二度の録音を経て、今月はちょっとお休みだ。だってね、延々同じ曲を録音し続けてもしかたがないし、だからといって新しい曲を次々用意できるほどレパートリーがあるわけでもない。この数年は音階やらアルペジオやら基礎訓練を中心にやってきて、そのせいにしてもいかんのだが、とにかく弾ける曲というのがないのだな。すごいよ、ギターやってます、じゃあなんか弾いてよ、すまん曲は駄目なんだ、音階なら――。ってこんなふざけた話きいたことない。
さて、録音をするというのは、できうんぬんを抜きにしてもすごくためになることだ。まず、程よい緊張感。いつまでに曲をかたちにしなければならないという目安ができればがんばりようも違うし、間違いなく弾ききらなければならないという意識があるから、緊張感も違う。いや、それでも間違えるんだけどさ。緊張感といえば、録音よりもステージの方がずっと大きい。ステージで鍛えるほうがきっと効果があると思う。なにしろノン・テイク・ツーネス(Non-Take-Twoness、やり直しがきかないというグールドの用語)な場だからな。だが、そんなにほいほいとステージなんて用意できない。だから、そのかわりとして録音が役立ってくれるわけだ。
まあ、そのできのあまりの悪さに、へこむんだけどな……。
録音の効用はまだまだあって、自分の演奏を客観的に聴くことができるというのは非常に大きい。私は録音環境を手にして、自分の音を聴けているようで聴けていないということを痛感した。オーディオインターフェイスからモニターする音は思っているような響きとは違い、ヘッドホン越しによりよい音を求めようとすれば、自然ピッキングは強いものに変わっていった。そして録音後、まるで人の演奏のように自分の録音を聴いて、ああ駄目じゃ、そのまずさに落胆して、ここに次へのステップがあるように思う。
録音をしてみて変わったことは以下の通り。
まずピッキングが変わった。より強いものになった。ともないギターの鳴りも変化して、繊細さを残しつつも豊かになるようになったと思う。そしてもう一点。普段の練習においても、客観的な聴き方をできるようになった。演奏に対するというよりも、出音に対するといったらいいだろうか。自分の出している音がどんなものであるか、録音をしたことで、聴こえている音、実際の音のすり合わせができたというようなそんな感じだ。
私はずうっとD. カスタム Sを弾く際に、そうっと、丸く優しい響きを出すように注意してきたが、D. カスタムの本領はそこにはない。もっとバーンと出て、きらびやかに響きをあげる楽器であると思う。こんなに印象に違いが出たというのも面白い話だが、逆にいえば、今まで楽器の個性を見誤っていたということだろう。
心機一転、また一からのつもりでがんばろう。
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