音楽に関する講義をするにあたり、最低限必要となるだろう共通の了解事項の確認をします。今回は、音の呼び方――音名と階名の整理をおこないます。
音名と階名はよく混同されがちですが、このふたつはまったく違った考え方に拠る、音の名付け方です。
一般によく知られているのは、音名のほうでしょう。音名というのは、音のそれぞれの高さに、固定的につけられた名前です。例えば、ピアノの真ん中のド(C,ハ)の音は、ハ長調では主音に、ヘ長調では属音にあたります。これをその調における音の関係に関わらず、常にド(C,ハ)と呼ぶとき、これは音名であるといえます。
音名の利点は、常に同じ名前が同じ音高を指し示すということです。ピアノの真ん中のドといえば、それは決まって同じ音であるということが出来ます。さらに厳密に音を指定したいときには、音名に数字や点をつけて、その高さ(オクターブ)を説明します。例えば、先ほどのピアノの真ん中のドは、日本語では「1点ハ」、ドイツ式では「c1」、アメリカ式では「C4」と呼びます。
日本では一般的に、音名にはドイツ式の呼び方あるいは英米式の呼び方を用います。主にクラシック系の音楽ではドイツ式で、ポピュラー系では英米式が使われています。この講義でもこの慣例にしたがって、音名はドイツ式音名で記すこととします。
国(言語)名 | ド | レ | ミ | ファ | ソ | ラ | シ | ド |
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日本 | ハ | ニ | ホ | ヘ | ト | イ | ロ | ハ |
ドイツ | C | D | E | F | G | A | H | C |
英米 | C | D | E | F | G | A | B | C |
イタリア | Do | Re | Mi | Fa | Sol | La | Si | Do |
国名 | ↓中央ハ | ||||||||
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日本 | は-ろ | ハ-ロ | |||||||
下2点 | 下1点 | ひらがな | カタカナ | 1点 | 2点 | 3点 | 4点 | 5点 | |
ドイツ | C2-H2 | C1-H1 | C-H | c-h | c1-h1 | c2-h2 | c3-h3 | c4-h4 | c5 |
イギリス | CCC-BBB | CC-BB | C-B | c-b | c'-b' | c''-b'' | c'''-b''' | c''''-b'''' | c''''' |
アメリカ | C0-B0 | C1-B1 | C2-B2 | C3-B3 | C4-B4 | C5-B5 | C6-B6 | C7-B7 | C8 |
階名は、一般に移動ドという呼び方がされることが多いようです。その呼び方が示すように、ドの示す音高が固定的に定まっているのではなく、調が変わるごとにドの位置が移動します。
この移動は気まぐれにおこなわれるのではなくて、その調が持つ機能にしたがうものです。さきほどと同じ例えで説明しますと、ハ長調においてのドはCの音です。へ長調では、ドはFになるでしょう。つまりは、階名とは調の機能に付けられた名前なのです。長調における主音は常にドで、短調の主音はラになります。同様に、長調における属音はソ、短調ではミになります。
階名が便利なのは、その音階における音の機能がはっきりと明確になることです。私たちがドレミファソラシドと歌うとき、それぞれの音は固有の機能を担っています。例をあげますと、ソ(属音)やシ(導音)は、ド(主音)に向かい安定しようとする方向性を持っているのです。
一概には言えないことですが、この機能性を明確にするという階名のほうが、音の持つ個性や意味合いを表しやすく、特に絶対音感(固定ド)を持たない人には、音をとるうえでかなりの力となってくれるでしょう。ですが、転調がおこなわれると主音が変わってしまうので、ドの位置も伴って変化し、ややこしく感じられるのも事実です。
日本では、階名としてイタリア式のドレミが使われることが多いです。この講義でも、階名はドレミで表すことにします。
第I音 | 第II音 | 第III音 | 第IV音 | 第V音 | 第VI音 | 第VII音 | 第I音 | |
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長調 | ド | レ | ミ | ファ | ソ | ラ | シ | ド |
短調(和声的短音階) | ラ | シ | ド | レ | ミ | ファ | ソ# | ラ |
音階構成音の名称 | 主音 | 上主音 | 中音 | 下属音 | 属音 | 下中音 | 導音 | 主音 |
音楽のイロハはドレミということも出来るかと思いますが、困ったことにドレミを日本の音名で表すとイロハではなく、ハニホになってしまいます。そもそも英米独の音名にしても、Aから始まらずCから始まるというのはなぜなのでしょうか。
これは中世にまでさかのぼります。中世のヨーロッパでは、古代ギリシアの理論をもって規範にすることがたびたびでした。これは音楽においても同様です。音階の理論を立てるにあたっても、古代ギリシアの理論が用いられました。その理論における最低音が問題の焦点になります。
中世ヨーロッパの音楽理論家は、この最低音にAの名前を付けました。これは、中央のCより10度低いA(い)にあたります。現在ではこれより低い音も普通に使いますが、実際に当時歌われていた音楽のほとんどすべてが、最低音としてこのAより低い音を用いることはなかったといいます。
この最低音Aを基準として、ABC...と音の名前が決まっていきました。さてしかし、音階の最低音がAであったことが分かっただけでは不充分です。なぜ音階がCを基準に考えるようになったかは、当時の音階組織とその後の歴史について知ることが必要です。
中世の音階は、旋法と呼ばれる、今のものとは少し違うものでした。当初八つあったそれらは後に十二に増え、さらにそれらが統廃合されるかたちで現在の長調と短調の二種の音階に落ち着きます。
現在では、長調が主たる調(major)として考えらるようになっています。これがたまたまCを主音として成立する音階であり、また現在の理論がこの長調を基準に打ち立てられたものである以上、基準となる音もCとなったのでしょう。ハニホという日本の音名は、ヨーロッパのCDEをイロハに置き換えたものです。こんなわけで、音楽のイロハは、ハから始まることとなったのです。
残念ながら、こういった問題に、明確な答えはないというのが現状です。ただいえることというのが、中世における理論家たちが定めた最低音が「A」であったこと、その後、旋法が整理され長調と短調に収斂していった際、「C」を主音とする長調が理論の中心的な存在となったこと。これだけです。
ここで勘違いしてはいけないのが、最低音をAと定めた理論と、長短調に基づく理論は、異なる考えの上に成り立った別物であるということです。にもかかわらず後者は、より古い前者の名残りを受け継いでいます。ここにややこしさが生じているのです。
まとめてみましょう。音名を決めた時代において、はじまりの音(最低音)は「A」と名付けられました。その後、音楽に対する考え方が変わり、「C」を主な音とする長調を中心とする理論が成立しました。ですが後者は、「C」を「A」に変えるというようなことはせず、古い理論に基づく音名を、そのまま使い続けています。
その、より新しい理論は、今わたしたちが使っている理論とほぼ同じものです。なので、音名のはじまりは今も「C」からです。長調の主音が「C」になったのには、また別の理由がありますが、単純になぜはじまりの音が「C」なのかという問いに対しては、偶然あるいはめぐりあわせの妙としか答えられないのが現状なのです。
ドレミの名前を付けたのは、グイード・ダレッツォ(Guido d'Arezzo)という、十一世紀の音楽理論家であることが分かっています。彼の名を歴史に留めるのは、現在のものの基となる記譜法の開発と、このドレミ唱法(ソルミゼーション)を考え出した功績です。
当時音楽理論で用いられていた音列は、ヘクサコルドと呼ばれる6音音列でした。六つの音のうち、三番目と四番目の音の間が半音、残りの音は全音で進行するという特徴を持っています。
グイードは、このヘクサコルドの音程関係を正しく理解し、歌いやすくするための手段として、それぞれの音に名前を付けました。名前のもととなったのは、聖ヨハネの賛歌でした。この賛歌は、ちょうど『ドレミの歌』のように、フレーズの最初の音がドレミの順に現れるのです。グイードは、ちょうどそのフレーズの最初の音に付された歌詞のシラブルを引用して、ut, re, mi, fa, sol, laと音名を決めたのです。
賛歌『僕たちが貴方の御業の素晴らしさを響かせることができるように Ut queant laxis』
Ut queant laxis, Resonare fibris, Mira gestorum, Famuli tuorum, Solve polluti, Labii reatum, Sancte Johannes.
『ニューグローヴ世界音楽大事典』(講談社,1993-1995年),「グイード・ダレッツォ」の項,第5巻,447-449頁。
グイードの決めたドレミは、このヘクサコルドを理解し歌うのに非常に適したものでした。なぜなら、唯一ある半音がミとファの間に必ず位置するからです。ヘクサコルドはどの音からでもはじめることが出来ましたが、この性質のおかげで、半音の場所に迷うことなく歌えたのです。現在でも、ミとファの間は半音になっていますね。
ただ、困ったことにグイードの決めた音名には、シがありません。シは十六世紀以降、十七世紀頃に成立したという話ですが、残念ながら確固たる証拠はないようです。なので、いつもシには悩まされます。
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