小野文惠はNHKのアナウンサー。「ためしてガッテン」や「鶴瓶の家族に乾杯」(これって、特番だったのね)に出演されていて、さっぱりとした雰囲気、しっかりとしてそうで、けれど冗談みたいなことも堂々やってのける度胸のよさは本当に見事なもの。お嫁さんにしたい女性アナウンサーNo.1
との評もあながち嘘ではないぞと、私なんかはこの人のことが好きですから、本当にそう思っています。
だいたい、そもそもだいぶ前からそういう予感はしていたんですよね。私はちょっと少年っぽいというか、女臭さの立たない人が好きなもんですから、この人のことを気に入ってはいたんです。NHKのアナウンサーだからか、きゃあきゃあと浮ついたようなところもないし、けれどだからといってかたい一方というわけでもないし、いい感じじゃんかと思っていたところへ「家族に乾杯」ですよ。旅先の土地を紹介する際に、思いもかけないコスプレをして、しかもそれが色物寄りときたもんだ。でも、負けてないんですよね。おかしなことをやりながらも、芯のところで堂々としてるから、見ていて気持ちがいい。ああ、この人はいいなあ。そう思ったら、もう好きだといってるのと同じじゃありませんか。
つうわけで、私はそもそもNHKのアナウンサーは好きなのですが、なにしろ子供のころのお気に入りが山川静夫アナウンサーだったとか鈴木健二アナウンサーだったとかそんなでしたから、中川緑さんや道傅愛子さん、有働由美子さんや松平定知氏、山根基世さんが好きだというのもまあなんの不思議もない話なんじゃないかなと。なら、小野文惠さんならなおさらです。
長月みそかは漫画を描く人。私はこの人のことを知らないうちに知っていて、気にはなりながらも、手をこまぬいて遠巻きに見るばかりでした。私がこの人のことをはっきりと意識して捉えるようになったのは、自分の購読していた四コマ漫画誌に連載がはじまってから。あまりに雰囲気がよいものだから、既刊はないんだろうかと思っていろいろ検索して調べてみて、そうしたら最初の単行本が見つかって、――そう、気にしながら購入に踏み切らなかった漫画です。
なんで購入しなかったのか? 簡単な理由でして、エロ度の高い漫画だったから。えーと、18歳未満の方は購入できません
。ああー、私十六歳だから買えないや! いや、本当だったらそんなことで躊躇するような私ではないんですが、なんというか、今回に限っては踏み切れなかった。なんか、危険な匂いがしたんです。いや、漫画にではなくて、私自身に。
去年の冬コミ新刊を通販で買ったらもらえた虎通で紹介されてたんですよね。2005年1月第92号。情報誌を埋め尽くす勢いで紹介されている同人誌商業誌コミックス。居並ぶ強豪をものともせず、自分には『あ でい いんざ らいふ』だけが問題でした。買うか買うべきか。結局買わずに時間を過ごして、それがまさか後に四コマ誌であいまみえるとは思いもよりませんでした。
実をいうと、出会いはもうひとつありました。なんでかハードディスクに保存されていた一葉の画像。あまりに興味深かったから、そこに現れるキーワードでもって検索したら、長月みそか氏のサイトにたどり着いたのです。この瞬間、すべてのものが一瞬に結合して、私は一人の漫画家を軸に、そのまわりをぐるぐるめぐっていたと理解したのです。
ここまできたら、もう観念するしかない――。
『あ でい いんざ らいふ』は買いました。『HR(ほーむ・るーむ)』も楽しみに読んでいます。結局はつまり、私は漫画家長月みそかのファンになってしまったということで、――しかたないよなあ、だってああまで好みに合致して、これはもう運命と思って受け入れるしかないですよ。
私はくじ引きが好きで、どれくらい好きかというと、以前福引きが好きだと書いていたくらい。ただ今回はちょっと特殊で、阪急32番街(グランドビルの上)でやっている抽選。マンデー・スクラッチといって、毎月曜に買い物をすると、スクラッチカードがもらえる。千円ごとに一枚もらえて、当たると千円ないしは五百円の金権になるという、結構豪気な企画なのだ。
このスクラッチ、昨年はめっぽう成績がよかった。三千円の買い物で二千百円(昨年は百円もあった)を当てたのを皮切りに、何度も当てた。百円しか当たらないことももちろんあったが、それでもかなり当てて、トータルで四五千円は稼いだんじゃないかな。ともあれ、普段あまりくじ運のよくない私にとって、このスクラッチは奇跡のような当たり方を見せたのだ。
とそんなわけで、今年もスクラッチがはじまったからと期待したら、なんと今度はちっとも当たらない。もう十枚以上削っているが、当たったのは五百円きり。いや、当たってるんだからいいじゃないか。けれど、昨年の好成績を知っているもんだから贅沢になってる。
今年のスクラッチの嬉しいのは、はずれると小さな袋入りのラムネ菓子をもらえるところ。金平糖やガムもある。私はこれでお菓子を集めて、仕事の帰りの電車で食べるのがちょっと嬉しかった。だから、今年に関しては、はずれてもそれほどくやしくないのだなあ。
私はそもそもが音楽を映像付きで楽しもうという口ではなかったのに、このところ買うものといえばミュージックDVDばかりで、自分の変節ぶりにもうびっくりだ。そもそも音楽DVDの買いはじめはBAHOの『Bad Hot Show』だったんだが、これがあんまりによかったもんだから、続いてクラプトンの『アンプラグド』を買って、『アンプラグド』はCDでも持っていたから、まったく同じものを映像見たさに買ったということ。後は、レッド・ツェッペリン『狂熱のライブ』やら、ムーディー・ブルースやら。ウッドストックも買って、このところの購入歴を振り返ると、CDよりもDVDの方が多いんじゃないかというような勢いだ。
クラシックをやっていた頃は、あんまり映像には固執しなかったような気がする。確かに映像があればあるに越したことはないが、しかしクラシックに限っては、映像があったからといって面白いってもんじゃない。いや、人によっては面白いのかも。けれど、私にはあまり面白くなかった。けれど、クラシックから一歩外に出てみればまったく状況は違っていて、映像のあるなしではまったくといっていいほど面白さが違っている。映像の価値というのは、ただそこにスターがいて動いているとか、あるいは奏法が見えるとかそういうのとは全然違って、映像そのものの持っている躍動感だとか、表現力だとか、そういうところにある。音楽とは、それはなにをおいても音なのだが、しかし音だけでは語りきれない要素があるのだ。その音以外の表現については、私は不当に軽視してきたといっていいだろう。
しかし、DVDを買うようになった要因のひとつとしては、DVDが安いということもあると思う。それこそ、時間あたりに換算したらCDより安いDVDはざらにある。内容はさすがに古いのかも知れないが、古いからといって価値の下がるようなもんじゃないだろう? それに、新盤でもCDの倍額というようなのは少ないぜ。と、そんな感じで気軽に買えるのがDVDなら、ちょっと買ってみようって気にもなりそうなもんじゃないか。
私はPS2を発売初日に買って、結局ゲーム機としてよりもDVDプレーヤーとして活用している。しかし、DVDはいい。なにより買いやすくなった。生活が豊かになった。
YOUに市川ジュンが帰ってきた! YOUといっても、元FAIRCHILDのYOUさんではなくって、レディーズコミックのYOUです。
私は、なんというのか、この市川ジュンという人の漫画が大好きなのだ。清潔な描線、人物の目にはこれでもかと力がこもっていて、女なら華やかに凛として美しく、男にしても凄みのある美しさで、ため息ついてしまうような感じの絵で大好きなのだ。しかし市川ジュンの本領は絵にあるのではなくて、そのストーリーの強さにあって、例えばそれは『陽の末裔』に見ることができる。
大正から昭和にかけての女の生き方を描いたこの漫画は、文庫にして五巻とそれほど大部の本ではないにも関わらず、その内容の重みのあって深いことったらないですよ。私は常に裏道歩きで、最初に読んだのは『陽の末裔』のサイドストーリーである『懐古的洋食事情』で、これは今は文庫でしか売られていないので、私は最初の大判を買えて本当によかった。というか、できれば『陽の末裔』も大判で欲しかったよ! おおっと、話がそれてるよ。『懐古的洋食事情』は、ともすればシリアスに過ぎた『陽の末裔』をうまく朗らかに補って、私はこれら小エピソードが持つ暖かさがすごく好きで、って、こういうふうに描くのはこのカテゴリーの趣旨じゃないからはしょろう。
市川ジュンのいいところは、強くひた向きな人が、生きることの苦しさや悲しさを乗り越えて、ささやかな喜びや仕合せを分かち合おうというような静かな潤いに満ちているところで、それはすごく鮮烈に、澄んだ冷たい水が押し寄せてくるかのような鮮やかさで迫ってくる。
その市川ジュンがYOUに戻ってきた! タイトルは『ひまわり』。昭和戦後の物語で、私はすぐにも好きになりそうな勢いで、いや好きになりそうなんてもんじゃない。好きなんだ。市川ジュンは、本当に大好きなんだ。
YOUといっても、レディーズコミックじゃなくて元FAIRCHILDのYOUさんです。
私はどうもこの人が好きで、あの歯に衣着せぬ辛辣さ丸出しの言動もよければ、あの高慢ちきなさまもよくて、けれどそうした、普通ならマイナスにしか働かないような要素をプラスに変化させてしまう独特の雰囲気、持ち味がよいのだと思っている。いったいどこまでが本気でどこからが嘘なんかがわからないような、まるでもてあそばれている感じとでもいったらいいんだろうか、そういうところがいい。テレビにこの人が出てしゃべってるのを見れば、今日はなにが飛び出すんだろうかと期待して、どうしても手を止めて見てしまう。多分、今テレビに出ている人で誰が一番好きかと聞かれたら、YOUさんですと答えて間違いないと思う。
そんなわけで、今日(2005年5月29日)の『新堂本兄弟』は、私にとってはまさに夢の共演といった感じに仕上がっていて、というのも、私が見ているテレビ番組というのは今や『新堂本兄弟』だけ。そして今日のゲストはYOUさん。期待通りというか以上というか、番組レギュラーを翻弄して独自の世界を作ってしまっていたものだから、YOU好きとしてはもうたまらんものがあった。番組が放送されている間、なにも手に付かないような有り様。ビデオに録っていなかったというのが実に悔やまれるのであるな。
YOUはもちろん歌手出身であるのだけれど、自分はFAIRCHILD時代のYOUを知らなくて、だからテレビで歌っているところを見るのは今日がはじめてだったりして、いつの時代にも乗り遅れるやつというのはいるもんだが、まさにそんな感じ。けれどそのはじめての歌唱を見て、やっぱりいいなあと思う。歌ったのは山口百恵の歌で、YOUさんのキャラクターにはあまり合っていないように思ったけれど、けれどこうして見られたのはよかったなあと、やっぱりビデオに録らなかったことを後悔するのであるなあ。
わが家の健康グッズに脂肪計付ヘルスメーターが導入されて、タニタのBF-507というやつなんだけど、200g単位で体重を量ることができ、そして体脂肪率を表示してくれるという実に憎いやつ。この新兵器(?)がやってきて以来というもの、私はもうこいつに夢中なのだ。
いや、ちょっと大げさには書いてるけど、夢中なのは実際に本当で、毎日きっちり入浴後に体重と体脂肪を計っているのだ。けれど、ちょっとその値がやばくて、いやつい数日前に病気をしてしまったせいもあるんだけれども、ちょっと洒落にならん数字なんだ。
昨日、ギターを持って坂道を歩いて、ふらふらしながら帰宅して、ふふふ、こいつは期待できそうだぞと思っていたら、すごい記録が出た。49.4kg、7.5%。アスリートかよ! 地獄の鬼もびっくりってなもんだ。ちなみに病後は体脂肪率8-9%をふらふらと推移していて、でもそれ以前も9%台だったわけだから7%台という値もそれほど深刻ではないのであるが、けど、これくらい体脂肪が少ないと、たった1%の変化がすごい。8%台に入ればしんどいやらやる気が出ないやらと心身両面における不都合が目立って、7%台になればなんかぼうっとするというかなんか気力そのものが出ないというか、とにかく悪い。そもそもからの9%台というのがまずいわな。体力ないし、疲れやすいし、がんばり効かないし、すぐ気分悪くなるし、重いもの持てないし、声量に欠けるし、貧弱な坊やって馬鹿にされるし、とにかく痩せてるって状態は良くない。せめてもう少し太ったほうがいいと、心から思ったね。ああ、思ったさ。
私はとにかく普段気力で生きてるようなところがあるんだが、要は体力のなさを気力で補っているのだが、この気力にむら気があるのがずっと気になっていた。体脂肪計を導入してみて、このむら気の正体がわかったよ。体脂肪というか、体重の増減とやる気の出方はリンクしてる。体重が落ちぎみになると、とにかく気力が出なくなって、ごろごろしがちになる。なんとなく手持ちぶさたで、だらだらしがちになる。そうか、体重だったんだ。いや、あるいは体脂肪なのかも。とにかく気力は体力に関係しているということがよくわかったよ。
そんなわけで、ちょっと太ってみようと思う。普段とらない間食をあえてとるよう心がけてみようと思う。いや、冗談抜きで、体重が五十を割ると死活問題になりかねませんから。
シャープの液晶テレビアクオスのテレビコマーシャルで、ずうっと気になっていた曲がありまして、男性ヴォーカルの歌、フランス語で歌われています。よく聴く曲なんです。耳に馴染みのある曲で、ギターで音を拾って弾いていて、ああこれは早春賦だと気がつきました。まあ、ここまでの流れは普通です。
私は、早春賦をイギリス民謡かなんかだと早合点したんですね。ほら、昔日本の唱歌では、埴生の宿とか庭の千草とか、外国曲が日本語の歌詞をつけて歌われたことも多いでしょう。蛍の光なんて、もう元から日本生まれみたいな感じで歌われていて、これをスコットランド民謡と知らない人も多いかと思います。そんな風に、早春賦もイギリスの伝承歌だと思って、その絡みでフランス語に翻訳された版もあるのかなと思っていたのでした。
大間違いです。早春賦は日本の作曲家中田章の手になる曲ですよ。あらら。ちなみに詞は吉丸一昌。いずれにせよ、純国産の歌曲であったわけです。
しかし、それにしても早春賦はいい曲ですよね。春は名のみの風の寒さやという歌い出しはあまりにも有名で、それにメロディも美しく、叙情豊かです。当時口ずさまれた他の外国曲に似た雰囲気もあるせいか、西洋語の歌詞がついてもおかしく感じないのも当然であったのかも知れません。
アクオスのコマーシャルは、シャープの広告ライブラリーで見ることができます。私には、« Saison, c'est la saison de vent » と歌われているように聴こえるのですが、二度目のセゾンが、セソンと聴こえるので、違うかも知れません。« son de vent » かな? その先は吉永小百合の声が重なってよく聴こえません。だから聞き取りはあきらめて、ネットで歌詞を探そうと思ったのですが、多分これはこのCMのために付けられた歌詞でしょう。見付けられないと思います。
ちょっと仏語の歌詞で歌ってみたかったんですけどね。でも元が日本語の歌詞ならば、なにしろ私は日本語のネイティブであるわけですから、オリジナルで歌うほうがきっといいです。その方がきっと、歌にも私にも、それから歌うということにおいてもいいと思います。
筆ペンはやっぱりぺんてるのが一番かと。筆ペンといいながら実質サインペンというような粗悪品はいうに及ばず、ふにゃふにゃのゴムだかなんだかのチップで筆と言い張るようなのともまったく違うぺんてるの筆。本当に筆なのだ。一本一本、毛がちゃんと分かれていて、これなら筆ペンといっても嘘じゃないと思う。逆に、こういう構造でないものは、筆ペンを名乗ってはいけないと思う。
しかし、なんで筆ペン? ああ、艶ベタに筆ペンは欠かせないもんね、ってそうじゃなくて、私はほら習字をしてるので、できるだけ筆に慣れようという思いから筆ペンを買ったのだよ。文具店に行って、一番筆に近い筆ペンをおくれといったらこれが出てきた。試し書きしたら、確かに筆だった。筆ペンはどれでも本当の筆よりは小さいので、だからぺんてる筆太字を選んだ。うちには太字の他に中字もあって、前の職場には極細があった(愛用)。今の職場にはうす墨がおいてある(もちろん愛用)。こんな風に、私のいく先々に活躍する筆ペンは、いつもぺんてる製であるのだ。
ただ、いくら筆に近いとはいっても、やっぱり本当の筆とは違う。一番違うのは穂の硬さ。穂が硬いために、どうしても角張った感じになってしまう。ただでさえ柔らかさ、優美さのない文字が、より以上にごつごつとして、だからちゃんと字を書くときには細筆を出してきて、つまりなんでもない日々のメモだとか、落書きみたいなものにしか筆ペンは使ってないのだ。
ああ、落書きというのは字の落書きね。絵を描いたり、ましてや艶ベタの練習とかは(今は)してませんから。
四コマ誌なんかを見てると、季節季節で決まったネタというのがあって、例えば夏から秋にかけてなら、毎食に頂き物の素麺がのってうんざりであるとか、もう毎年見ることができる。同様のネタといえば新年明けの餅もそうであって、正月の餅が残ってもううんざり――。だが、私にはそのネタがわからない。ちっとも共感なんてできやしない。だってさ、素麺に餅ですよ。毎日がこんなメニューなら、私はもう嬉しくって仕方がない。天国の食卓といいたいくらいなもんじゃないか。
とまあ、炭水化物が好きだといっている私は、もちろんご飯も好きで、けれどご飯よりも粥が、粥よりも餅が好きだ。餅のあの、表面が硬くぱりっと焼けて、中は柔らかく熱いというのもいいし、表面の焦げた味も悪くない。少し焦がした餅を、味噌汁に入れてくだくだに煮た、その焦げのうまさといったらないね。香ばしさが残って、本来の餅とは違う食感が面白い。味噌汁だけじゃなく、粥に入れてもいい。もう、もちは素晴らしい食べ物で、これを飽きるとはどういうことかと思うわけさ。
きな粉餅にするため、餅を湯に浸けるのだけれど、そのへなへなになった餅がうまい。醤油と海苔はいうに及ばず、さらにバターを加えてもうまい。消化もいいし、さらに大根おろしで食べれば、胃もたれの心配もない。これはもう万能食といってもいいんじゃないだろうか。
ドラえもんの第一回は正月の出来事で、のび太の食べていた餅をドラえもんはなにかわからなかった。ということは、ドラえもんの未来には餅はないのである。そんな未来など御免である。
最近テレビを見てると結構な頻度で目にするApeosのコマーシャル。飛びますよね。飛ばんよApeosは、飛ばんよ、ねえ。ええ、飛びませんよね。これがどうも気になってしまって、Apeosは富士ゼロックスの製品だから、コピー機かそういう類いのものという予測だけはつくという感じのCMだ。
富士ゼロックスのApeosのページにいってみると、Apeosというのは電子情報と紙媒体の統合ソリューションのようで、そういえば今職場にそういう売り込みがきていたような気がする。なんかスキャンしたものをデータにしてネットワークに蓄積云々とか、そういうのが売りだったように思うが、なにしろ興味がないものだから全然内容を覚えていない。そもそもうちの課にきてるわけでなくて、よその課にきているというのを小耳にはさんだ程度だから、まあ便利になるんだろうが使いこなせないんじゃないかなあ、宝の持ち腐れだよなといった感想を持った程度の記憶しかない。いや、まあ宝の持ち腐れになると思うよ。よっぽどApeosというのがうまくできてたら別だけど、結局旧来の紙媒体にしがみついて、なにがあってもコピー/プリント命みたいのがいっぱいいっぱいいるから、ペーパーレス時代なんてやって来る気配もないし、こうして森林資源は食いつぶされていくのだなというのを目の当たりにして、これって緩慢な自殺だよなとか思ったりする。
すまん、話がずれた。ApeosのCMの話をしてたんだった。
ApeosのCMは、人間のいやらしいところを捉えて、それを面白く表現してるなと思うんだよ。自分たちだけにわかることを話して一人を仲間はずれにするいやらしさや、知らない教えてくださいといえばいいのに、格好悪いと思って知ったかぶりするいやらしさ。後ろの二人もいいかげん教えてやれよ、なんて思ったりもするんだけど、あんまり知ったかぶりさんの想像力が豊かだから、これがどこまで発展するのかものすごく楽しみだったりする。
このCMの伝えるのは、なんだかすごく魅力的な商品だぞということだけ、それこそ豊かな想像力も手伝わせて見せつけて、肝心の商品については謎のままにしておく。謎の商品Apeosとはいったいなんなのだろうか? そう思わせて、自分から調べさせようとするところが実にうまい。といっても、大抵の消費者は怠惰にできているから、よほどでないと自分から調べることはないと思うんだけどね。私にしても、今回の記事を書くまで、サイトを見にいくつもりもなかったもんね。けれど、あのApeosという名前を覚えさせてしまえば勝ちといえるこのCM。どこまで想像のApeosを広げるか、これからの展開も実に楽しみだ。