ワインというのは、なんというのかそれがどこの産地で、どういう葡萄で出来ていて、その年の産にはどんな性格があって、うんたらかんたら、と難しいことを考えながら飲むものというイメージがあるけど、それは多分大間違いだ。
だって、フランスの映画にしろイタリアの映画にしろ、彼らがワインを飲むときは、それこそそこら辺にある湯呑みみたいので、適当にかっくらったりして愉しんでいる。でも、彼らはワインがまったくわからないというのではなくて、このワインはどうだこうだというのをちゃんとしゃべっていたりする。きっとこういう肩ひじ張らない飲み方が、生活に根差した文化としての飲み方なんだろう、と思う。
茶道の宗主、千利休の残した利休百首にこうある。
茶の湯とは只湯をわかし茶をたててのむ計りなる事と知るべし
だからなにもわからんで飲んでもいいじゃないか。問題なのはそのワインがおいしいかどうか、飲んで愉しんだかどうか、だけだよ。