キー排列をDvorakに変更して数日が経ちました。キーの並びを覚えるのは想像以上に速く、この調子だとそう遠くないうちに自然なタイプ速度を取り戻せそうだぞと思ったのですが、いやはやそんなに甘くはないですね。タッチタイプはできるようになったけれど、というか私の今使ってるキーボードは無刻印だから、とにかく指に覚えさせないことには始まらないのですが、けど覚えるということと使えるというのには大きな開きがあるのだと、今さらながら噛みしめる思いでいます。とっさにQWERTYの癖が出るんですよ。慣れて親しんできたというのは本当に馬鹿にできないもので、染みついた癖からはなかなか自由になれるものではないのですね。気分はもはやリハビリで、私はわりとこうした苦行をいとわないところがありますが、それにしてもつらすぎます。打ち始めの頃は調子よく打てるのですが、直に疲れてくれば打鍵速度は落ち、ミスタイプも増えてきます。つらい。冗談でなくつらい。けれど、このつらさの向こうに明るい明日があるのだと信じて、あきらめず歩みを進めたいと思います。
というか、今やめるのもまたできないのですよ。今日、試みにちょっとQWERTYに戻して打ってみたのですが、Dvorakが混ざるのです。ああ、なんてことでしょう。こうなりゃもう進むほかないじゃんか。そんな具合に、少しばかりやけっぱちな気分でもあるのです。
こないだ私は、QWERTYというのは、タイプライターの打刻する棒が絡まらないよう、あえて打ちにくくなるよう工夫された排列だなんていってましたが、調べてみると、どうもこれ嘘らしいですね。それも都市伝説や噂といったような、一種素朴な、自然発生した説ではなくて、デマゴギーやプロパガンダとでもいえそうな、いや私もはっきりしたことを知っているわけではないので、そういってしまうのもまた危険なのですが、シェア争いであるとか寡占とか、そういう用語飛び交うような場において流布された話であるみたいなんです。
今でいえば、マックです、パソコンです、みたいな感じだったんでしょうか。
実は、私は仕事でタイプライターを使ってたことがあったのですよ。まさしく英文タイプってやつで、キーの機構を少しでも簡単にしようとして、数字の0と1がオミットされてたりしましてね、アルファベットのOとlでそれぞれ代用するんですよ。最初はちょっとカルチャーショック受けまして、けれどずっと以前に読んだ、コンピュータでは数字の1とアルファベットのlは区別されますなんていう注意書きの意味がわかったりして、ほんと、貴重な体験であったと思います。
さて、タイプライターですが、これ結構キーが重くてですね、速くタイプするにはそもそも向かないものなんですよ。最近、Dvorakがらみで読んだタイプライター史には、全指を用いたタイプの優位が証明されたうんぬんいうコンテストの結果なんてのが紹介されていて、これ、にわかには信じがたいですね。だって、私はその全指タイプに挑戦して敗れ去ってるんですよ。タイプライターの重いキーは、しっかりと底までタイプされないと、バーが踊ってしまい、同じ字がみっつよっつと連続して打たれてしまうんです。人差し指中指なら問題なく打てますが、正直薬指小指といった弱い指では無理だと感じて、だから私は四本の指でタイプしていたのです。ところが、全指を使っていた人間がいて、しかもそれがメソッドとして確立されていたのですか。指の力が違うのか、それともタイプライターの構造が違ったのか、いずれにしても驚かされる逸話です。
上記のように両人差し指中指でタイピングしていた私ですが、それで実際のところ、速度はどうだったのでしょう。ええ、速かったですよ。指四本で跳ねるようにして打っていたんですが、気を抜くとタイプライターの許容する速度を上回ってしまい、バーをからませてしまうほどには打てていました。そんな具合ですから、わざと打鍵が遅くなるよう工夫したといっても焼け石に水じゃないかと思っていて、けどそれがとんだ誤解だったとはね! QWERTYはQWERTYで効率を考えてたんだなあ。そりゃ慣れれば容易に限界に達するわけだと、改めて思い違いを正す思いでした。
こんな具合に、QWERTYの濡れ衣は晴れたわけですが、けど私は数パーセントの優位と、疲労軽減の可能性を求めて、なお精進したいと思います。目標は、Dvorak切り替え以前の速度に達し、そして越えること、それもより楽に、負担を軽減しつつ。というわけで、頑張りますよ。
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