ギターにおけるSense of Wonder

 ちょっとだけ、こないだの続き。

 このところギターに関して思うところがなくなってきて、いやもちろんまったくなくなったわけではないのだが、こうして文章にできるほどのものではなくなってきたとでもいったらいいだろうか。いつも練習の中で、今日は荒れているだとか、次はどのように弾こうだとか、そういうことは常に考えていて、だがそれは発見ではないというか、あえて口に出すようなことではないと思うのだ。

これがギター練習日記だったら多分違った

 もしこのサイトがギター練習日記だったら多分状況は違ったと思う。毎日の変化を淡々と、それこそ定点観測するみたいに書いていったらいいわけで、けれどそれがだんだん書くことなくなってくるんだな。私は、ギターの変化について一ヶ月毎の定点観測をおこなっているが、正直なところ、もう書くことがない。それこそ、小学校とかでは日記を書かせたりするが、あの決まり文句、昨日と同じ、ってやつを使いたくなってしまうのだ。

センス・オブ・ワンダーの精神

 だが、本当はこれではいけないのだと思う。世界というのは、まったく同じに見えて同じということがないもので、それは日常の暮らしにおいてもそうだし、ギターに関しても同じだろう。だとしたら、きっとなにかしらの発見はあってしかるべきで、その本来なら見つけられてしかるべきなにかを見過ごしにしてしまっているのはいったい誰なのだろう。

 ちょっとしたことに気付き、その変化に、あたかもはじめてギターを弾いたときのように感動できる精神があったら、きっとギターの演奏は変わってくる。だから、ちょっと反省した。


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公開日:2005.11.05
最終更新日:2005.11.05
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