ああ、私はやっぱりワインが好きだ。
夏ぐらいからだと思うんだが、私は意識的に酒を断っていて、夕食後にギターの練習をするから、酒がはいっているとまずいんだ。多分、普通の真当な音楽家だったら、酒がはいっていても大丈夫なんだと思うんだけど、私はそのへん上等にはできてないから、酒がはいると駄目。チューニングができなくなってしまうのだな。チューニングのできてないギターは、楽器とはいえない。当然練習になんかならなくって、こんな風にその後の行動に影響の出てしまう酒は、私には禁忌なのであった。だから酒はほとんど飲んでない。うちで飲んだのは、もう何ヶ月ぶりになるだろう。
いや、なんというか、今日は大晦日だからか、飲まされてしまいましてね、最初は日本酒しかなかったからそれほど飲む気ではなかったんだけど、そこへワインが出てきた。ワインといってもボージョレ・ヌーヴォだからさしてすごいってもんでもないけど、久しぶりのワインは利きました。いやあ、やっぱりワインはおいしいわ。今年、2004年ははちみつみたいな甘さがあって、多分当たり年ですね。後からきっと、この年のワインはいいといわれるようになると思います。
ワインにはチーズがつきもので、しかも悪いことにチーズがあったりして、えーと、ほら北海道に行ったときにふらのチーズ工房に寄ってたから、お土産のチーズがまんま手付かずで残っていた。メゾン・ド・ピエールとセピア、どちらも白カビ系のチーズで、セピアにはイカ墨が練り込まれていて、独特の風味があっておいしい。おいしいということは、つまりワインが進むということで、現時点で私はかなり酔ってしまっていると、そういうわけだ。
酔うと、眠くなるんですね。日々、睡眠五時間の日常を送っているもんだから、ちょっと気が抜けると眠くなってしまう。ああ、今日中に出したいメールもあったというのに、でも多分眠たいから続きを書かずに寝ちゃうんだろうなあ。――だから酒は駄目なんだよ。
私の通っていた幼稚園は女子高と同じ敷地にあって、講堂を共有していた。いや、女子高のものを幼稚園が使わせてもらってたんだと思う。講堂入り口付近にはカップベンダーの自動販売機があって、右側はコーヒーの自販機(多分ネスカフェ)、左側は清涼飲料を売っていた。清涼飲料の自販機に大きくカナダドライのロゴがあったのを覚えている。独特の色の地図をあしらったマークが無闇に高級なものに見えた。幼稚園児だものだからジンジャーといっても生姜とはわからず、謎の飲み物ジンジャーエールはとてつもなく特別の飲み物に思えて、ちょっと憧れだった。だって大人に聞いても誰も知らず、友達ん家にいってもファンタやサイダーがあるくらいで(そういえばプラッシーもあった)、ジンジャーエールを置いている家なんかなかった。
ジンジャーエールをはじめて飲んだのは、大学に入ってからのコンパでじゃないかな。下回生の頃はソフトドリンクを飲むなんてことは許されていなかったから、三年に上がって以降だと思う。他の飲み物に比べて格段においしいとは思わなかったけれども、なんとなく普通に飲むようになってしまった。憧れなんてものはもうないけれども、飲み屋でのソフトドリンクといえばジンジャーエールを定番にしている。
このところアルコールがめっきり駄目になってしまったので、禁酒法時代の故事をなぞるではないけれども、ジンジャーエール。最初こそビールでも、次はジンジャーエール。無理に飲まされないことが分かっていれば、最初っからジンジャーエール。でも他の飲み物を押しのけるほど好きというわけでもないんだ。じゃあなぜジンジャーエールなのかといえば、映画『12人の優しい日本人』の落ちが関わってたりして、内容を話すと見てない人に悪いからこれから先は内緒です。
うちには普通あまり置いてないのだが、なんでかこのところ普通のインスタント味噌汁(つまり自然食のではないということ)があって、しかもよりによって納豆汁があった。ああ、誤解してくださるな。私は納豆が好きなんだよ。ほら以前にもほし納豆が好きだといっていた。当然、納豆汁も好きなのだ。
一袋には三食分、各小袋にはみそと実が入ってる。実というのは納豆とねぎで、納豆はいい感じに乾燥納豆になってる。これだけ売られてるなら買うかも知れない。一応旭松食品からはおつまみ納豆というのがでていて、これは納豆のフリーズドライなんだけれども、ちょっとさくさくしすぎていて好みには合わなかった。味噌汁の実に入ってる納豆は、ちょうどいい感じに思ったので、よければちょっと出してみてください。
さて納豆汁。実を入れてみそを入れてお湯を注いでできあがりなのだが、これだと納豆がちょっと乾燥気味で食感がよくないので、ちょっと待つのがいい感じ。普通に納豆汁を作る場合は、結構納豆を煮込むわけだからかたちがなくなるくらいまで柔らかくなっていて、そういうのが私は好きだ。だからちょっと待ってから食べる。おいしい。インスタントだけど結構悪くないぞ。追加で買ってこようかな。
夏になればいろいろアイスクリームの類いが出てきて、いろいろ試してみたりもするんだが、どうしてもアイスもなかに落ち着いてしまう。カップアイスは食べ歩きには向かないし、棒付きのもなんでか敬遠してしまう。それで大抵はアイスもなか。いったいアイスもなかのどこが気に入ってるんだろう。
今年に入ってから気付いたことなんだけど、アイスもなかは買ってすぐ食べると、もなかがさくさくしておいしい。日中を歩いて帰ると、アイスクリームが溶けるからか結露のせいなのか、もなかがふんにゃり湿ってしまってちょっと食感が落ちる。けれど、これが自分にとってのアイスもなかの慣れた食感だ(慣れてるからといって、好きといってるわけでないので注意)。
アイスもなかにもいろいろあって、真空パックでぱりぱり感を売りにしているのとか、もなかだけじゃなくチョコレートコーティングのぱりぱりを加えたものも。最近の自分の好みはどうも、チョコレートにさくさくしたクランチ(というのかな)がまぶして(?)あるもので、このクランチの食感がいいのだ。商店街には二割引とか三割引でアイスクリームを売っている店があって、経済に余裕があるときにはもなかを買って食べながら帰る。本当にささやかな楽しみなんだが、最近守銭奴レベルが高まってしまったために、なかなか食べる機会をもてなくなってしまって残念だ。
そういえば、学生時代はハーゲンダッツの食べ歩きをしていたような気がするなあ。時代は変わったのです。
発掘!あるある大事典で酢が特集されているのを見て、毎夕食後に酢を飲むようになったのだが、別にこれはヤセようと思ってのことではない。当たり前だ。これ以上痩せた日には命に関わりかねない。酢を飲んでいるのは、背にはびこる凝りの解消を期待してのことなのだ。
酢の効用についてはあるあるのサイトで確認していただくとして、私は実に肩凝りなんかがひどくて、そのせいかいつも体調が悪い。なので、酢の血流を改善する効能に期待しているというわけである。肩凝りにしても体のかたさにしても、これはもう生まれついての体質だからしかたがないとして、けど少しでもましにしたいというのが人情というものではありませんか。なので酢を飲んでいる。けなげだなあ。実にいじらしい。
飲んでるのは、玄米の黒酢。ちゃんとした醸造ものを飲んでいる。これは別に食通ぶってるとかじゃなくて、単なる自然食志向だからして、今日まで大病せずなんとかやってこれてるのは、こうした食への気配りのおかげかななどと、この辺は親に感謝しておかないといけない。
ともあれ、効果が出てくれるといいなあ。
もとよりこの番組は好きだったけれど、今やってるのはとりわけお気に入りだ。何故か? それは単純な話、今やっているシリーズが「イタリア・スロベニア・クロアチア編」だから。そう、イタリア。我が心がいまだ彷徨う地、イタリアを特集しているからなのですよ。
思い起こせば、イタリアの旅前半は列車の旅でもあったのだ。イタリアはマルペンサ空港に降り立った当日、列車にてミラノにつけば、そこはもう魅惑の地。モダンな駅前の装飾が不思議と石造りの古風な町並みに調和していて、イタリアのセンスが懐の深さに驚く。ミラノからヴェネツィアに向かう時も列車だった。古い機関車、六人定員のコンパートメントに相席で乗り込み、もちろん乗り合いの相手は言葉も通じない外国人。なのに話せば通じるものがあって、列車の旅は楽しかった。車窓に通りすぎていく風景は観光地ではないイタリアで、それもまた魅力であった。地のものと、あるいは同じく旅のものと行き合う場として、列車は非常に魅力的な旅の手段と知った。
駅が素晴らしい。利用した駅といえばマルペンサとミラノ中央、ヴェネツィア・サンタ・ルチア駅、フィレンツェではサンタ・マリア・ノヴェッラ(中央)駅くらい。どの駅もそれぞれが個性的な顔をして、時代の積み重ねと今現在のイタリアの活気が混ざり合っている。そのただ中に立ちすくんで興奮した。もう二年も前のことだというのに、目をつむれば石の巨大な建造物、かまぼこ型したエントランス、居並ぶ店店、カフェ、行き交う客、大階段、奥まったところにスーツケースの預かりがあって見付けにくかった。ローマ・テルミニ駅で時間ぎりぎりのプラットホームを走り抜けたことも懐かしい。ああした空気を感じられる駅は、もう日本にはないのではないか。東京駅くらいか、いや東京駅ももう駄目だろう。がらんとした巨大な空間にアーチ型の屋根がかかり、列車が乗客なぞ関係なしに発着するがような光景。日本では出会えない景色だから素晴らしいと感じたのではない。そういうわけではなかったと私は思いたい。
ふとしたことでよみがえるイタリアの記憶。今しばらくは、世界の車窓から目が離せない。
たんぽぽのコーヒーと聞いて、レイ・ブラッドベリを思い出す。いや、それ違うし。ブラッドベリのは『たんぽぽのお酒』、私のいっているのはたんぽぽのコーヒー。飲み物であります。
普通にたんぽぽコーヒーというと、粉末のインスタント・コーヒー風のものが思い出される。私も以前飲んでいたのはそうしたもので、ちょっと甘味を加えてあるものが子供時分日常の飲み物だった。広口の瓶からティースプーンでさくさくと、カップに移しお湯を注ぐ。独特の香り、風味。けれどまずくはなく、子供にはコーヒーよりも飲みやすくてよかったのだ。ホッティーといって、今でも売っている。興味のある向きには、お勧めの飲み物だ。
その後、甘味の加わっていないものが登場。これは濃いめに作るとえぐみがでるので、薄目に作るのがいい。粉はホッティーよりも細かく、また一味違う風がある。飲んだ感じはコーヒーという感じじゃないが、コーヒーの代用と思わなければ充分だ。
今うちにあるのはティーバッグに入ったもので、これもまた一風違って、独特の味わいがある。コーヒーという感じはなおさらせず、薬草茶のような感じがする。けれど、日常に薬草茶を飲まされる家庭に育ったせいで、別に問題なく飲める。マグカップに一包いれてお湯を入れてしばらくすればできあがり。ちょっと出過ぎると煎じ薬みたくなるが、それもまた味だ。気に入っておいしく飲んでいる。
そういえば、エスパー魔美にたんぽぽコーヒーが出てきたっけ。もう一度見てみたいなあ。
今年に入ってから、なんでかCOMIC CITY in大阪に皆勤賞だったりして、いったいそんなにおたく向け(失礼)イベントに詣でてなにをしているのかといえば、ぶらぶらとグッズ系サークルを物色して、残り時間で適当に他のジャンルも回ってみたりして、そんななんだか無目的的な回遊をして楽しんでおります。
さて、グッズ系サークルを回っていたとき、パンダの携帯ストラップを売っているスペースを見付けたのだった。携帯ストラップだからたいした大きさでなくて、けれどパンダはよくできている。なんだか欲しくなってしまった。携帯も持っていないのに携帯ストラップなんて買ってどうしようというのか。しばし葛藤するも、それでも買ってしまったのだな。だって、欲しかったんだもの。
そういえば、自室の電灯の紐の先が駄目になっていたっけ。和室用の電灯の、ほら電気をつけたり消したりする紐スイッチの先の飾り。それがぼろぼろになってしまっていたのを思い出した。あれをパンダのストラップに付け替えるといいんじゃないかと思って試してみた。
これが実にいい感じ。
和風の電灯に、ちょっと中国風のパンダ紐がぶら下がっているのは、不思議なミスマッチで悪くない。自室に付けたのは、パンダにティーポットがあしらわれたものだったのだが、これがあまりによかったから、こないだの母の日、別のパンダストラップを応接間の電灯に付けてしまった。
そんなわけで、今私のうちでは、パンダの携帯ストラップが増殖中。まさかこの歳にしてパンダにはまるとは思いもよりませんでしたよ。
先達て思いがけず伯父のうちに親類一同が集まる機会があったのだが、その時、おつまみの盆にチーズ鱈があったんだね。実はこのチーズ鱈というのが好きで、子供の頃から出てくれば、片っ端から食べてた。もちろん、今回の席でも片っ端から食べた。なんでか、好きなんだ。
いったい鱈のシートでチーズを挟もうなんて発想がどこから出たのか、ともかくもこれは偉大な発見である。チーズが本来淡泊な鱈と一緒になって、妙に濃厚さが強調された味わいが得られる。これが病みつきになるんだな。一本一本食べるんじゃなくて、わしっとつかんで食べたい。だからすぐ無くなってしまうのが悩みの種なのだ。
けれど、チーズ鱈がうちにあったためしは無いのだ。だから人のうちにいったときにだけ食べられる、一種特別な食べ物だった。この数年チーズ鱈からは遠ざかっていて、先日不意に思い出してしまったものだから、珍しく自分で徳用チーズ鱈を買ってしまった。いいなあ。けれど、頻繁に食べるもんじゃないと思う。
なんだか思いがけず、このところ葛湯が気に入って、商店街のお菓子屋によっては一袋百円しない小袋を買って帰ってしまうのだ。袋の葛粉を湯飲みにあけて、熱湯を注ぐととろりと甘い葛湯ができる。本当は本葛を使ってゆっくり小鍋で作るのがおいしいのだが、手軽さを求めてしまうようになったんだろう。子供の頃は、鍋を何分もかけてかきまわしながら作っていたっけ。駄目になったと思う時だ。
ともあれ、百円の葛湯も結構おいしい。プレーン(とはいわないか)と抹茶、小豆、生姜があって、生姜あたりが悪くない。けれど小豆も結構おいしくて気に入って、けれど選べないのが私の常だから、いつも一揃い四包買う。帰ってテーブルに置いておいて、思いついたときにストーブに沸かしておいた湯で簡単にでき上がる。この簡単さが嬉しい。
ただ私にはちょっと甘すぎる嫌いがあって、だからマグカップくらいに八分目のお湯で作る。たくさんできて、甘さもほどよくなってよいのだけれども、葛のぽってりしたくらいのとろみがなくなってしゃぱしゃぱした感じが出るのがちょっと好かない。でも贅沢はいわない。ほんとに自分向けのを食べたいんならさ、小鍋をかき混ぜればいいんだから。