義での論文、複数の彼による共演『グレン・グールド・ファンタジー』――を生み出さしめた。そして後者は北への憧れ、そして彼の望んで已まなかった孤独を選択させたのである。

第二節 意識と直截的に結びつく身体

 自己や現実を否定するためにレコーディングやテクノロジーが利用されたのだとすれば、その場においてなされた彼の音楽とは果たして如何なるものなのであろうか、それは結局否定的なものでしかありえないものなのであろうか。

 もう一度彼とピアノとの関係に目を向けてみるならば、そこに何かしらの矛盾を見付けることが出来るだろう。例えば彼のバッハの音楽を称揚した理由、「特定の楽器の響きに固執しない大らかさ」や「特定の鍵盤楽器に限っての作曲を嫌っていた」18ということからは、特定の楽器という現実的な要素に縛られない音楽自体のために作られている音楽をグールドが好んでいたことを知ることができる。しかしその特定の楽器に拘泥しない筈の音楽自体を実現させるにあたり、グールドは執拗に特定の楽器――あるいは触感――を求めた。例えばそれはグールドがお気に入りのピアノとして何度となく引き合いに出したチッカリングというアプターグローブにある彼の別荘におかれた楽器の触感であり、それをもとに調整されたスタインウェイ社のピアノCD318だった。彼はピアノを自分の好みに調整するにあたりなによりも自分の指の感じる触感を重要視し、その「触感の即時性」19を求めるあまりアクションの不整合によるリバウンドという後遺症をレコードに残すこととなってしまった20。グールドはそのアルバムに付したライナーノートでリバウンド現象について「神経質なけいれん」を認めるもののその短所は「このCD三一八によせる熱意」の前では「さほど重要でない」とコメントする。つまりはこのピアノの有する「直接的で明瞭な響き」はその短所を「軽視させ」るに充分であると判断したのである21

 ここでグールドがもっとも重視することは自身の触感と、自分がコントロールしているというまさしくその実感である。グールドのテル・アヴィヴでの体験をもう一度検証してみよう。グールドが出会った最悪なピアノとは「音はいいんだけど、アクションが極端に気むずかしい」22まるで「ピアノが弾き手を運転する」23ようなピアノであった。つまりここでグールドが最悪とした問題はそのピアノの持つ「音」ではなく「アクション」だったのだ。この様なアクションを総じてグールドは「パワー・ステアリング」24のようだという。グールドがこの「パワー・ステアリング」を嫌った理由は自明のことだろう。彼の触感と実際に鳴り響く音の間に入り込むパワー・ステアリングのために、「触感の即時性」が著しく損なわれてしまうのだ。グールドがパワー・ステアリングを嫌い「触感の即時性」を求めたのは、音楽を自分自身でコントロールしたかったからにほかならない。グールドが愛して已まなかった自分のチッカリングについて彼は「すべてをコントロールできるという感覚をもたらしてくれ」25ると評している。

 これに似た話として「残響」に関するものがある。テクノロジーを賞賛しより良い結果のためには創造的不誠実を働くことも辞さないといった彼であったが、狭いスタジオで録ったバッハのピアノ協奏曲をあたかももっと広い場所で演奏したかのように見せかけるためにとミキシング工程で付加された残響音を彼は自分のスタッカート奏法、「苦労して造り出した明晰な音」を台無しにするとして取り除かせている26

 電子工学的に付加される響きや楽器のパワー・ステアリングに頼ることはその領域におけるコントロールを放棄することになる。彼が求めた鳴り響きとはその隅々まで隈なく自分自身の意識と指によってコントロールされ尽くされたものであり、スタジオワークやテクノロジーはその結果を達成するために彼をサポートし奉仕するもの――あくまでも二次的なものなのだ。

 グールドがなによりも演奏において重視したものとは触覚とその自身の意識であった。しかもその両者は個別に数えられるものではなく、相互に結びつき分かち難く融和するものだった。

 グールドはジム・エイキンのインタビューで「どんなに長くピアノから遠ざかっていても、何かの音楽は常に頭に浮かんでいるし、それを即座に指の自発的な動きに置きかえ」ることが可能であり、「スコアを見ながらものを考えているときに」は意識にのぼらせることなく「自動的に特定の触覚的なアプローチに結びつけている」し、「この思考過程は総体の一部で」あり「分析的概念と同時に、非常に実際的なことがらも思い浮かぶ」と述べている27。そしてテクニック的なことについては「一日に十六時間も奴隷のように」「音階の練習かなにかをやるなんてまったく馬鹿げている」し、「音楽を楽器に置き変えるときには、そういった訓練」は役に立たず「楽器との瞬間的な関係の中に身をおくべき」で、それらのことを「直感」ではなく「自覚して」いると述べる28

 これらは意識と触覚の融和していることを示す好例――前者は意識の側から、後者は身体の側から述べる関係である――であろう。

 この意識と身体の融和についてを踏まえたうえでノイズの中でベートーヴェンのソナタを練習したという逸話を再考することによってまた異なる結論を得ることになる。グールドがピアノ演奏にテクニック上の問題を持ったためそれを克服するために二台のラジオを鳴らしたことによって失われたものとは、鳴り響くピアノの音、言い換えれば聴覚によるフィードバックであった。グールドは聴覚によるフィードバックを失うことによって、純粋な音楽的な意識と触覚のみを問題にすることを可能にし、彼の演奏を疎外する失敗の証拠という鳴り響きから自己を切り離してしまったのである。グールドはこの様なノイズの積極的な利用法を十三、四歳ころに発見したという。これはモーツァルトのフーガの練習中、突然ピアノの傍で掃除機ががなりはじめたという体験が元になっている。掃除機のノイズにかき消されてしまったピアノの音が、掃除機が鳴り出す以前よりもよい響きになったと彼は説明し、その理由を外的観察よりもはるかに強力な刺激を与える「創造力という内なる耳」に求める29

 さらにグールドの意識と身体の関係はこれだけに留まらない。グールドがカズディンに説明したところによると、彼のいう「技巧」とは身体の作用でありながら精神的なものをも含む総体的な才能をさすのだ30。グールドはピアノを弾く際にはすべての鍵盤に触れる動作を頭の中にイメージとして持っており、それは音だけでなくキーに触れる感触までも伴うとする。そのイメージさえ出来れば望むように打鍵することは簡単だというのだ31。これこそがテル・アヴィヴでのコンサートでパワー・ステアリングとしか言いようのない最悪のピアノを克服した秘訣である。グールドは砂漠に出かけ、コンサートを繰り返す中で失われてしまったチッカリングの彼の原体験ともいえる触感を取り戻すことによって、同時に音楽に対する明晰な意識を回復させたのだ。

 以前の結論は彼のピアノ演奏は現実と相容れないというものであったが、今度の結論はそれと異なるものにならざるを得ないだろう。彼にとってピアノ演奏というものは意識によってコントロールされる行為でありながら、身体の作用である触感に基づき遂行されるものであるのだ。テル・アヴィヴでの体験にしろベートーヴェンのピアノソナタ第30番の事例にしろ、問題は身体による行為が意識されてしまったというそのことではなく、身体行為を意識することによって身体と意識の無為な結び付きが分断されてしまうことなのだ。つまり彼の身体は意識と直截的に結びついている。

第三節 身体の作用として生じるグールドのピアノ演奏

 ではしかし彼の言説に見られた身体を否定的に捉える傾向は一体どういうことなのだろうか。ことに自分自身を消し去りたいという彼の言説はどのように捉えればよいのだろうか。

 グールド自身の言葉と第三者からの証言を照合してみよう。

 グールドは自分では練習はしないといっていたが、ピアニスト、ゲイリー・グラフマンの証言によれば彼は現実にはよほどの練習を重ねていた32。また食に関する例も、コーヒーを注文し33、ウェルダンのビーフステーキしか食べたがらず34トマトジュースを立て続けに空けフライドポテトを付け合わせにステーキをぱくついていた35という証言も併せて考えるに、彼の言にばかりによるのは正しいとはいえまい。だとしたら、なぜ彼はそのような事実を曲げる言説をしたのだろうか。

 先ず第一に、彼は自分のその奇矯性や伝説となり得る説話が自分のレコードのセールスを左右するという事実を知っていた36。彼は自分のレコードの売れ行きを非常に気にしてたというし、例の隠し財宝計画37こそは彼がレコードセールスというものを意識していたということに対するなによりの証拠になるだろう。彼は決して自らの音楽を追い求めるばかりの隠者ではなかったのである(彼の遺産の大部分は株式により得られたものだ38)。しかし今述べた側面だけを云々するのもあまりに表面的といえよう。だとしたら彼のくりかえした事実にそぐわない言説はなにを意味するのだろうか。

 カズディンはその著書の中でグールドの「創造的な嘘」39について再三触れている。このカズディンのいうグールドの「創造的な嘘」――つまりグールドのグールド自身に関する様々な記述とそこに見られる現実との矛盾――は、ジャック・ドゥリヨンが示したようにおそらくはグールドが「自分が考えていると言っていたことが事実であって欲しかった」40故に発された彼の望む彼自身の理想像だったのだ。

 自ら語り表したように、孤独を求め引きこもった生活を実践した彼であったが、結局は人とのコミュニケーションを捨て去るにはいたらず、電話という手段を通じて人を求め続けた。それと同様にグレン・グールドという現実の像を捨てたいと望み、故に匿名性を求めた彼であったが、結局は自らの望んだ匿名的なグールドというものは得られなかった。彼の望んだ孤独に耐え匿名的であるグールド像に反し、現実の彼はあまりに強烈な自身をたたえていたのだ。

 グールドは批評家の彼に下した「結局のところ、気違いだ」との評価に対し批評家たちは音楽をではなく「彼らの聴覚上いままで養ってきているある種の期待に応えているかどうかだけ」を問題にしていると軒並み退けた41。しかし、グールドの今までにない演奏をと指向する態度も、多かれ少なかれ彼の批評家たちに対して下した批判と変わるところはない。彼の目指したかつてない演奏というものこそ、その曲に与えられた既存のイメージというものに立脚してしか存在し得ないものであるのだから。グールドは明らかにその既存のイメージを逆手にとって利用しているのだ。このことを渡辺裕のいう「カタログ文化」における「差異」の追及42として理解することも出来るだろう。しかしむしろ彼がこうしてまで伝統や歴史、既になされた演奏に対して反発し、それらによらない演奏を求めたことこそ、結果的に自己流を目指さざるを得ない彼の自分というものへのこだわりの証拠であり、その演奏こそが決して匿名的にはなり得ないグレン・グールドの手跡であるのだ。

 キットによる聴取を理想とし夢見た彼が、キットによる演奏を否定したのは奇妙な矛盾である。匿名性を求める彼がなぜ自己に特有の演奏を求め続けたかを考えることは彼の自己に対する意識についての理解を深めることだろう。

 ジム・エイキンのインタビューの中でグールドは過去になされた多くの演奏を通して一つの正道ともいえる中間的な伝統に近づくことを馬鹿げていると言明する。X、Y、Zの三人の演奏家による演奏から「私らしさをちょっと出すために」それぞれのやり方をミックスすれば「この三人の誰とも少しずつちがってくるし、だれがきいても新しいと感じられる」演奏が得られるなどという考えは非創造的であるというのだ43

 この意見がキットによる聴取を推奨していた人物と同じ人物の口から発せられたというのは驚きである。今回のケースが重要なのは、これが聴取に対してではなく、演奏という行為に対して語られているということである。このことはグールドが聴取行為にはさほど意識していなかった自身と自身のオリジナリティというものを演奏行為に対しては知らず重視していたことを露呈させる。聴取行為とは異なり身体の現実的な動きとそれに付随する意識を通して行われる演奏行為は、彼にとっても自己という存在を通し為される営みだったのだ。キットによる演奏が非創造的であるならば、創造的な演奏とはどのようなものだろう。彼の意見をさらに追っていくことにしよう。

 グールドは同じくエイキンのインタビューで、この様な他人の演奏方法に頼ることのない個性的なアプローチを身につける方法として、教える立場に立ったことがないためわからないといいながらも、自分の演奏の録音を聴き直し「自分自身を見つめることからのみ」得られるだろうと答える44。おそらくこの方法こそが彼が創造的に演奏する際に行われるアプローチなのだろう。

 彼のレコーディングのスタイルは、複数の解釈を一通り試した後にそれらのテイクを評価、選択するというものだった45。この評価し選択するというプロセスにおいて重視されたのがいかにその音楽自体の語りかけに応えられているかということであるならば、キットによる演奏を非創造的と退ける理由として充分である。グールドにとっての彼の演奏というものは、本当は、過去になされた演奏とまったく異なる演奏である必要はなく、音楽自体の要請に応えることであったのだ。

 しかし彼は不安であったために誰とも違う独自の――時にエキセントリックともいわれる――演奏を求めた。その彼の演奏に対する不安は彼の作曲の才能に対する不安を知ることによって理解することが出来る。レナード・バーンスタインの証言によればグールドは「作ったものがことごとく他人の作品に似ているので、本当に嫌がって」46いた。グールドは作曲家としての自身を個性的でないと思い込んでいた。過去の作曲家の手法を受け継ぎながらも自分の個性を打ち出すということが、彼が自分には出来ないと思い込んでいたことだったのだ。

 しかしこの作曲では出来なかったことが、演奏の分野では出来、そして彼自身も出来ると思っていたところがポイントである。彼の伝統を打破し彼独自の路線に突き進む演奏のスタイルの正体とは、彼の自己の喪失の不安だったのだ。自己の喪失の不安に身を焦がしながらも彼が演奏を続けたのは、その不安を打ち消しうる演奏をやめることにより本当に自己というものを失うことを恐れたためかもしれない。

 また彼は自己自身を強く音楽に投影し、自己と分かち難い特別のものとして捉えていた。第一章で確認したような、自己から切り離されそれ独自で存在するというような即物的な音楽観は、彼の本来のものではなかったのだ。

 彼は編集というテクノロジーを用い音楽を継ぎ接ぎすることのメリットを強調はしたが、実際のところ彼のレコードは他の演奏家に比べても継ぎ接ぎはむしろ少なく、まったく継ぎ接ぎをしていないものも少なくないという47。そればかりではなく、彼は「大抵の場合テイク1がもっともよい」とさえ言明している48

 編集済みのテープを確認する際にテンポの揺れに気付くと彼はその箇所で接ぎ合わせが行われたかどうかたずね、もしそこで接ぎ合わせが行われていたならばテンポに食い違いのでない別のテイクを探すよう決まって依頼するという。しかしもしそこに接ぎ合わせがなかったときは、彼はそのテンポの揺れに――一度は気になったにも関わらず――オーケーを出すのだ49。この例などは、彼が自分の演奏行為から招じたテンポの揺れは自然のものとして受け入れられた、自己の身体から出たものならば、明らかな間違いや不具合でないかぎり、彼がそれを自分の演奏として肯定できたことの証拠である。

 実際には自身の演奏する音楽と自己との結び付きを強く感じていながらも自己の表現を否定的に捉え不安を感じ続けていたグールド。しかし彼はその結び付きと不安を打ち消し、あくまでも自分は音楽にクールに対峙しているのだと思いたかったのだ。実に彼の演奏の真実とはあにはからんや自己の表明でありその音楽の鳴り響きは彼の身体そのものであったのだ。

 しかし演奏に打ち込んでいるときの彼には、そんなことなどどうでもよかった。彼の演奏においてもっとも守られるべきことは、音楽自体に導かれそれを実現させることの出来る、そして自身の身体と意識の両者により余すことなく音楽がコントロールされている状態、に到ること、音楽と自身の身体が出会うというその体験だったのである。そして彼はこの体験をエクスタシーと呼んだのである。

 思い出してみよう。グールドの演奏とは身体の作用として生じたものであった。彼は直感的に楽譜を読み取り、対位法的分析を行う。ピアノに対しても生まれながらといってもよい高度なテクニックをもって働きかけた。忘れてはいけない、これらはすべて彼の身体の作用であり、グールドの音楽とはすなわち彼自身に与えられた身体の賜物であった。

 しかしそのたぐいまれな恩恵を与える身体は半面彼に望みもしないものも与えた。彼が子どもの頃、自分の母親そして友人に対して激昂したとき「殺してやる」という言葉を口にさせ、実際に傷つけかねないという恐れを抱かせたのもまた彼の身体から発する気性だったのである50。この、身体によって生じた激しい感情が彼をしてその身体を否定させ、ことさらに抑圧させたことはなにより彼にとっての第一の不幸であった。

 しかしそうでありながら彼が自身の身体を通じ音楽を紡ぎ出すことを終生やめることはなかった。彼は五十歳になったらピアニストをやめ指揮者になると晩年くりかえし言っていたが、彼が五十歳をすぎてなお健在であったとしたらその言葉どおりにピアノを弾くことをやめていただろうか。これはただの推測にすぎないが、おそらく彼が生き存えたとしてもピアノ演奏をやめることは決してなかっただろう。

 彼がレコードとして残したいと願っていたベートーヴェンとハイドンのピアノソナタは、また愛して已まなかったバッハの「フーガの技法」は、まだ全曲の録音が済んではいない。しかし彼がピアノ演奏を捨てないだろうと推測する理由はこのためだけではない。

 自己を消し去りたいと望みそのための行動をとり続けた彼にとって最後に残された自己の証明が音楽であり、またそれこそが彼を支え続けたものであったのだ。彼が音楽に求めた機能としての癒しによって彼は済われ、身体性を追放しようとしたにも関わらず演奏という行為が彼の失われた身体と意識のバランスをよみがえらせた。

 彼にとってのピアノとは、無自覚ながらも自己及び身体を称揚し自己に立ち帰るための、音楽と自身の身体が出会うために不可欠のシステム――それはエクスタシーと呼ばれる――として存在するもう一つの彼自身だったのである。


第五章注釈

1 エドワード・ストリックランド「録音必需品」訳者不詳,「グレン・グールド」,『WAVE』第16号,1987年,140-141頁。

2 オットー・フリードリック『グレン・グールドの生涯』宮澤淳一訳(東京:リブロポート,1992年),86頁。

3 アンドルー・カズディン『グレン・グールド アット ワーク――創造の内幕』石井晋訳(東京:音楽之友社,1993年),131頁。

4 フリードリック,前掲,446頁。

5 アルフレッド・ベスター「おどけた天才――グレン・グールドのポートレート」小倉眞理訳,「グレン・グールド[改訂版]」,『WAVE』第37号,1993年,24頁。

6 ベスター,前掲,18頁。

 ティム・ペイジ「グレン・グールド、最後の数ヶ月」宮澤淳一訳,『WAVE』第37号,128頁。

7 カズディン,前掲,131頁。

8 フリードリック,前掲,106頁。

9 同前,36頁。

10 グールドと薬物の関係については、フリードリック,前掲,443頁。そして「第23章 錠剤」,映画『グレン・グールドをめぐる32章』;ニーヴ・フィッチマン製作 フランソワ・ジラール監督 フランソワ・ジラール,ドン・マッケラー脚本【;94分】(ソニー・ミュージックエンターテイメント SRLM 1102,LD,1993年,カナダ製作。1998年発売)。が詳しい。

11 フリードリック,前掲,42頁。

12 カズディン,前掲,207-210頁。

13 グレン・グールド,ジョン・マックルーア「コンサート・ドロップアウト――演奏芸術における感覚の拡張と発展について」三浦淳史試訳,『WAVE』第16号,129頁。

14 ジョナサン・コット『グレン・グールドとの対話』高島誠訳(東京:晶文社,1990年),45-50頁。

15 グールド,ジョン・マックルーア「コンサート・ドロップアウト」,前掲,127-128頁。

 コット,前掲,39-43頁。

 バーナード・アスベル「引退願望、作曲家への夢――グレン・グールド、二十九歳のインタヴュー」宮澤淳一訳,『WAVE』第37号,46-48頁。

16 ベスター,前掲,14頁。

17 フリードリック,前掲,149-151頁。

18 グレン・グールド「フーガの技法」野水瑞穂訳,ティム・ペイジ編『グレン・グールド著作集1――バッハからブーレーズへ』(東京:みすず書房,1990年)所収【,38頁】。

19 アスベル,前掲,46頁。

20 1963年から64年にかけて録音された、バッハ『インヴェンションとシンフォニア』。

21 グレン・グールド「ピアノについて一言」黒田恭一訳,『グレン・グールド大研究』〈大研究〉シリーズ2(東京:春秋社,1991年)所収【,135-137頁】。

 この文章は自社のピアノでのレコードにリバウンドが残されていることを問題視したスタインウェイ社によって、最大限の譲歩としてレコードにグールドによる断り書きを付してほしいと要請された結果書かれた。

22 ジェフリー・ペイザント『グレン・グールド――なぜコンサートを開かないか』木村英二訳(東京:音楽之友社,1981年),183頁。

23 アスベル,前掲,46-47頁。

24 同前,46頁。

 「パワー・ステアリング」とアクションの関係についてはデイヴィッド・ジョンソン, グレン・グールド「クラヴィーア・パルティータについて」角倉一朗訳,『グレン・グールド大研究』所収【,160-161頁】。も参照。

25 アスベル,前掲,46頁。

26 カズディン,前掲,238-239頁。

27 ジム・エイキン「グレン・グールド ピアノを語る」 木村博江訳,『WAVE』第37号,104-105頁。

28 エイキン,前掲,102-103頁。

29 グレン・グールド「音楽院卒業生に贈ることば」野水瑞穂訳,『グレン・グールド著作集1』所収【,18-19頁】。

30 カズディン,前掲,211-212頁。

31 同前,212頁。

32 フリードリック,前掲,105-106頁。

33 アスベル,前掲,34頁。

34 フリードリック,前掲,106頁。

35 ベスター,前掲,22頁。

36 フリードリック,前掲,83-88頁。

 ジャン・ジャック・ナティエ「唯一のグールド――グールドの思考における構造と非時間性」浅井香織訳,ギレーヌ・ゲルタン編『グレン・グールド 複数の肖像』(東京:立風書房,1991年)所収【,181-182頁】。も参照。

37 カズディン,前掲、312頁。第一章第三節も併せて参照。

38 フリードリック,前掲,433頁。

39 カズディンの著書『グレン・グールド アット ワーク』のサブタイトルは「想像の内幕」と訳されているが、原著でのそれは "Creative Lying" 、そのものずばり「創造的な嘘」である。

40 ジャック・ドゥリヨン「グレン・グールドとフランツ・リスト――究極のピアニスト」 浅井香織訳,『グレン・グールド 複数の肖像』所収【,46頁】。

41 コット,前掲,74頁。

42 渡辺裕『聴衆の誕生』(東京:春秋社,1989年),112-149頁。グールドに関しては特に同書の137-146頁を参照。

43 エイキン,前掲,108頁。

44 同前,108-109頁。

45 第一章参照。

46 フリードリック,前掲,248頁。

47 アスベル,前掲、38-39頁。

 同前,38頁。ではグールド自ら「私が繋ぎ合わせをすることはごくたまにしか」ないことを告白している。

48 ナティエ,前掲,182頁。

49 カズディン,前掲,71-72頁。

50 母親の事例は、カズディン,前掲,169-170頁。

 友人の事例は、フリードリック,前掲,45頁。


結論 グレン・グールドの音楽思想

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公開日:2000.08.19
最終更新日:2001.09.02
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