先週、表板をチューナーの縁でこすって傷をつけたといって落ち込んだところだというのに、今日は今日で側板を籠でこすって擦過傷を作ってしまった。うう、駄目だ、だんだん扱いがぞんざいになってきているではないか。なにがいかんといっても、ものを大切にしないのが一番いかん。それも、自分の声のかわりというべき楽器に対する扱いがぞんざいというのは、音楽をする人間にあるまじきことだ。といっても、先週のことがあったからか、今回の傷ではそれほどのショックは受けてはいない。
中古の楽器の状態を表す用語がある。最上はミント、新品同等であることを示し、これにニア・ミント、エクセレント、ベリーグッドと続く。ミント、ニア・ミントはいうに及ばず、ベリーグッドくらいなら美品といっていいだろう。そしてこれらの下にプレイヤーというのがある。
プレイヤー――、実際に使用されていたことがわかるような傷みがある楽器のことである。打痕や大小の傷もあれば、ピックによる傷――ピックスクラッチなども往々に認められる。裏板を見ればバックル痕もあるかも知れない。こういう楽器はやはりそれなりに値が下がるが、ほとんど弾かれていない楽器とは異なり、ものすごくなることも多い。コレクション目的で楽器を買うのなら別だが、実際に使用するというのなら、プレイヤーコンディションで手を打つというのもありだろう。
私は、楽器はできれば綺麗に使いたいと思っている。けれどそれは、大事に大事にしすぎるばっかりに、弾かないというようなものじゃない。きっちりしっかり弾いて、必要とあらばボディヒッティングも辞さない。それくらいのつもりでいて、けれど不用意な傷をつけるのはいやだ。そういう風に考えている。
けれどそうは思いながらも、私はどこか及び腰だったのかも知れない。というのはだな、傷をつけて、もういいやと思いはじめてから、さらに鳴りがよくなったような気がするからだ。別に乱暴に弾くようになったわけでもなければ、以前はそうっとそうっと壊れ物を扱うみたいにしていたわけでもない。なのに鳴りが違って感じられるというのは、ひとえに私と楽器の距離が縮まったからかも知れない。
楽器というのは変なもんでな、心がけひとつでえらい違いが出てくるもんなんだよ。お客様扱いしているうちは駄目で、完全な身内としてやってはじめて真価が現れるのが楽器だ。だから、私はふたつのきずにはショックを受けながらも、その距離が近くなったということに喜んでいる。いずれ十年二十年と弾いていけば、きっとその年数分傷んでいることだろうが、だがそれだけ両者の分かつ隔たりは小さくなっているはずだ。
だから、私はプレイヤーコンディションを目指す。他人から見ればぼろのギターであっても、自分には最高のギターとなるよう、楽器と人が重なり合うまで精進してみようと決めた。
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