弦は早めに替えるといったのは6月のことだが、この度またまた古い弦で弾こうというキャンペーンを実施中。それもこれも、夏の異常な暑さがおさまってきて、ギターの響きも落ち着いてきたように思ったからだ。けれど理由はそれだけではなく、ちょっとした確認をしたいと思っての試みでもある。
実は、以前の古い弦に関する記事をご覧になった方から、いくつかアドバイスを貰っていたのだった。弦が古びると急に音質が落ちるように思えるのは、ギター自体の鳴りが乏しいからではないかというのがその主旨で、私の使っているギターの裏板側板が合板のためではないかとのことだった。合板は複数枚の板を張り合わせたものであるが、その板と板の間に存在する接着剤の層が音質に影響するとはよく聞く話である。いわば吸音材のように働くとか、そんなことを聞いたことがある。
私がよいギターを欲しいと思ったのは、こうしたアドバイスもあってのことであったのだが、しかしそのギターはいまだ手元には届いていない(多分、塗装工程に入ったくらいなんじゃないかな)。なので依然合板のギターを弾いているのだが、そのギターの鳴りをどうにか工夫して弾き出すことができれば、古い弦でも無理なく弾けるかも知れないと、ある日突然思った。
ギターの鳴りを弾き出せるかも知れないと思ったのは、普段弾いているギターの音が、とりわけ響いて聴こえる日があったからだ。そういう日は、無理なく音が延びて、部屋に響きがいきわたるような気がする。もちろんこんな風に感じられる日は多くないのだが、果たしてそれは気候のためか体調のせいか。いずれにせよ、合板の鳴りの悪い楽器かも知れないAD-35の底まで私は弾ききれていないことを実感した。
まだまだ、この楽器も鳴るのだよ。
楽器の鳴りは、力で引き出せるはないのだと、私は百も承知していたつもりである。だがギターにしても同じこの理屈を実践するにはいたっていなかった。おそらく音量を求めて、響きを豊かにすることを私は忘れてしまっていたのだろう。指先の感覚を鋭敏に、弦を弾く瞬間に神経を研ぎ澄ますつもりでいると、確かに音は変わっていくんだから不思議だ。
こうした、ただちょっとの心がけで音は変わるのだから、楽器というのは奥が深く、簡単にこの楽器はいい、駄目だとはいえないと私は思う。この楽器は駄目だというなら、少なくともその楽器のキャパシティいっぱいまで弾いてからにしたいじゃないか。少なくとも、新しい楽器に心を移してしまって今の楽器には気もそぞろ、という事態は避けたいね。
さて、同じ弦で3週間を経過して、以前ならもう我慢できずに交換してしまっている頃だろう。だが今では、まだまだいけそうだと思えるようになってきた。
ウォーミングアップをちゃんとするのが肝心だ。一晩置いて休んでしまった楽器はまた鳴りが悪くなっているが、丁寧に響きを気にしながら弾き出してやると、ちょっとずつ鳴りが戻ってくる。30分、1時間と弾いてやれば、結構鳴るようになるものだよ。
3週間目の弦は確かに固く弾きにくい。しかしその固くなった弦を力で弾こうとすると駄目で、むしろ弦の可能性の中で響きが広がるよう、指先でうまく掴むよう意識して弾いたほうがよい結果を得られるようだ。もちろん弦の鳴りをうまくボディに伝えてやれるに越したことはなく、こういうことを意識してはじめてギターを弾くということなのではないかと思うようになった。
おそらく新楽器は来月にでもできあがるだろう。それまで、それまで少しでもこの楽器の鳴りを弾き出したいなとちょっと欲張ってみる。この楽器にとってもいいことだろうし、得られるものは次の楽器にも、また別の楽器にもいかせるだろう。